き月の民
HOME / NOVEL / 朱き月の民
≪BACK  NEXT≫

第1章
第14話  道標
 ルーディーとトランスが同時に息をのんだ。
「影……って何?」
「ねえ、今朝オレの話したこと覚えてる?」
「サカキ族のこと?」
「そう。街の破壊のショックでルーディーの中のもう一つの人格が出そうになった。 きっともともと怒りをあらわにするタイプの人格だったんだ。そのままだとどす黒い感情に支配されてしまうと思ったルーディーは、 無意識のうちに影と指輪の色を媒体として人格を切り離した。防衛本能の一種として」
「そのようなことが可能なのか?」
 トランスはいぶかしんだ目でチャンを見た。
「噂だけならあるんだ。だけど、実際に見た人がいるって聞いたことはない。だから言ったろ、すごくありえないかもしれないって。 でも、人格が別れるときに本体をつなぐものとして影と指輪の色をもっていったって考えるのが一番つじつまが合うんだよ」
 トランスは渋々自分を納得させているようであった。
「では、そのルビーという女がルーディーをつけ回すのはなぜだ」
「ルーディーはさ、どす黒い感情が湧いてきた時なんて思った?」
 ルーディーはもう一度、一昨日のことを思い出した。街が燃えていて、何が何だかわからなくて、 誰もいなくて……そうしたら体が熱くなった。奥から「ユルサナイ」とくらい感情が沸き上がってきて、 身体をのっとられそうになったのだ。その時、自分はなんと思った?
 ルーディーははっとして顔を上げた。
「……『私から出ていって』って……」
 チャンは軽く頷いた。
「多分、それだよ。ルビーとしてはルーディーのためを思って、街を破壊したやつらに復讐するつもりだったのかもしれない。 だけど、結果としてルビーはルーディーに追い出されたことになってしまった。ルーディーに裏切られたって思ったんじゃないかな」
「そんな……」
 ルーディーは目の前の机に肘をついて、手で顔を覆った。
 ずっとルビーの憎悪に満ちた目が怖かった。しかし、その原因を作ったのは自分だったのだ。故意でないとは言え、 ルビーを最初に傷つけたのはルーディーであることには変わりない。だからなぜ自分を殺そうとするのかと 聞いたときに彼女はこう答えた。「お前が一番よく知っている」と。
 足がカタカタと震えた。自分はとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。「どうしよう……」
 チャンが近寄ってきてルーディーの肩をなでた。
「ごめんね。ルーディーを追いつめるつもりじゃないんだ」
 一人現実的だったのはトランスだった。
「仮定が事実だとしよう。媒体が影と指輪の色なのはなぜだと思う?」
「その辺は難しいよ。何もない状態では本体から離れることができなかった。 かといって足を一本だけ持っていくなんてできないでしょ? 一応全身をコピーできるという意味で影だったのかもね。 指輪の色についてはサカキ族の力を使うのに必要だったのかな、って完全なでまかせだけど」
「確かに、説得力はないな。では、元に戻る方法はどうすればいい?」
「オレが思いつくのは、ルビーを説得して戻ってきてもらうことくらいかな。相手が相手だから簡単にはいかないだろうけど」
「なるほどな」
 チャンはトランスの問いに、つまることなく答えていた。仮定を立てたときからここまで考えていたに違いない。
 その間、ルーディーはずっと顔を覆ったままうつむいていた。
「ルーディー、推測とはいえこうなった原因はわかったんだ。あとはお前が動くだけだ」
「でも、私はルビーにひどいことをしたんだよ。ルビーが私を殺そうとするのは当然なんだ」
「だから、無抵抗のまま殺されるつもりか?」
「……」
 死ぬのは怖い。しかし、あの憎悪に満ちた瞳を思い出せば、ルビーをどれだけ深く傷つけたのかもわかる。
「トランス! 言い過ぎだよ」
 チャンは再びルーディーの肩をなでた。
「大丈夫だよ。ルーディーに悪意がなかったって、伝えればルビーだってわかってくれるよ」
 ルーディーが首を横に振ると、チャンの手が止まった。
「チャン、よけいな期待は持たせるな」
「だって、ルーディーが!」
「ルーディー、ルビーという奴はお前を簡単に許さないだろう。むしろ、これからも何度もお前の命を狙ってくると考えた方がいい。 お前に本当に償う気があるのなら、どんなに時間をかけてもルビーを説得すべきだ」
 ルーディーはトランスを見た。トランスの目がまっすぐルーディーをとらえていた。
「ルビーにひどいことをしたと思うのならば、同じ分自分もつらい思いをして生き抜くしかない。それが償うということだ。 死ぬほど簡単なことはないがな」
 チャンはルーディーに気を遣ってくれる。一方、トランスは平気で厳しいことを言う。 どちらもルーディーのためを想っての優しさ故だ。
 少なくとも自分を想ってくれる人がいるならば、やれることをやった方がいい。街の襲撃に巻き込まれた家族のためにも、 ルーディーは生き抜くべきなのかもしれない。
「そうだね、逃げちゃだめだね」
 ルーディーの言葉に、トランスの表情がやわらいだ。
「ルーディー、これからどこに身を寄せるかもう決めたのか?」
 色々なことがありすぎてすっかり忘れていた。大きな街ならば仕事も見つけやすいからとシュリンクまで連れてきてもらったのだった。 自分のことなのに、すっかり二人をまきこんでしまった。
「まだ。でも、大丈夫。すぐに見つかると思う」
「家事はできるか?」
「え? 誰が?」
「もちろんお前がだ」
「できるにはできるけど……」
 多忙で家をあけがちだった両親の代わりに家事を行い弟妹の面倒を見ていたのはルーディーである。できるというよりは、 もう身体になじんでしまって、やるのが当然のことになっている。
 しかし、トランスの質問の意図がわからない。
「ルーディー、俺達のところへ来るか?」
 俺達のところ。
 チャンが初めて会ったときに言っていた。トランスのところへ一緒に連れて行ってほしいと。確か名前は……。
「AGなんとかってところ?」
「AG-ORG」
 どういうところなのかをルーディーが問おうとする前にトランスは続けた。
「反政府組織だ」
「反政府って……」
 突然の物騒な単語にルーディーは返す言葉が見つからなかった。
「といっても、小さな組織だ。たいしたことをしているわけではない」
 それでも反政府を掲げていることには変わりない。それだけでたいしたことをやっているように感じる。
「はっきり言って安全とは言えない。しかし、ルビーも政府に関わっているようだし、 ある程度ならばお前を守ってやることもできる」
 シュリンクで暮らしたからといって、ルーディーの安全が保障されるわけではない。 ルビーは必ずルーディーのことを探し出して殺しに来るだろう。その時、ルーディーに打つ手はない。 ならば、トランスのところへ行って、ルビーを説得する機会を探した方が自分にとっていいかもしれない。 ただ、何もできない自分が邪魔にならないかが気がかりだ。
「迷惑じゃないの?」
「うちにはちょうど家事を好んで行なう者がいないからな。ちょうどいいだろう。 もともと寄せ集めのメンバーだから気にする必要はない」
「そうだよ、ルーディーも一緒に行こうよ」
「チャン、お前はとりあえず連れて行くだけだ。そのあとは自分でどうにかしろ」
「ひっでー。オレが飢え死にしたら一生呪ってやるからな!」
 チャンが口をへの字に曲げた。それから次々とトランスの悪口を言うものだから、ルーディーはおかしくて笑った。
 例によってトランスはチャンの言葉に耳を貸さず、ルーディーの方を向いた。
「もう笑えるから大丈夫だな。悪いが、組織の詳しいことについてはあとで説明させてもらう。 どんなところかわからずに来るのも不安かもしれないが、どうする?」
「迷惑かけるけど、お願いします」
 ルーディーは立ち上がって、きちんと頭を下げた。
 今後の自分のためでもあるし、正直家族を失ったばかりで一人で暮らすのは寂しかった。それに、 もう少しこの二人と一緒にいたいとも思う。
「やった! ルーディー、これからもよろしくな」
 チャンがルーディーの手を取ってぶんぶんと振った。
「もう、街の人も落ち着いてきているだろう。そろそろ行くぞ」
 トランスは立ち上がり、部屋の出口で一度背後を振り返った。
「今度こそ迷子になるなよ」
「バカ、迷子になったのはそっちだろ。な、ルーディー」
 ルーディーは頷くと、チャン顔を見合わせて笑った。


〜1章 完〜

≪BACK  NEXT≫
HOME / NOVEL / 朱き月の民

(C)2002〜2003 Akemi Kusuzawa All rights reserved...