男は子供をじっと見据えたまま、ルーディーに問いかけた。
「あのガキを知っているか?」
「知らない」
ルーディーの答えに期待はしていなかったようで、男は表情を変えないまま子供を見つめていた。
「どういうつもりだ」
子供はジープに寄りかかった。
「別にどうでもいいじゃん。とにかくオレを本部に連れてってよ」
ルーディーはどうしたらいいかわからず、ただ男と子供を見比べていた。
子供の視線がふと男の奥の方に移った。そして少し眉をひそめる。
「ほら、早くしないと奴らが来ちゃうよ。どうせ、その姉ちゃんも連れてくつもりなんでしょ。なら、
オレだって連れてってくれたっていいじゃん。こんな健気な子供をここに見捨ててくつもり?」
男は子供に神経を傾けつつ、自分の背後を、次にルーディーを見た。それから一つため息をついた。
腰の銃から手を離した男は、ジープに向かって歩き出した。
「大丈夫なの?」
子供に聞こえないように、そっと尋ねた。
「仕方がない。お前も、ガキも、今は信じるしかない」
男が用件を飲もうとしたのがわかった子供は、八重歯をのぞかせて笑った。それから再び軽々とジープの後部座席に乗り込む。
男は背負っていたナップザックを後部座席の足下に置くと、ルーディーに助手席に乗るように促した。
ルーディーが乗ると同時に、ジープは発車した。
「しばらくは飛ばすから、しっかり捕まっていろ」
男は宣言したとおり、灰を思いっきり巻き上げてジープを運転した。
比較的交通量の多い広い道路に出た頃、ようやく男は車のスピードを落とした。
「大丈夫か?」
ルーディーは頷いた。一方子供は後方を見てから、前座席に身を乗りだした。
「奴らも追ってきてないみたいだぞ」
「そうか……」
ルーディーは首をかしげた。
今までの様子から男と子供が初対面であることは確かだ。しかし、二人とも追ってきているのが誰かをわかっているようだ。
つまり、最初から街は狙われていたということだろうか?
じゃあ、誰に――?
ルーディーの脳裏に昨晩のアズの言葉がよみがえる。そして、拳銃を突きつけてきたときの男の台詞……。
「ねえ、さっきからあなた達が言っている『奴ら』って政府軍のこと?」
子供は少し目を見開いてルーディーを見た。男はまっすぐ前を見たままだった。
「どうしてそう思った?」
「あの街を破壊したのは政府軍じゃないか、って言っている人がいた。ねえ、本当に政府のしたことなの?」
子供は困ったように男を見た。それはなんと答えたらよいのかわからないようにも、男に任せるというようにもとれた。
「お前は何も知らないのだろう。それならば、何も知らないままでいい」
「何それ?」
男は完全にルーディーの言葉を無視した。
「それよりも、お前を勝手にこっちに連れてきてしまって悪いな。行き先さえ言ってくれればきちんとそこまで連れて行くから」
親切なのか不親切なのかよくわからない。
ルーディーは流れてゆく景色を見た。道路はずっとまっすぐに延びていて、その周りは青々とした草地が広がっていた。
どうやら、この車は西へ向かっているようである。
「行く場所なんてわからない。私はあの街に住んでいたの。だから何も知らないわけにもいかない」
真実を知ったところで、ルーディーに何ができるわけでもない。自分にできるのは新しい土地で仕事を探して生きていくことだけだ。
それでも、誰があんなことをしたのかくらいは知っておきたかった。
「姉ちゃん、あの街の生き残りなんだ」
まさか生き残りがいるとは思わなかった、そんな言い方だった。
やはりあの街は元々狙われていたのだ。
運転してからずっと表情を変えなかった男が初めて嘆息した。
「それならば知る権利はあるかもな。お前の予想通り、あの街を襲ったのは政府軍だ」
心臓がぴくんと跳ね上がった気がした。予想していた答えが返ってきたにもかかわらずだ。
「何で……」
この問は無意味だとわかっていた。しかし、無意識に言葉が出てきていた。
男はかけていたゴーグルをはずして、ちらりと腕時計を見た。
「俺が言えるのはそこまでだ。もう少しで次の街に着く。そこで飯でも食いながらお前の行き先を考えよう」
街に着いてから、三人は街で一番大きな定食屋に入った。
にぎやかなところの方が、自分達の存在が目立たなくてすむ。静かなところの方が、かえって話が丸聞こえになる、と男は言った。
三人は定食屋の奥の席へ案内された。四人がけのテーブルで、ルーディーと子供が隣同士に、その向かい側に男が座った。
とぎれとぎれに聞こえる会話は、一夜にして消えた街、レスボンの話題でもちきりのようだった。
「レスボンの話、どこまで広がってるんだろうね」
誰に言うともなく、子供がつぶやいた。
男は周りの客をちらりと見やってから、二人にメニューを差し出した。
「飯代は俺が出す」
しかし、子供がニヤリとしたのを見て「ただし一品だけな」とつけ加えた。心おきなくおごってくれるわけではないらしい。
さっきから、この男が何を考えているのかがよくわからない。
わからないといえば子供もだ。政府軍に関することをルーディーよりも知っているようであるし、
こんな年の子供が一人でフラフラしているのも妙だった。
男は注文を終えると言った。
「おい」
ルーディーと子供が同時に男を見た。それからお互いに顔を見合わせる。
どちらが呼ばれたのかわからなかった。それとも両方か……。
「ガキの方」
子供の眉がピクリと上がった。
「ガキって呼ぶな! オレ様には『チャン』っていう立派な名前があるんだ!」
「ああ」と男はつぶやき、何事もなかったかのように続けた。
「悪かったな、じゃあチャン」
チャンと名乗った子供はさらに眉をつり上げ、テーブルをバンと叩いて立ち上がった。
「わかってねえな! 今、どっちに「おい」って言われたのかわからなくてオレ達は困ったんだよ。こういうとき、
普通自己紹介するでしょ」
確かにチャンの言うとおりだった。このままお互いの名前がわからないままでは同じことが繰り返されるに違いない。
なるほど、と男の表情が言っていた。
「それもそうだな。俺の名前はトランスサーバーだ。で、お前は?」
トランスサーバーはルーディーの方を見た。
「ルーディー」
子供は満足したように、座った。
「で、トランスサー……って長えよ」
「ああ、だから周りはトランスと呼んでいる」
トランス(以下略)はしれっと言って、水を飲んだ。
チャンの額に青筋が立った。
「それを早く言ってくれよ。何のために自己紹介したと思ってんだよ。……で、さっきオレを呼んだでしょ」
「ああ、そうだった」
この二人は漫才でもしているのだろうか。そんなことを考えながらルーディーは店内に目をやった。
昼時を過ぎているにもかかわらず、店内はにぎわっていた。先程からテーブルとテーブルの間をすり抜けながら、
ウェイトレスが忙しそうに動き回っている。
「チャンはなぜ俺達のことを知っている?」
ルーディーが視線を自分達のテーブルに戻すと、チャンの目がすっと細められた。
さっきまであれほどうるさかったのに、チャンはしばらく口を開こうとしなかった。こうしていると、とても子供には見えない。
チャンは首の後ろに両手をやると、カチャカチャと首についているものをはずして机の上に置いた。
「これ、何だかわかる?」
「これは……」
トランスの息をのむ音が聞こえた。
ルーディーもチャンの置いたものを見てみる。
チョーカーだった。
上品に光る金には何か文字のようなものが彫られている。そして、輪の先には直径二センチメートルはあろうかという丸い玉が
ついていた。赤く輝く玉が。
「あ、これ知ってる! ルビーでしょ。私も持ってる」
ルーディーは指輪をはめている左手をつきだした。
しかし、返ってきたのはトランスの冷たい一言だった。
「これのどこがルビーなんだ?」
「え? ほら、この赤い……あーっ!!」
ルーディーの叫び声に、店内にいた客はいっせいにルーディーの方を見た。
「何でもないです。すみません」
少し顔を赤らめて客達に謝ったのはトランスだった。「バカ」とチャンがつぶやく。
ところが、叫んだ当のルーディーはそれどころではなかった。
「ないの! 私のもルビーがついてるのに色がなくなってるの!」
ルーディーはもう一度よく指輪を見た。一緒にトランスとチャンも指輪をのぞき込む。
指輪に填っている宝石は、店内の明かりに反射してきらきらと、確かに透明に輝いていた。
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朱き月の民