き月の民
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第1章
第10話  少年の秘密
 黒い肌に銀髪、漆黒の瞳は確かにチャンと共通している。
 しかし、チャンは子供だ。今、目の前にいるのはどう見てもルーディーと同い年くらいの少年だった。
「ふざけるな」
 トランスは再び少年の腕をひねりあげ始めた。
「痛い! ふざけてない。ホント、オレだよ」
「真面目に答えろ」
 少年は悲痛な面もちでルーディーの方を見た。
「ルーディー、サカキ族としてフォローを入れてくれ」
 トランスだけでなく、ルーディーの名前まで出てきて二人は顔を見合わせた。二人は昨日が初対面で、 それまでは全く関わったことがない。その二人を両方知っているのは、あとから加わったチャンだけだ。 少なくともルーディーの考えられる範囲では。しかも、ルーディーがサカキ族であるということまで知っている。
 そうとなれば考えられることは二つ。一つは少年がなんかしらの方法を使って、チャンから二人のことを聞き出した。 もう一つは、少年の言っていることが本当でこの少年はチャンである。
 しかし、それよりも気になる台詞があった。
「サカキ族として、ってどううこと?」
「ルーディーが知るわけないよね……」
 少年の表情はさらに、悲しみを帯びた。
 トランスの容赦ない対応に少年がかわいそうに思えてきた。彼があのチャンだと言われても信じがたいが、悪人にも見えない。 それに変な行動を起こせば、命も危ないということを少年は身をもって体験しただろう。
「ねえ、話だけでも聞いてあげたら?」
 少年の顔が一瞬にして華やいだ。
 ずいぶん現金だ。
「下手なまねはしないと誓えるか?」
 少年はこくこくと大きく頷いた。
 そこでようやくトランスは少年から手を離した。といっても、銃口は少年に向けたままであったが。
 少年はひねりあげられていた腕をいたわるようにさすった。
「ああ、痛かった。……で、何から話せばいいと思う?」
 ぎろりとトランスに睨まれ、少年はルーディーのうしろに隠れようとした。
「動くな」
「大丈夫だよ。逃げない逃げない。ホントに何から話したらいいのかわかんねえんだよ」
 少年は意を決したように、その場にあぐらをかいて座り込んだ。
「オレは本物のチャンだ。ただ、昼と夜で姿が違うだけ」
「そんなことがあるわけないだろう」
 無意識にルーディーも頷いていた。
 ただ、自分のこともあったから少年の言うことを完全に否定するわけにもいかなかった。
「ほら、昼間オレは言ったでしょ。世の中ありえないことなんていくらでもある、って」
 トランスがちらりとルーディーの方を見た。
「証拠はあるのか?」
「証拠……あるにはあるけど、夜明けまで待ってもらわないとムリ」
 部屋に掛かっている時計を見ると、夜明けまで二時間ほどある。
「まだ、時間があるな」
「そんなこと言われたって、夜明けまで待ってもらわないと証拠の見せようがない」
 銃口はそのままで、トランスは近くにあった椅子を引き寄せて座った。
「ルーディー、別に寝ててもかまわないぞ」
 トランスにそう言われたものの、ルーディーには寝るつもりはなかった。この状況で一人寝るわけにもいかないし、 少年の言うことも気になる。
 ルーディーは「大丈夫」と言って、自分の眠っていたベッドに腰掛けた。
「ねえ、夜明けまで待たなきゃいけないってどういうこと?」
「オレはねぇ、陽が昇っているときは子供の姿で、夜になるとこっちの姿になるの」
 トランスが眉をひそめた。
「信じられないのはわかるけどさ、そんなことがあるんだよ。純粋なサカキ族はある程度の年齢まで、二つの姿をとることが多いんだよ。 普通は二つの人格をもってることが多いんだけどね。二重人格って言ってもお互いの人格を認め合って、うまく成長していくの。 オレの場合は姿が二つあるだけ」
「ある程度の年齢までっていうのは?」
「二つの姿っていうのも正確な表現じゃないんだよね。もともとの姿があってそれに加えてもう一つの姿があるっていうのかな? それで ある程度の年齢――一族では大人になるっていって儀式をするんだけど――になると、元の姿一つだけになるの」
 想像を絶する少年の言葉に、頭がついていかなかった。
 それはトランスも同じようで、額のしわをさらに深くしていた。
「おまえの場合は?」
「どっちが元かって? こっちこっち。昼間はガキでも生きてる年数はルーディーとそんなにかわんないんじゃない? ガキにしては 賢いと思ったでしょ」
 その通りだった。チャンは見た目の年齢のわりに知識豊富だった。それに、 子供が一人でふらふらしているのもおかしいと思っていた。
「そんな民族がいるとは聞いたことがないな」
 少年は膝をとんと叩いた。
「そりゃそうだよ。普通じゃこんなことありえないもん。だからさ、昔は月からきた民族って言われてたの。 しかも、ルビーが採れるところに住んでたから『朱き月の民』ってね」
「ルビーってサカキ族のところで採れるの?」
「ルーディーだってルビーが貴重なことくらい知ってるでしょ。そんなに貴重なものを一族の証にできるのは、 ルビーが住んでるところで採れるからだよ」
 酒屋のおばさんはルビーは西で採れると言っていた。サカキ族の『聖地』も西にある。
「一説によると、もともとサカキ族って不思議な力を持った人が多い民族で、ほかの民族に気味悪がられてたんだって。 時には差別されたりもして、自己防衛本能が強くなった結果もう一つの人格が現れるようになったんだってさ。だから、 純粋なサカキ族じゃなくても、隔世遺伝で防衛本能が強くなったときだけもう一つの人格が現れる人もいるみたい」
 トランスはもう何も聞こえていないかのようにそっぽを向いていた。トランスの現実逃避したい気持ちはわからなくもない。
 昔、祖母に「サカキ族」と言われたときには、ただそういう民族がいるのだと認識していた。こんなに背景の民族だとは思っても みなかった。
「こんなにサカキ族のことを喋っちゃっていいの?」
「ルーディーはサカキ族としてそれくらい知っておいてもいいと思うし、トランスはこれから世話になるからな」
 少年に世話になると言われて、トランスが嫌そうな顔をしたのをルーディーは見逃さなかった。
「そろそろ俺の話を信じる気になった?」
 一度に色々なことを言われて、全てを理解することはできなかったが、祖母の数少ない発言と今の少年の話は一致していた。 世の中そのようなこともあるのかもしれないと思うが、実際に夜明けがくるまで結論は出しかねる。
「もし俺がサカキ族だったら、この場はもう一人の人格とやらにまかせたいな」
 ぼぞりと言ったトランスに、少年はびしっと指さした。
「トランス、オレの話を聞いてなかっただろ! もう一人の人格が現れるって言われているのはあくまでも防衛本能が高まったとき。 トランスのは単なる現実逃避……ってオレの話で現実逃避されるのも困る!」
「現実逃避ではない。昨日から俺は身の危険にさらされている気がしてならない」
 トランスはルーディーを、次の少年を見た。
 どう考えてもそれは現実逃避だろう。
 ルーディーはそう思うのだが、言うのはためらわれた。これ以上この場を引っかきまわしたくない。 自分の方こそやっかいなところに飛び込んできてしまったのではないだろうか。
 少年はキッとトランスを睨んだ。
「あー、むかつく! トランスってオレのこと邪魔だと思ってるだろ。絶対ライスコンボF注文したの根に持ってる」
 それが問題の根本なのかは怪しい。
 当のトランスは再びそっぽを向いて、何も答えなかった。完全に自分の殻に閉じこもってしまったようだ。
「ふん。別にいいよ。オレはルーディーと二人で楽しく夜明けを待つから。ルーディー、カードゲームでもして時間つぶそうぜ」
 少年はルーディーが返事をする前にカードを取り出して、慣れた手つきでカードをきり始めた。
 ルーディーは仕方なく少年のそばへ寄った。
 トランスにも一応やるか聞いてみたが、首を横に振られた。
 楽しくかどうかはわからないが、ゲームは和やかに行われた。
 まだ信じていいのかわからない少年とこんなことをやっているというのも奇妙なことではある。しかし、 少年の話を延々と聞かされたり、みんなで黙って夜明けをまったりするよりはましだ。それに眠気防止にもなる。
 それなりにゲームは盛り上がり、ルーディーに少年の正体などどうでもよくなってきた頃、少年はふと時計の方に目をやった。
「お、そろそろだな」
 少年は窓の方へ歩み寄って、カーテンを開けた。空は少しずつ白み始めていた。
 少年がのん気にしているのに対し、ルーディーとトランスの表情は少し緊張していた。 これで少年の言っていることが本当なのかどうかがわかる。大人から子供へ変化すると言われても、 どのように変化するのかすら想像できない。
 少年はカードを片付けると、部屋の中をゆっくり行ったり来たりした。少年の裸足でぺたぺた歩く音と、 時計の音が重なって部屋に響いた。
 空は少しずつ、確実に明るくなっていった。そして、東の空が赤く染まりかけた頃、それは起こった。
 最初は少年の身体が小刻みに震えたように見えた。それから身体の輪郭がぶれてきて、みるみるうちに小さくなっていった。
 そして、再び輪郭がはっきりしたとき、そこにいたのは昨日の昼一緒に行動していたあのチャンだった。
 それは一瞬の出来事であった。
 ルーディーもトランスもただチャンを見ていた。さっきまで少年であったチャンを。 非科学的なことが目の前で起こってそれを理解しようとするので精一杯だった。
 チャンはそんな二人を見てにんまりとした。
「な、オレの言うとおりだったろ」
 勝ったといわんばかりに、チャンは親指を立てて前へつきだした。
「嘘、だろ……」
 そこでようやくトランスは銃をおろし、もう片方の手で顔を覆った。

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