ルーディーと銀髪の少女はルーディーがバイクを置き去ったところまで来ていた。街の中はあまりに異臭がしたのと、
食料がナップザックの中にしかなかったからである。少女はルーディーの精神的なことも考慮してくれていたようだった。
確かに、今あの街にいるのはつらかった。
ここに来るまで、二人は誰にも会わなかった。
あんなに大きな音がしたのだから、隣街の人々がこの異変に気づいていないわけがない。きっと事が起きたときに近くまで見に来た人
はいたのだろう。しかし、事の重大さがわかると慌てて自分の街に戻っていったのに違いない。
今頃隣街の全員が避難しているということもありうる。
なぜ助けようとしてくれなかったのかと、隣町の人々を責めることはできなかった。誰だって自分の身を守るので精一杯なのだ。
少々すすけていたが、バイクも、放られたままのナップザックもそのままそこにあった。
あたりは完全に暗くなっていたため、簡易ライトを出して二人は並んで座った。
ルーディーは空腹ではあったが、食事をする気にはなれなかった。それでも、少女のすすめでスープを冷たいまま飲んだ。
銀髪の少女はアズと名乗った。
肌は黒く、絹のような透きとおる銀髪は腰までとどこうとしていた。水色の瞳を持つ顔は誰が見ても美しいといえるものであった。
近くでよく見てみると、少女という年齢ではなさそうだった。ルーディーより少し年上のようだ。
ルーディーは今までに何が起こったのかをアズに説明した。
「そう、そんなことがあったのね」
アズはずっとルーディーに向けていた視線をランプの方に移した。
「誰がこんな事をしたのかな?」
アズ返事をしなかった。
簡易ランプに照らされて光る長いまつげが、少し伏せられた。
「誰だか知ってるの?」
何も知らなかったら「知らない」とはっきり言うはずだ。
「……はっきりとは言いきれないけど」
アズは一息おいてから言った。
「おそらく政府軍じゃないかしら」
「政府軍が? なんで?」
政府が自治体同士のもめごとを解決する立場にあるのは、そのずばぬけた軍事力にある。政府が仲介役に入るということは、
暗にどちらかが折れないならば軍事力を行使するということを言っていた。一気に一つの街を焼き尽くすだけの力を持っているのは
政府くらいだろう。
しかし、政府軍本部ははるか西の方にある。
ニュースでも滅多に聞かないくらい、遠い存在だ。まして、ルーディーの住んでいる田舎街とは何の関係があるのだろう。
「わからないわ」
アズは嘘を言っているわけではなさそうだ。
「誰かこの街に政府と係わっている人がいたのかも知れないわ」
「そんな……」
「もしくは、何かの見せしめか……」
その可能性のどちらも、ルーディーには考えられないことだった。
「じゃあ、あの子も政府関係者なのかな?」
「赤い瞳の?」
「うん。やけに現れるタイミングがよかったから」
「そうね。でも、政府に……この世に赤い瞳の人がいるなんて聞いたことないわ」
アズの言うとおりだった。
赤い石でさえまれに見られるものなのだから、人の瞳で赤いというのは常識では考えられない。
「でも、政府ならそういう人の存在を隠していた可能性もあるわね」
「アズは政府に詳しいの?」
「多少、ね」
そう言うアズは少し苦しそうな表情をした。
何かいけないことを聞いてしまったか。
「どういう理由であるにしろ、ひどいよ。街全体を破壊してしまうなんて。こっちには抵抗すらできなかったんだよ」
「ええ、ひどすぎるわね」
アズはそれきり口をつぐんだ。
何も罪がないのに消えてしまった人々のことを思うとやるせなかった。
「買い物に出かけるとき、何でお父さんの言うとおりしなかったんだろう。そうすればみんな死なずにすんだかもしれないのに」
ルーディーは両足を無造作に投げ出した。アズはランプを見つめたままだ。
「こんなのひどいよ。街もみんなも消えて私だけ残るなんて。どうせなら私も一緒に……」
アズはルーディーの手に自分の手をそっと重ねた。
悲しそうな、しかし意志の強い瞳でルーディーを見つめ首を左右に振った。
「あなたは生きる運命を背負っているのよ。あなただって死んでいた可能性があるわ。もし買い物に行かなかったら、
酒屋さんがいつもと同じご主人だったら、酒屋の奥さんの話がもう少し短かったら……死んでいた可能性の方が大きいくらいよ。
それでもあなたは今生きている。そんなの偶然なんかじゃないわ。だから生きなきゃだめ」
静かにゆっくりとしゃべる声には不思議な説得力があった。
アズの言う、生きる運命がルーディーにとってどういうことなのかはわからない。
「そうだね。ごめん」
ルーディーの言葉にアズは微笑んだ。
「正直、私は何故ここにいるのかがわからない。」
アズの瞳に悲しみの色がともった。
「アズは何をしている人なの?」
さっきから気になっていたことだ。
アズはこの辺の街娘にしては上等なワンピースドレスを着ていた。それにこんなにきれいな顔立ちをしていたら、
噂くらい流れてくるはずだ。彼女の黒い肌といいこの辺の人ではないことは明らかだった。
ならば、何故この街に、しかも一人で来たのだろうか。
「ある人を捜しているの?」
「誰? 家族? 恋人?」
「わからない。私にとって大切な人なのは確かだけど」
「大切なのにわからないの?」
「ええ。どこで何をしているのか、どんな顔をしているのかもわからないわ」
「それでどうやって探すの?」
「多分、見ればわかるわ」
自分にとってどういう存在だかわからないのに、見ればわかるとは滅茶苦茶な話だ。しかし、アズは真剣な顔をしている。
記憶喪失なのだろうか。
「……何かその人について情報はないの?」
「……同じなの……」
「え?」
「私と同じ名前なの」
「その人もアズっていうの?」
アズはゆっくり頷いた。
アズの頭の動きにあわせて、髪がさらりとゆれた。
風が二人のまわり通り抜けた。
アズは立ち上がって、風の吹いていく先に目をやった。その方向には夕方まで一つの街があった。そして、
今は果てしなく平地が広がっていた。
突然、ルーディーを包む空気がピンと張りつめた。
最初は何が起きたのかわからなかった。
全身に鳥肌が立って、表現することのできないような感情が身体の奥底から溢れてきた。
アズが歌っていた。
ルーディーの聞いたことのない歌だった。よく聞いてみると、言葉もルーディーの知らないものだった。
彼女の華奢な身体からは想像のできない、しっかりとしたメゾソプラノ。
大きく包んでくれるように優しく、限りなく悲しい。
シンプルな白のワンピースドレスと銀色の長い髪が、闇によく映えていた。
昔本で見た月の女神様のようだとルーディーは思った。
一曲歌い終わると、アズはぽつりと言った。
「歌を歌うの」
アズの歌に聴き惚れていたルーディーは、アズの言葉にとっさに反応できなかった。
「歌?」
「そう。鎮魂歌」
アズはルーディーにかまわず続けた。
「私は様々な街で鎮魂歌を歌っているの」
「普通の歌は歌わないの?」
「歌わなくはないわ。でも、不思議なのよね。気づくとそういう状況に出くわしているの。だから私が歌うのは鎮魂歌ばかり」
アズは自嘲気味に笑った。
辛いのは自分だけではない。彼女もいろいろ辛い思いをしてきているに違いない。
「私にはこれしかできない」
そう言って、アズはもう一度街のあった方へ身体を向けると、先程と同じように歌い出した。
再び空気が不思議な感覚に包まれる。
風下に街がある。この風に乗ってアズの歌声は街までとどくだろう。
ルーディーが空を見上げると、月が静かに二人を照らしていた。
この月は昨日も大地を照らしていた。そしてこれからも照らし続けるはずである。それとも街と同じように、
ある日突然消え去ってしまうのだろうか。
ルーディーは家を出るときに母親に渡されたお守りを取り出した。
確かに数時間前まで自分の家族は生きていたのだ。気をつけて、と言われた自分の方が生き残っている。
なんて、皮肉なことだろう。
――悲しいときは月に願いなさい。
遠くで祖母の声が聞こえた気がした。
アズの大切な人が見つかりますように。
街の人々がアズの歌で少しでも救われますように。
でも。違う。
アズによって、彼女の歌によって、一番救われたのは自分だ。
アズをじっと見つめていると、池に石をおとした時のようにゆらゆらと彼女のシルエットがゆがんだ。
涙が止まらなかった。
ルーディーは膝を抱えて、ただひたすらアズの歌に身をゆだねた。
アズはルーディーのことに気づいているのか、いないのか、声の調子を変えることなく歌い続けた。
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朱き月の民