き月の民
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第2章
第1話  暗雲
 政府軍本部。
 コールヴェル将軍が昼食を終え、自室に戻ろうとすると後ろから声をかけられた。
 振り返った視線の先に立っていたのは、白衣を身にまとった男であった。年の頃は五十過ぎ。頬のこけた目つきは鋭い。
「スン博士か」
 スンは政府所有のラボの総責任者という重要なポストについている。
 博士は将軍の目の前で立ち止まると、鋭い眼を光らせた。背が高く将軍を見下ろす格好になるため、その態度は威圧的に見える。 実際、将軍がトップとされる政府軍の中で、唯一コールヴェル将軍にたいしてぞんざいな態度をとる人物であった。 コールヴェルとしては気に入らないところもあるが、有能である事実は動かしがたい。スンにはあえて何も言わないようにしている。
「珍しく一人ですな」
 スンの人を小馬鹿にしたような口調に、コールヴェルは無言で眉をつり上げた。スンはそんなコールヴェルの反応を楽しむかのように 続ける。
「後ろの“お付き”はどうされました」
「ふん。全く使えんから首にした」
 何かと忙しい将軍には常に補佐がつく。さらに政府本部から出るときには護衛もつく。まず、一人になることはない。
「相変わらず手厳しいですな、コールヴェル将軍は。コラニス将軍補佐を行かせてしまったことを後悔しているのではありませんか」
「確実な報告を得るにはあいつを行かせるのが一番だ。それに、もうすぐ戻ってくると連絡が入っている」
「報告、ですか。私のところにもデータが送られてきましたよ。……あれはやりすぎだと思うんですがね」
 コールヴェルはスンを睨みつけた。
 すかさずスンは言う。
「私のことも首にしますか。別にかまいませんがね」
 ラボのことはほとんどスンが管理している。一つの研究をするにも、部下達には仕事を分散させて全体を把握できないようにしている らしい。無能な者、自分に逆らう者は容赦なく切り捨てる、そんなコールヴェルへの対策だった。
 スンを殺すのは簡単だ。スンは一応銃を携帯しているものの、護身術はほとんど身につけていない。
 しかし、彼を殺せば将軍が積極的に行ってきた兵器の開発やシステムが水の泡になる。かつて「政府そのものには興味がない」 と言い切ったスンである。スンをつなぎ止めるにはそれなりの待遇が必要だった。
 コールヴェルはさらに眉をつり上げ、スンを睨んだ。握った拳は、血管がはち切れんばかりに浮き出ている。
「くっ」
 コールヴェルが何も言えないのを見て、スンは目を細めた。
 殺してやろうか。
 本気でそう思う。こちらが何もできないのを知っていて、相手を見下してくる。手がゆっくりと腰元のホルスターにのびる。
 スンはコールヴェルの動作を見届けながらも、自分は何もしない。むしろ、撃てるものなら撃ってみろとでも言いたげだ。
 ふいにスンがコールヴェルから視線をそらした。
「おや、将軍のお待ちかねの方が戻ってきましたよ」
 スンの言葉に後ろを振り返る。こちらへやってくるのはコラニスであった。
「ただ今戻りました」
 コラニスはコールヴェルに一礼してから、その背後にいるスンに目だけであいさつした。
「私はじゃまでしょうから、この辺で退散いたします。コラニス将軍補佐、時間ができたときにでもラボに寄ってください。 それでは」
 スンは軽く手を挙げると、ラボの方へ去っていった。
 コールヴェルはスンが見えなくなると、一息ついて執務室に歩を進めた。コラニスは黙ってついてくる。
 これが無能なものだと「将軍どちらへ行かれるのですか」となる。うるさくてかなわない。将軍補佐たるもの、将軍がどこに 行くにしてもついていくことになる。ならば、いちいち行き先を確認する必要もない、というのがコールヴェルの考えだ。
 一方、コラニスはコールヴェルの性格を理解しているのか、無駄口はたたかない。将軍の求めるときだけ答えを口にする。
 執務室へ戻るとコールヴェルは口を開いた。
「予想通りの結果になったな」
「はい、完全に壊滅しています」
 何が、と言う必要はない。コラニスはすべてを理解している。
 先日、コールヴェルは一つの街を破壊するよう命じた。新しく作り上げた広範囲型遠隔兵器の実験台として。街の名前は何といったか。 コールヴェルには興味のないことなのでわからない。
 コラニスが送ってきたデータを見るところでは、コールヴェルが期待していた以上の結果が出ていた。街全体が焼ければいいと思って いたコールヴェルである。実際は町の中心部は大きな穴が開き、その周りも建物の跡もほとんど残っていない状態であった。 今回のは政府管轄外の土地のことだ。そこに住む人々のことなどはどうでもよい。
 今後も余計なものはこれで破壊してしまえばよい。
 逆らう者にはその力を持って、誰が上なのかを知らしめればよい。そして、いずれは自分がこの世界をまとめあげるのだ。
 今まで、政府は他地域と間接的にしか関与してこなかった。しかし、コールヴェルはそんなことで満足するようなちっぽけな人間になる つもりはない。
 自分の理想に一歩近づいて、口元が緩んだときだった。
「しかし、コールヴェル将軍」
 逆接で言葉をつないだコラニスに、コールヴェルは自然と肩肘が張るのを感じた。今まで素直にコールヴェルのことを聞いていた コラニスが逆接をその口から漏らすのは初めてのできごとであった。
 コラニスは淡々と続けた。
「街を一つ破壊する必要はあったのでしょうか」
 コールヴェルはその瞬間に手元にあった灰皿をコラニスへ向けて投げつけていた。コラニスの腹へあたった灰皿は鈍い音を立てて厚い じゅうたんの上へ落ちる。
 コラニスは灰皿があたったときこそ眉を動かしたが、それ以外は涼やかな目でコールヴェルを見つめ返していた。他の者ならば、 ひるんだ目でこちらを見るか、慌ててその場を取り繕うとするはずだ。ところが、この青年に関してはそういうことがない。
 感情を読み取ることのできないその表情にコールヴェルは不本意ながら視線をそらした。
 自分の元においた頃から、この青年は苦手だ。感情を悟られまいと、慌てて次の言葉を紡ぐ。
「スン博士も同じことを言っておった」
 スンとコラニスは仲がよい。スン博士が最も力を注いでいる研究にコラニスも持ち前の頭脳を生かして参加している。 ラボの状況を把握するという点では便利だが、コラニスの研究に対する介入の度合いが大きいようにも感じていた。
 反射的に灰皿を投げたのはコラニスに逆らわれたというよりも、スンと同じことを言ったからかもしれない。
 先ほどのスンの言った「ラボへ来い」というのも、研究に関することで何かあったのだろう。コールヴェルが権力拡大のために軍事力 の研究をしてほしいのに対し、二人は別のことの方に手をかけていることも気にくわないのであった。
「そうですか。しかしながら、これは私の意見です。実際、街を破壊したのが政府であるという噂がかなり広まっています」
「政府の力を見せつける機会にはよかったのではないか」
「今はまだ早すぎるのではないでしょうか。反政府組織も立ちあがっている模様です。人民の反発を大きくするようなことをするのは 危険です」
 コールヴェルは返す言葉が見つからず、話題を変えることにした。
「そんなことより、グランヴィッツの行方はどうなった」
「……未だつかめていません」
 ここぞとばかりにコールヴェルは鼻を鳴らす。
「研究なんぞにかまけているからだ。他の者からグランヴィッツとおぼしき人物が東で目撃されたという情報が入っているぞ」
 今まで表情一つ変えなかったコラニスがわずかに眉を寄せた。
 研究にケチをつけられてさすがのコラニスもしゃくにさわったか。
 コールヴェルはほくそ笑んだ。
「そうですか。……策は練ってありますので」
「なら、とっとと捕まえろ。奴には協力者もいたはずだ。そっちの方もどうにかしろ。奴が消息を絶ってだいぶ経つぞ――ところで、 お前の後ろにいるのは誰だ」
 コールヴェルはコラニスの背後にいる存在に初めて目を向けた。と言っても、コラニスの陰に隠れてよく見えない。 背格好からするに女か。
 コラニスは振り返ることなく、答えた。
「レスボンで見つけました。当分は私のそばにおこうかと考えています」
 フン、勝手なことをやりおって。
 ここで、文句を垂れてもよかったのだが、女のぴりぴりした空気に言葉を発するのがためらわれた。また、 口でコラニスに勝てるとも思えない。なにか不都合が起きた時点でちくちく言ってやればよいだろう。
(しかし、コラニスとスン、いい加減二人を離さなくてはな)
 スンに関わるほど、コラニスの独断行動が増えていく。
 コールヴェルはデスクのいすへ深く座り込んだ。
 コラニスの背後では、コールヴェルの予想通り少女がコールヴェルを射るように見つめている。
 その赤い双眸がぎらりと光った。

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