き月の民
HOME / NOVEL / 朱き月の民
≪BACK  NEXT≫

第1章
第11話  商業都市にて
「いってー。骨が折れるかと思ったよ」
 腕をさすりながら、大声でそう言ったのはチャンだった。
「自業自得だ」
 チャンの腕を痛めつけた張本人であるトランスの言葉は、あくまでも冷たい。
 チャンが子供に戻ってから、直食の時間まで眠りにつくことになったが、当然のことながらほとんど眠ることはできなかった。
 あの時、自分の目の前でチャンは少年から子供の姿へ変わった。時間を急速に巻き戻しているかのような、不自然な現象。 そして彼がどのように成長してきたかがよくわかる自然な姿の変化。その事実をすんなり受け入れて眠れと言う方に無理がある。
 平然としているのはチャンだけだった。チャンの様子があまりに昨日と変わらないために、今朝方までの少年の姿は幻だったのでは ないかという気さえしてくる。
「昨日も最初は言おうと思ってたんだよ。だけどさー、何となく言う機会のがしちゃってさ。 言っても信じてもらえなかっただろうし」
 何が言う機会を逃したというのか。昨日、部屋のもので遊ぶだけ遊んで宿をでていったのはどこの誰だったか。
「言われたところですぐに信じはしないだろうが、痛い目を見なくてすんだかもしれないな。 不審に思われるようなことをするのが悪い」
「だからって、トランスもやりすぎだよ」
 オレの腕こんなに細いのに、とチャンは再び腕をさすった。同時に一つ大きなあくびをした。
「……なんかオレ、眠たくなった」
 そのまま後部座席に横になってしまった。小さなチャンは少し膝を折るだけで、座席におさまってしまう。 しばらくすると、すーすーと寝息が聞こえてきた。
「ずいぶん調子のいい奴だな」
 チャンのものが移ったのか、トランスはあくびをかみ殺した。
「ルーディーも眠かったら寝ててかまわないから」
「トランスは大丈夫なの?」
「……事故は起こさない」
 決して大丈夫だとは言わなかった。しかも答えるまでの間が気になる。
 本当は眠たかったが、ルーディーは首を横に振らざるを得なかった。
 トランス一人に運転を任せたまま、自分も寝る勇気はとてもなかった。

「やっぱでっけーな、シュリンクは!」
 と言ったのは、説明するまでもなくチャンだった。来るまで十分眠った彼は元気を取り戻していた。
「勝手にウロウロするな」
 トランスがチャンの首根っこを捕まえる。心なしか不機嫌そうなのは、 チャンが一人だけ気持ちよさそうに眠っていたからであろう。
 トランスの真意はともあれ、行動は正しかった。
 子供のチャンがすぐに見えなくなってしまうくらい、人がひしめき合っていた。
「シュリンクは商業都市だ。今俺達のいるところが、街の入り口兼商品の出入りするところだから一番混む。 もう少し街の中に入ろう」
 トランスの声もすぐにかき消えてしまいそうだ。ルーディーは立っているだけで精一杯だった。
「迷子にならないようにしろよ」
 トランスはそう言うと、何食わぬ顔で人混みの中に入っていってしまった。
「ルーディー、ちゃんとついて来てよ」
 チャンはルーディーの腕をつかんで、トランスの後を追いかけた。
 トランスは慣れているのか、うまく人の流れをつかんでその間をすり抜けていく。チャンは小さい体を活かしてトランスの後を追う。 ルーディーは人混みの流を妨げながら、チャンにずるずると引っぱられていくだけだった。人にぶつかるのはしょっちゅう、 踏んだり蹴られたりしながらチャンの小さな手に導かれていた。
 たかが人混み、されど人混み。ただ、人が多いというだけなのに、その中を通り抜けるのはこんなにも大変なのかと思い知らされた。 ちょっと気を緩めると、窒息してしまいそうだ。
 それは突然終わりを告げた。
 あれだけ四方八方から押されていたのに、急に自分のまわりに空間ができていたのである。 ようやく人混みを抜けたのだと気付くまでにしばらく時間がかかった。
「ルーディー、大丈夫か?」
 よほど疲れた顔をしていたのか、チャンがルーディーを下からのぞき込んだ。
「うん、ありがと」
 初めての経験でおどろきはしたが、少し休めば大丈夫だろう。
 チャンの先に視線をやるとあるべきものの姿が見えなかった。
「トランスは?」
 チャンはルーディーとつないでいない方の手をぎゅっと握ると地団駄を踏んだ。
「あのバカ! 自分で言っておきながら迷子になりやがった」
 トランスについていった自分達が彼を見失ったのだから、本来はルーディー達が迷子になったのかもしれない。 人数的なことを考えれば、迷子になったのはトランスなのかもしれないが。
「どうするの?」
「知らないよ、あんな奴なんか」
「でも、トランスについていくんじゃないの?」
 一緒に連れて行ってくれと頼んだのはチャンの方だ。ここでチャンが「知らない」と言えば、 トランスは喜んでチャンをおいていくだろう。出会ってたった一日しか経っていないが、トランスはそういう人だ。
「うん、今はぐれると困る。何としてでも探さなきゃ」
 はじめからそう言えば、二人の関係ももっとよくなるのではないかと思う。
 ルーディーの期待をよそに、チャンは続けた。
「いざとなったら、目的地まで自力で行けるんだけどね。でも、アイツにぎゃふんと言わせないと気がすまないよ」
 二人の溝はルーディーが想像しているよりも、ずっと深いのかもしれない。
「具体的には、どうやって見つける?」
「そうだなー、ここで思いっきり暴れれば目立つし、オレ達の居場所を教えられるかな」
「トランスは見て見ぬ振りすると思うよ」
「だからさー、トランスを見つけたらでっけー声で『父ちゃん、オレと母ちゃんおいてどこ行ってたんだよ!』って叫ぶ」
 いつそんな親子関係ができたのだ。
 チャンは一人で続ける。
「でも、オレが言っただけじゃアイツ知らんぷりするだろ。だからルーディーも協力してよ。『私より若いだけのあの子の方がいいの?』 ってトランスにすがりつけばいいから」
「……遠慮しとく」
――そんな協力はしたくない、絶対に。そもそも、どういう設定なのだろう。
 チャンは真顔でルーディーをじっと見上げた。
「冗談だよ」
「……は?」
「冗談冗談。そんなことしないよ。だいたいルーディーは母ちゃんにしては若すぎるでしょ」
 それはルーディーも考えていた。同時に全身の力が抜けた。本当にあんな役で三文芝居をやらされたら……考えるだけで恐ろしい。
「そんなことをした日には、それこそトランスにおいてかれちゃうよ。オレとしては向こうに着いてからじっくりぎゃふんと 言わせるべきだと思うんだよね」
 トランスへの復讐心はスコップで掘っただけでは抜けないほど、根深いものらしい。
「ま。トランスを探す方法を考えながら街でも歩こう。せっかくでかい街に来たんだから、見とかなきゃもったいねえよ。 それになんとなくアテはあるんだ」
 チャンに手を引かれてルーディーは歩き出した。
 シュリンクは大都市なだけに少々変わった造りをしている。
 街の真ん中にある広場を中心に放射状に車の通る大通りが走っている。大通りをつなぐのはいくつかの環状線。 大通りの一本脇にある商店街は車が入ることはできない。
 二人は商店街を歩いた。通りにはひっきりなしに店が並び、さらにその前に露店商がいた。
 チャンは露店から露店へちょこまかと動く。彼が興味を示すのはほとんど食べ物だった。物珍しそうな顔をして歩いているチャンは、 普通の子供だった。とても、政府やサカキ族に詳しくて、自分と同い年くらいには見えない。
 商店街から別の広い通りへ折れてしばらくしてからだった。
 急に後ろの方が騒がしくなった。その中に女の怒声が混じっているのが聞き取れる。
「けんかでもしてるのかな?」
「かもな。この街は露店が多いし、値段交渉でもめてんじゃないの?」
 しかし、二人の予想に反して、声はどんどん近づいてきている。女の声が「どけ」とか「邪魔だ」とか言っているあたりから、 無理矢理人をかきわけてこちらへやってきているのだろう。
「とばっちりくらわねえように、道の端にいた方がいいかもね」
 振り向いたのはなんとなくであった。道ばたで怒鳴る女に興味があったというのも事実である。
 ルーディーはそのまま動けなくなった。手足を動かすどころか、視線すらずらせない。背中を嫌な汗が伝った。
 ルーディーの変化に気付いたチャンが、ルーディーの手をぎゅっと握りしめた。
「どうしたの?」
 ルーディーはチャンの声が聞こえていないかのように、ただ自分の方へ近づいてくる人影を見つめていた。
 そこら中に罵声を浴びせながら、こちらへやってきたのは少女だった。
 お互いの顔がはっきり見えるところまで来ると、彼女は立ち止まった。相当無茶をしてやってきたのか、髪は乱れていた。 ルーディーと視線を合わせると、彼女は口元だけで嗤った。
「やっと、見つけた」
 背格好も、薄茶色の髪もルーディーと似ている。異なっているのは相手が黒い服を身にまとっていることと、印象的な瞳。 無機質に光る赤い瞳。
 忘れようもない。ルーディーを襲ってきた少女だ。
 ルーディーは少女を見て、声を失った。
――アズの言ったことは本当だったんだ。
 似ていた。まるで鏡の中の自分を見ているようだ。自覚できるくらい、少女とルーディーは似ていた。
「ねえ。あいつ、ルーディーに……」
 チャンも同じことを感じたようだ。もしかしたら、ルーディーと同じように目を見開いているかもしれない。
 少女は一昨日とは違う点が二つあった。今は乱れてしまっているが、毛先を三つ編みにしていること。そして、 腰に帯びているぶっそうなもの。
 彼女は普通の道ばたであることも気にせず、腰につけた鞘からレイピアを引き抜いた。レイピアは太陽の光に反射して、 直視できないくらいに光り輝いている。
 まわりの人々がざわめいた。無理もないだろう。こんな人通りの多いところで、剣を引き抜く人など普通はいない。
 まわりの様子には全く無関心で、少女にはルーディーしか見えていないようだった。彼女はレイピアをルーディーの方へ まっすぐ向けた。
 そして、少女の抑えた声が響き渡る。
「我が名はルビー、お前を殺す」

≪BACK  NEXT≫
HOME / NOVEL / 朱き月の民

(C)2002〜2003 Akemi Kusuzawa All rights reserved...