き月の民
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第2章
第2話  本部
 その街はカターシャといった。
 大きくもなければ小さくもない。これといった名所もない。このあたりではごく一般的な特徴のない街であった。
 カターシャへ着いたのは日が落ちてだいぶ経った頃だった。
 トランスの運転する車は街中を通り、入ってきたのとは反対の方向へ進んでいった。そして、 街はずれにある大きな邸宅の敷地へ入ったところで車は止まった。
 車を止めたのは門をくぐって右奥の駐車スペースであった。近くに洗車用具が置いてあるあたりから想像するに、 家人用の駐車場だろうか。
 門から駐車場、建物をつなぐのは石畳。
「おおっ、すげえ。こんなところに本部ってあるんだ」
 豪勢な建物へ吸い付くように、チャンは建物の方へ歩を進めようとした。すかさずトランスがチャンの足を払う。 バランスを崩したチャンは慌てて体勢を戻した。ちなみに、現在は夜なので大きい方の姿である。
「何すんだよっ」
「車を置かせてもらっているだけだ。こっちだ」
「シカトかよ。……って、ええーっ、嘘だろー」
「黙ってろ」
 トランスがチャンの頭をぽかりと殴る。
 声には出さなかったが、ルーディーもこの邸宅が本部なのだと思ってしまった。それでも、 車を置かせてもらっているくらいなのだから全くの無関係でもないのであろう。
 チャンの叫びとルーディーの考えに反し、トランスは敷地の門へと歩を進め、そのまま出て行ってしまった。 知らない人の家の敷地に居座るわけにもいかない。しかも、今は夜だ。「裏切り者!」とトランスに蹴りを入れようとするチャン の背中を眺めながら、ルーディーも二人についていった。
 三人は門を出て左へと進んでいった。しばらくは片側に豪邸の壁が続く。壁がとぎれた先にぽつりと一軒の建物が見えた。 部屋の中の明かりで建物の前に人がいるのがわかった。
 近づいてみると、建物は書店であり、その前にいるのは小さいときのチャンと同じくらいの年齢の少女であることが判明した。 彼女はちょうど店じまいをするためにシャッターを下ろそうとしているところであった。
 トランスは少女の方へ歩み寄っていって手をさしだした。
「貸せ」
 少女はトランスを見上げた。先がL字になっている金属の棒を渡しつつ、表情を変えずに言う。
「ただいま、くらい言ったらどうなの」
 見た目よりも大人びた口調にルーディーは驚きながらもチャンを見た。すると、チャンの方もなにか言いたげにルーディーを見ていた。 少女は「ただいまくらい言え」と発言した。つまりここが本部なのではないか。しかし、どう見ても普通の書店である。 どういうことであろうか。
トランスの方も表情を変えることなく、シャッターを閉めた。
「ただいま。……これでいいのか?」
 しかし、発せられた言葉は親にしつこく言われてしょうがなく挨拶する子供そのものだ。
少女は「私が馬鹿だったわ」と独りごちると、金属の棒をトランスから奪って脇にあるドアから建物の中に入ってしまった。
 ルーディー達についてこい、と手で合図するとトランスも建物の中に入ってしまう。二人は再び顔を見合わせると、まずはチャンが、 それに続いてルーディーも建物の中に入った。
 どうやら書店の事務所らしいそこは、作業用の机とパソコンが置いてありきちんと整理されていた。 机のところで売り上げを数えているのは先ほどの少女だ。
 店の前では暗くてよくわからなかったが、人形のような容姿をしていた。本当に陶磁で作られているのではないかという白い肌、 柔らかそうな波打つ金髪、よく研磨されたサファイアのような瞳。
 少女は慣れた手つきで金を扱っていた。子供でも手伝いで店頭に立つことはあるが、 店じまいまでこなすということはあまり考えられない。トランスも何も言わないということは、この子は若くして店長なのであろうか。 ずいぶんしっかりした子だと感心してしまう。
「こちらの状況はどうだった?」
 トランスに問いかけられると、少女はきりのよいところで手を止めた。
「可もなく不可もなく、というところね」
 視線は勘定中の金に注がれたまま答えると、再び作業に没頭する。
「そうか」とトランスが頭をぽりぽりかいた時である。
 奥の方からバタバタと走ってきた人物がトランスの腕にからみついた。
「トランスぅ。大丈夫だったぁ? 心配したわよぅ」
 なんなのだろう、この人は。
 ルーディーは思わずトランスにからみついた女を凝視した。
 漆黒のストレートにチャンと同じような黒い肌。垂れ気味の目と、少し厚みのある唇は色っぽさをかもしだしている。
「おーっ。トランスには女がいたのか!」
 妙に嬉しそうな声で言ったのはチャン。女はチャンの方を見ると、目を細め艶っぽい笑みを浮かべた。
「あら、かわいい坊やね。どこから来たの?」
「西の方から。オレはね、チャンって言うの。ヨロシクな、姉ちゃん」
 チャンは女に手をさしのべる。女は片腕だけトランスから離してその手をとろうとした。
 そこでトランスが口を挟む。
「ちょっと待て」
 眉間には深いしわ。明らかに不満そうだ。
「リザ、いつから俺の女になった。それにチャン。お前をここにおくと決まったわけでもない」
「「ええーっ」」
 初対面のはずの二人の声が見事にハモる。
「トランスってば冷たいわ」
「そーだそーだ。冷てえぞ、鬼」
 トランスはしばらくの間、視線を二人に行ったり来たりさせていた。それから大げさなため息をつく。
 完全に蚊帳の外の人間になったルーディーは部屋の中をもう一度見回した。金髪の少女がちょうど勘定を終えたところのようで、 売り上げを金庫に入れていた。金庫を閉めたところで顔を上げた少女と目が合ったが、ふいと視線をそらすとそのまま部屋を出て行って しまった。
 ここと本部はどういう関係なのだろう。
 見たところ普通の書店だ。リザという大人がいるにもかかわらず少女が事務を取り仕切っていることを除いては。 ルーディーの想像していた雑居ビルでもなければ、反政府組織とおぼしき設備もない。しかし、トランスの状況確認や「ただいま」 という発言を考えると、全く関係ないわけでもなさそうである。
 頭が混乱してきた。
「ルーディー、難しい顔をしているが、大丈夫か?」
 よほどルーディーが深刻そうな顔をしていたのか、それとも何でもいいから話題を変えたかったのか、トランスが声をかけてきた。
 一度に視線がルーディーに集中する。
 リザが目を細めてルーディーを上から下までなめ回すように見ると、声のトーンを一段階低くして言い放った。
「なあに? この女」

 痛い。とにかく痛い。
 何がといえば、ルーディーに突き刺さる三つの視線である。
 本部に関するルーディーの疑問は簡単に解けた。
 書店イコール本部だったのである。
見かけは一般の家の一部を書店として利用している形であるが、わかりにくいところに隠し扉があり、その地下が本部なのであった。 書店はカモフラージュのために開いているとのことだ。
 住居区の居間に通されると、金髪の少女、リザと呼ばれた女、そしてもう一人、 長身で細身の女がそれぞれてきとうに椅子に座っていた。
 部外者はチャンとルーディーの二人いるはずなのに、三人の神経はルーディーに集中していた。 どの瞳にも決して好意的とは言えない感情が含まれている。特にリザは本来垂れているはずの目をつり上げて睨んでいた。
 チャンも落ち着きがなく、何か言いたげにルーディーを見ては口をもごもごさせていた。おそらく 「何かまずいことでもしでかしたのか」と聞きたいのだろう。しかし、初対面のはずの彼女たちに対し、そのような記憶は全くない。 言葉を発するのもためらわれるような空気の中、一人ひょうひょうとして沈黙をやぶったのはトランスであった。
「まずは、自己紹介からだな。こいつはチャン。ここに用があって来たらしい」
「おう、ヨロシク」
 声がぎこちないながらも、チャンは軽く手を挙げる。女達は言葉こそ発しなかったものの軽くチャンに会釈した。
「こっちはルーディー。レスボンの生き残りだ」
 再びルーディーにちくちくとしたものが集中する。
「生き残りを連れてきてどうするのよ」
 とげのある言葉を発したのはリザであった。言葉にこそ出さないが、残りの二人も同感のようだ。 その場の気温が一気に十度は下がった気がした。
 やはり、ルーディーだけが歓迎されていない。思い当たる節はない。
 トランスは三人の態度にあきれ顔をしながらも続けた。
「二人ともサカキ族だ」
 六つの目がわずかに揺らいだ。
「あら、そう」
 リザの声には抑揚がなかった。納得とはほど遠そうだ。「でも、あんたがここにいる理由にはならない」 とうったえているのがよくわかる。目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。
「ルーディーは家事を手伝ってもらうことになっている。それに、元々かき集めの集団だ。二人くらい増えても問題ないだろう」
「増える増えないの問題じゃなくて……」
「姉さん。お人好しなのがトランスのいいところよ。あきらめましょう」
 長身の女が言うと、姉さんと呼ばれたリザは渋々と押し黙った。それを見ていた金髪の少女が付け加える。 「お人好しだけど、頑固だから」と。
 ルーディーは誰にも気づかれぬよう息を吐き出した。一応事態は収拾に向かいそうである。
「じゃあ、今度は本部のメンバーだな」
 各自自己紹介しろ、とトランスが促す。
 リザを姉さんと呼んだ女が立ち上がる。座っていても背が高いであろうことは想像できたが、実際に立つとその高さが実感できる。 確かに黒い肌に黒い髪はリザと共通している。ただし、こちらの髪は強い癖が特徴的で後ろの高いところで一つに縛っていた。
「私はメグ。主に情報収集をしているの。よろしく」
 メグは座ると、隣にいた金髪の少女に場を譲る。
 少女は椅子に腰掛けたまま、一言だけ言う。
「マギよ」
「さっき見たと思うが、マギには店のことをやってもらっている」
 トランスが補足した。
 残るは一人。リザである。彼女はルーディー達から顔を背け、一向に口を開こうとしなかった。
「メグ、悪いが」
 これ以上補足したくないのか、トランスはメグを促した。メグは軽く頷く。
「彼女はリザ。私の姉で一緒に情報収集しているわ」
 再び居間は静寂に支配される。ルーディーに視線が集中していた時も気まずかったが、 誰一人目を合わそうとしていないこの状況もどうだろう。
「そういえばさ、長旅だったから疲れたなっ。
ルーディーも疲れてない?」
 わざとらしいくらいに明るい声で言ったのはチャンだった。実際、わざとなのだろう。ここへ来るまでにチャンは どちらかというと夜行性だということが判明している。故に今日も午後のほとんどを車中で寝て過ごしていた。
 ルーディーが返事をする前に頷いたのはトランスであった。
「そうだな。チャンの話は明日以降にしよう。マギ、ルーディーを客室に案内してやれ」
「おやすみなさい」
 それだけ言うと、すでに部屋を出てしまったマギの後を追った。二階の階段を登ったすぐのところでマギは立ち止まった。
「ここよ」
 それだけ言うと、去ってしまった。
 電気をつける。淡い光に包まれた部屋にはベッドが2つと小さな机があった。
 きちんと掃除されていた。少し埃っぽいにおいがするが、長い間使われていなかったためであろう。
 ルーディーはまっすぐ手前のベッドに向かうと倒れ込んだ。
 適度に休憩を取りながら来たとはいえ、何日にも渡る移動で心身共に疲労が最高潮に達していた。 初めてのことなのだからなおさらだ。
 これからのことを考える間もなく、深い眠りに落ちた。

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