き月の民
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第1章
第12話  街の中の戦闘
 少女の言葉により、あたりのざわめきはいっそう大きくなった。
 ルーディーはルビーと名乗った少女から目が離せずにいた。もう会うことはないと思っていた。 なぜ彼女が襲ってくるのかが今だにわからない。考えようとしても頭がきちんと働かない。 覚えているのは彼女に蹴られて首を絞められた恐怖。このまま意識を手放してしまいたかった。
 ただならぬ出来事に人の群はどんどん増えていく。見過ごすわけにはいかないが手も出せない人が半分、 興味だけの人が半分というところだろう。人々は事の真相について好き勝手に噂していた。
 ルビーがぎろりと群衆をにらんだ。すると、あたりは水を打ったかのように静まりかえり、緊張がはしる。 とばっちりを受けたら殺されかねないということを感じ取ったのだろう。
 人でにぎわう街は不気味なくらい静かになり、しばらく硬直状態が続いた。
「ルーディーに何の恨みがあるんだよ」
 そう言って一歩前へ踏み出したのはチャンだった。
 ルビーはチャンへ視線を移すとわずかに目を細めた。
「ガキは黙っていろ」
 言うと同時にルーディーへ斬りかかってきた。
 ルーディーは目の前で何が起こっているのかわからずに立ちつくしたままだった。チャンに思いっきり腕を引っぱられて、 そのまま地面へ倒れ込む。レイピアは空を斬っただけだった。
「何すんだよ!」
 ルーディーをかばうように、チャンは両手を広げて立った。
 その間にルーディーはよろよろと立ち上がる。
 起こっていることはなんとなく認識できる。しかし、それが一本につなげられない。ただ、 小さなチャンの背中が頼もしいなどと考えていた。
「邪魔をするな」
 ルビーの声は明らかに怒気を含んでおり、表情はさらに険しくなっていた。狙いはあくまでもルーディーらしい。
 チャンとルビーの睨み合いが続いたまま、しばらくがすぎた。増える一方のやじうま達も固唾を呑んで状況を見守っている。
 先にしびれをきらしたのはルビーの方だった。
 チッと舌打ちをすると、チャンの方へまっすぐ向かってきて、斬りかかった。チャンはすれすれの所で横に飛ぶ。 レイピアはカツンとかわいた音をたてて地面をたたきつけた。
 まわりから歓声があがった。しかし、ことの深刻さを理解しているのか、はやしたてたり、あおったりする者はいない。
 剣や銃といった武器を持つのは一般的に旅をする者や兵士などだけである。街に住む者は武器を持つどころか、 戦闘の訓練すら受けていない。ルーディー達を見守るだけの彼らを責めることはできない。誰かが「助けを呼んでくれ」 そう言ったのが聞こえた。
 チャンはルーディーから離れるように駆けだした。
 チャンが動いた分だけ、群衆の輪が広がった。
 ルビーはチャンのあとを追い、力任せにレイピアを振る。チャンは相手をぎりぎりまで引き寄せておきながら、 すんでのところで身軽に剣をかわしていく。ルビーは攻撃の手を休めず、チャンに余裕を与えようとしない。
 やじうま達は声を出すことを忘れて、見入っていた。レイピアが空を凪ぐ音と二人の荒い息づかいだけが聞こえる。
 一方が攻め続けるだけの戦いに終わりは見えそうもないと誰もが思っていた。
 ルビーがレイピアを横に振った。チャンはかがんでよけると同時に、右手を軸にしてすばやくルビーの足を払う。 ルビーはバランスを崩してしりもちをつく。それでも攻撃の手は休めずに、勢いよくレイピアを前へつきだした。 チャンはルビーを払った足を引っ込めると、身体をのけぞらせた。レイピアにかすった髪がぱらりと二人の間を舞った。 銀色の髪は太陽の光にキラキラと反射しながら、ゆっくり地面へ落ちていく。
 チャンはのけぞったまま地面についた両手をバネ代わりにして飛び起きようとした。ところが、急に左腕がガクリと折れ曲がり、 そのままバランスを崩して左肩から地面へ倒れ込んだ。
「ちくしょう、トランスの奴……」
 左腕は、今朝方トランスにひねり上げられている。ここへ来るまでもあれだけ痛いとわめいていたのである。 腕だけで身体を支えきれるわけがない。
「ルーディー、逃げろ!」
 地面に伏せたまま、チャンが叫んだ。
 チャンが仕掛けないのは、相手のためを思ってのことではない。おそらく、今の彼には攻撃の術がないのだ。 体力的に見てもどちらが優勢かは明らかだった。
 逃げなければいけない。
 頭ではわかっているはずなのに、身体が地面に縫いつけられたかのように動かない。
 そうしている間にも、ルビーはチャンへ向かってレイピアを地面と垂直に振り下ろす。地面を転がってそれをよけたチャンは、 立ち上がった。
「はやく!」
 身体を縫いつけている糸をひきちぎるように、ルーディーはゆっくりと後ずさった。野次馬が二つに分かれ、 ルーディーの逃げ道を作る。
 自分の獲物が逃げようとしているのを見て、ルビーはルーディーの方へ大股で向かってきた。
 チャンが勢いよくルビーの足下へ飛びつく。
「行かせるかよ」
 ルビーは足を動かしてチャンの腕を振り払おうとした。しかし、効果がないとわかると、今度はレイピアの柄で彼の肩を思いっきり 打ちつけた。
「っく……」
 声が漏れ、ルビーの足を絡めていた手がゆるんだ。ルビーは目をすっと細めると、チャンを力一杯突き飛ばした。
「うわあっ」
 小さな身体は簡単に地面にたたきつけられた。砂煙が舞い上がり、チャンはそのまま動かなくなった。
「チャン!」
 ルーディーは反射的にチャンの元へ駆け寄っていった。彼は苦しそうな表情で仰向けに倒れていた。
「チャン……?」
 名前を呼んでみるものの、返事はない。
「チャン、大丈夫? 聞こえる?」
 そっと肩をたたいても、チャンは身じろぎ一つしなかった。
 ルーディーは慌てて首の横に手を触れた。きちんと脈を打っている。命に別状はないようだ。
 一安心して息を吐き出すと、首筋にひんやりとしたもの気配を感じた。ゆっくり振り返ると赤い瞳がこちらを見下ろしていた。 彼女の手に握られたレイピアの刃が自分の首筋まで伸びていた。
 ルーディーはルビーをまっすぐ見据えた。
 レイピアよりも冷たい瞳に宿されているのは憎しみ。なぜそこまで憎しみを持つのか、なぜその相手は自分なのかわからない。 ルビーを見ていると、全身がピリピリしてくる。彼女は危険だと体中が知らせる。
 本当は逃げ出したくてたまらない。
 しかし、チャンをおいて逃げるわけにはいかなかった。彼はあんなに自分を守ってくれようとしたのだから。
「なぜこんなことをするの?」
 心臓がぎゅっと握りつぶされるような威圧感に耐えながら口を開いた。まともに答えてもらえるとは思っていない。 今まで同じ問をして返ってきたのはすべて暴力だった。
 ルビーがフンと口ゆがめてはきだしたのは、予想外の答えだった。
「愚問だな。お前が一番知っているはずだ」
「えっ……?」
 ルーディーは目を見開いた。
 わからないから聞いているのに、自分が一番知っている? どういうことなのだろうか。そもそも彼女と会ったのは、 一昨日が初めてのはずなのに。
「まあ、そんなことはどうでもいいだろう。お前はこれから死ぬのだから」
 ルビーの口元がゆるんだ。赤い瞳に映るのは獲物を追いつめたときの狂喜だ。
 彼女はルーディーが逃げられないことを知っている。
 もったいぶるかのように、ルビーはゆっくりとレイピアを振りかざした。
 恐い。その感情とは裏腹に、妙に落ち着いている自分がいた。わめくわけでも投げやりになるわけでもなく、 自分の死の瞬間を待っている自分が。
 ルーディーは身を固くして目をぎゅっとつぶった。
「これで終わりだな」
 レイピアが振り下ろされ、空を斬る音がした。

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