き月の民
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第1章
第6話  出会い
 翌朝、ルーディーが起きると、アズの姿が消えていた。
『あなたを一人残していくことを申し訳なく思っています。また会いましょう』
 砂の上にそうメッセージが残っていた。
 アズとはこれからともに行動できると期待していただけにショックだった。
 しかし、文面には『また会いましょう』とある。ルーディーを完全に見捨てたわけでもないようだ。 彼女には彼女の都合があるのだろう、そう思うことにした。
――昨日起きた全てのことは夢だったかもしれない。
 そう期待して街の方を見てみたが、そこにはただ平地が広がるばかりだった。
 無意識のうちにため息がでた。同時に空腹感に襲われた。
 昨日の夕食はほとんど食べられなかったから、昨日の昼食からろくに食べていないことになる。
 昨晩アズと話して寝たことから、気分はだいぶ落ち着いていた。少なくとも、食事くらいはできるくらいには。
 ルーディーはナップザックの中につまっていた簡易食を適当につまみながら、これからどうするべきかを考えた。
 祖父母はすでに全員他界している。母に妹がいると聞いたことがあるが、はるか北の方に住んでいるとかでルーディーも数回しか 会ったことがない。他の親戚も、遠くにいるとしか聞いたことがない。ルーディーが働かせてもらっていた雑貨店は街の中にあったし、 ルーディーの友達や知り合いも街の人ばかりだった。つまり、今すぐに街の外で頼れそうな人はいなかった。
 これから生きていくには、どこか別の街に行き、住み込みの職を探すしかなかった。
 世間では、十五歳まで義務教育を受けることになっている。義務教育を終えると大人と見なされ、自由に職業を持つことが許される。 もっと専門的な知識をつけたい人に関しては、専門大学校へ行くことができた。
 ルーディーはすでに義務教育を終えていたから、住もうと思えばどこへ行っても働いて生きていくことができた。
 そういう状況の下、ルーディーが思いついたのはもう一度街へ戻ってみることだった。
 昨日は夜で暗かったため、街の様子をはっきりと見ることができなかった。明るいところで、 街がどうなっているのかきちんと見たかった。それに、ルーディーと同じように生き残った街の人が戻ってきているかもしれない。
 食事を終え、ナップザックを背負って街の方へ歩き出した。
 昨日の街の様子を思い出すと、街へ向かう足取りは重くなった。それでも、一歩一歩灰の積もった地面を踏みしめて歩いていった。

 街はほぼ消炎していた。
 まだ熱だけが地面の隙間をぬって地上に放たれていた。煙もところどころから湧き出ていた。
 静かだった。
 このまま耳をすませば、熱や煙の音が聞こえてきそうだ。
 やはり、人がいた形跡は残っていなかった。わずかに建物の断片らしきものと、土を踏みしめたときの湿気を含んだ生暖かい熱だけが、 昨晩の出来事の生々しさを伝えていた。
 自分の家族はまだ生きているかもしれない。
 期待してはいけないとわかりつつ、足は家のあった方に向かっていた。
 大きな穴のあいているところでルーディーは立ち止まった。
 穴の真ん中から、昨日よりも細いながらも、煙が立ち上っている。
 噴きだされる煙を目で追っていくと、空に千切ったようにおかれている白い雲にぶちあたった。
 今日は晴れているんだ、そう思った。
 太陽はすでに高く昇っている。空は吸い込まれそうな青色に染まっていた。そして、 平たくなってしまった大地とどこまでも平行に広がっていた。後ろから照りつける太陽は熱いくらいで、 ルーディーの背中をじりじりと灼いていた。
 また、新しい一日が始まるんだ。
 そう思いつつも、何を見ても思い出すのは昨晩の街が焼けてなくなっていく、魔の光景だった。
 鼓膜が破れるような音、街を焼き尽くす音、鼻を覆い尽くす臭い……。
 つい思考がそっちの方に偏ってしまった。そのために、背後から人が近づいてきたことに気付かなかった。
 ルーディーが気がついたときには、影はルーディーの背後に迫っていた。硬いものが背中に軽く触れられた。
「そこで何をしている」
 低く透きとおった、抑揚のない声が頭の上から聞こえてきた。
 ルーディーは自分の背中に当てられているものが何であるかすぐに想像できた。
 手足の先が一気に冷たくなった。
 昨晩、赤瞳の少女に襲われたときの恐怖が再び襲ってきた。
 あの時は一度死を覚悟したつもりだった。しかし、人間とは呑気なものである。一度死を逃れると、 もう自分には関係ないものだと思ってしまうらしい。もしくは昨晩は精神的に混乱していたから、死を覚悟できたのかもしれない。
 だから、改められて死を突きつけられると恐かった。
――ただ街の様子を見に来ただけ。
 そう言ったらこの男はどう反応するだろう。信じてもらえるだろうか。それとも、この街の生き残りだと知って……。
 ストンと視界が低くなった。膝の力が抜けていた。
 背中に触れられていた硬いものは、頭の上に移った。
 両腕で肩を抱きしめた。肩が震えていた。ただひたすら自分の目の前に映る男の影を見ていることしかできなかった。
 沈黙が続いた。
 男は動こうとしなかった。
 一方、ルーディーは動くことができなかった。必要以上に背中が汗ばむのは、照りつける太陽だけのせいではないだろう。
 先に沈黙を破ったのは、男の方だった。
「軍の者ではないのか?」
 さっきよりも少し人間を帯びた声だった。
 現在、軍といえば政府軍しかいない。
――軍? なぜまたここで政府軍の名がでてくるのだろう。  昨晩、アズは言った。この街を襲ったのは政府軍かもしれない、と。それと何か関係があるのだろうか。
「お前は軍の者ではないのか?」
 返事のないルーディーに対し、男は同じ問をした。
 ルーディーは反射的に頷いていた。
「本当に軍の者ではないのだな」
 今度はゆっくりと、相手にはっきりわかるように頷いた。
 しばらくすると硬いものが頭から離れた。
 震えはまだ止まらない。
「驚かせたみたいだな、悪かった」
 背後から聞こえる音と、目の前に映る影で男が銃を腰のホルスターにしまっているのがわかった。
 一向に動く様子のないルーディーを見て、男は言った。
「立てるか?」
 安堵のあまり放心していたルーディーは、相手の言葉に反応するまでに時間はかかったものの、きちんと自力で立つことができた。
 そこでルーディーは振り返って、初めて相手を見た。
 背が高く、日焼けして身体つきのがっしりした男だった。伸びかけの黒髪は、金色のメッシュが入っている。 黒いTシャツに迷彩柄のズボン。さっきまでルーディーに突きつけられていた銃は、腰のホルスターに収まっていた。 大きな頬の傷の跡が印象的である。かすって作られたものではないことが見てとれた。
「ここで何をしていた?」
 また同じ問いがされたが、先程とは全く違い優しい声だった。
 ルーディーは答えなかった。何と言ったらいいのかわからなかったのと、この男がまだ信用できるかわからなかったためだ。
 その代わり、逆に聞き返した。
「あなたは何故ここにいるの?」
「少しばかり、用があってな」
 男は真顔で答えた。
「何? その答えは。用もないのに、こんな小さな街に来るわけない……」
 ルーディーは男に文句を言おうとしたが、男がじっとルーディーを見つめているのに気づいて口をつぐんだ。
 男はルーディーの言葉をろくに聞いていなかったようで、再び真剣な顔で言った。
「誰だ?」
「え? 何が?」
「誰にやられた?」
 男はルーディーの首を指さした。
「誰かお前を絞め殺そうとしただろう」
 首を絞められたことを思い出して身体が強ばる。しかし、男に動揺しているのを悟られたくなかったため、 できるだけ冷静をよそおって答えた。
「私と同い年くらいの女の子。でも、知らない人」
「心当たりは?」
「ない」
 男はルーディーの頭のてっぺんからつま先までじっくり見つめた。そして、ポケットの中にあるものを取りだしてルーディーに 差し出した。
「これをつけろ」
 バンダナだった。
「首に跡が残っている」
 何を考えているのかわからないが、悪い人でもないようである。
「ありがと」
 ルーディーは素直にバンダナを受け取った。
 ルーディーが首にバンダナを巻いていると、男は言った。
「これからどうするつもりだ?」
 街に来てみようと思って来てみたものの、それからどうするのかを考えていなかった。金はほとんどないし、 食料も数日分しかない。食料がつきるまでに、他の街へ行って仕事を見つけなければならない。
 ルーディーがどうしようか考えていると、男の表情がだんだん険しくなっていった。
「どうかしたの?」
 男は自分の唇に人差し指をあてて「静かにしろ」と合図した。それから、 バンダナを出したのとは反対のポケットからサングラスのようなゴーグルを出してかけた。
 ルーディーは周りを見回してみたが、何も見えなかった。
「その荷物を貸せ」
 ルーディーが返事をする前に、男はルーディーの背負っていたナップザックをとりあげ自分の肩に担いた。
「行くぞ」
 何が起こったのかわからないルーディーの腕をとって、男は走り出した。
「え? 何?」
「とにかく走れ」
 男は振り向きもせず、ただひたすら走った。ルーディーは比較的足の速い方だが、それでもついていくのに必至だった。
 男に半ば引きずられるかたちで走っていくと、前方にジープが止めてあるのが見えてきた。
 ジープに近づくにつれ、小さな影が乗っているのもわかった。
 男は小さな影に気づくと走るのをやめて、ルーディーの腕から手を離した。そのままホルスターの銃に手をかける。
 男の知り合いかと思ったが、違うようである。
 男は銃に手をかけたまま、ゆっくりとジープに向かって歩き出した。ルーディーは男の数歩後ろをついていった。
 ジープに乗っている影は、じっと二人を見ていた。
 相手の顔がはっきり見えるところで、男は立ち止まった。
 同時に相手はひょいと身軽にジープから飛び降りた。
 子供だった。
 アズと同じ黒い肌に銀色の髪。瞳は漆黒。年齢はルーディーの妹と同じくらいだろうか。白いマントのようなものを首からすっぽり かぶっていて、その下から出ている足は細かった。
 緊張感の漂う男とルーディーに対し、ジープに乗っている人物は余裕の表情で頭の後ろで両手を組んでいた。
 子供は銃にちらりと視線をやってから、男に視線を戻して言った。
「あんた、AG-ORGの人でしょ。オレも本部に連れてって」

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