き月の民
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第1章
第4話  赤い瞳の少女
「誰?」
 さっきまで誰もいなかったはずだ。あんなに大声で叫んでも誰も返事をしてくれなかった。それなのに、 確かにそこに人が立っていた。
 その人影はしっかり地面を踏みしめながら、ゆっくりルーディーの方へ近づいてくる。
 自分と同じようなシャギーの入った肩までの髪が火にあたって赤く染まっている。少しやせ形の体躯は黒い服に包まれていた。 何よりも印象的なのは真っ赤に輝く瞳。火の輝きに染まって赤いのではなく、もともと赤いのだ。 それは自分の指輪に付いている石と同じような輝きを持っていた。人の瞳にしては無機質的な光り方をしている。
 見たことのない人だ。どこから来たのかは知らない。少なくともこの街の人ではない。
 火を背にしているため、顔は暗くて表情はよく読めない。
 その人はルーディーの目の前まで来て、ルーディーを見下ろした。
 相変わらず顔はよく見えないが、赤い二つの目だけが爛々と光っている。自分と同い年くらいだろうか。
 ルーディーと少女の目があった。
 バチリ、体中に電流が走るような刺激があった。
 その次に来たのは、悪寒。
「あなたは誰?」
 声が震えそうになるのを抑えてルーディーは言った。
 少女は目を細めただけで何も言わなかった。
 その刹那。
「うっ……」
 ルーディーは腰に痛みを覚え、身体が宙に舞うのを感じた。
 少女がルーディーのことを蹴ったのだと理解するまでに少々時間を要した。
 なぜ、初対面の人にいきなり蹴られるのだろう。人違いではないのだろうか。
 よろめきながら立ち上がると今度は腹を蹴られた。
「……っく」
 衝撃に耐えられず、しりもちをついてしまう。
 少女のものとは思えない力の強さだった。
 少女はじっとルーディーのことを見据えていた。炎を背にしている少女には、ルーディーの顔がよく見えているはずだ。
 彼女は明らかにルーディーのことを狙っていた。
 そして、彼女の瞳に映る感情はただ一つ。どこまでも深い憎しみ。
「ねえ? どうしてこんなことをするの? 街を壊したのもあなたなの?」
 少女は答えるかわりにルーディーの頭を殴ろうとした。ルーディーは灰で覆われた地面の上を這いずり回って逃げた。
 少女は何故こんなことをするのか。全く心当たりがなかった。赤い瞳の少女なんて見たこともなければ、噂にも聞いたことがない。
 一生懸命逃げたが、数回に一回は少女の与える攻撃を受けてしまった。かすった程度でも相当の痛みがあった。
 ルーディーの方はだんだん体力が持たなくなってきた。一方、少女の方は疲れを知らないようで攻撃が弱まる気配はない。
 そんな体力的な差があることから、ルーディーが少女に追いつめられるまでに時間はかからなかった。
 まずは髪を引っぱられた。激しく抵抗すると、思いっきり頬をぶたれた。同時に髪を握っていた手を離されたために、 仰向けに倒れてしまった。次に足を捕まれた。足をバタバタさせて必死に少女の手をはずそうとしたが、 少女の握力が強すぎてびくともしなかった。逆に抵抗するほど少女の手に力が入って 痛くなるだけだった。そして足を引きずられ少女に馬乗りされた。
 少女の両手がルーディーの首に掛かった。
 この子は自分のことを殺す気だ。
 赤い瞳に宿るのは、明らかに殺意であった。
 少しずつ少女の手に力がこもる。
 脳の中の血流が滞っているのが感じられた。脳の中でどんどん血液がたまって、頭が破裂しそうだ。
 ルーディーは少女の手を思いっきりひっかいたが、少女は顔をしかめるだけで力はちっともゆるまなかった。
 何故自分がこんな目に遭うのだろう。
 涙があふれてきて少女の顔がゆがんだ。
 それは呼吸ができないのと、何が起こっているのかわけがわからないという二つの苦しみから生まれた涙だった。
 助けて。
 誰か、助けて。
 声が出ない。本当は大きな声で叫びたいはずなのに、想いが音として出てこない。 ルーディーの頭の中に自分を助けてくれそうな人の顔が浮かんだ。
 そこで、一つの事実に気づく。
――ああ、もうみんないないんだ。
 街が燃えた時間に、家族が街から出ていた可能性はなきに等しかった。買い物に出かけたルーディーを一人残して、 遠くへ出かけてしまう家族ではない。まして、父はラスマーロを待っていた。家族はまだ生きているかもしれない、 そんな望みをうち砕いたのは皮肉なことに家族の絆だった。
 街の知り合いも、ほとんどは光に飲まれてしまっているに違いない。
 ここで抵抗して何になるのだろう。生きていたって、もう自分を愛してくれる人々はいない。 街も人も全て消えてしまったのだから。
 ルーディーの手から力が抜けた。
 ここで抵抗するよりも、このまま少女に殺されてしまった方が自分にとって幸せのような気がした。
 少女はルーディーの変化に興味はないように、同じペースで手に力を込めていく。
 お母さん、お父さん、みんなにもう少しで会えるかな……?
 視界が白くなる。
 意識が薄れてゆく。
 脳裏に家族のほほえむ姿が浮かぶ。
 その時。
「やめなさい」
 高くも低くもない凛と透き通る声が遠くから響いた。最初は空耳かと思った。
 少女の手がゆるみ、ルーディーは激しく咳きこんだ。
 少女の様子を見て第三者が現れたのだということがわかった。
 銀髪に白いドレスを着たこの場に似つかわしくない少女が、これまた似つかわしくない小型の銃を赤い瞳の少女に向けていた。
「その子から離れなさい」
 きっぱりとした命令口調だった。
 赤い瞳の少女は自分に向けられた銃とルーディーを見比べた。
 ルーディーが絞め殺されるのと、赤い瞳の少女が撃ち殺されるのでは、どちらが早いかは誰の目にも明らかだった。
 赤い瞳の少女も自分の命は惜しいらしい。
 数秒間ルーディーを睨んでから、「チッ」と舌打ちをして風の如くその場を去っていってしまった。
「大丈夫?」
 銃を下ろした銀髪の少女が駆け寄ってきた。
 また何か起きるんじゃないか、とルーディーは身体を強ばらせたが、 銀髪の少女は優しい眼差しでルーディーを見つめて先程と同じ問いをした。
「大丈夫?」
「だい……じょ…」
 さっきまで首を絞められていたために上手く声が出ずに咳き込んでしまった。
 銀髪の少女はルーディーの背中をそっとさすった。
「無理して声を出さなくていいわ。もう大丈夫だから。ところで、今の人は知り合い?」
 ルーディーは首を左右に振った。
「そう……」
 銀髪の少女は少し考えるような顔をした。
 何かあるのだろうか?
 ルーディーの不安そうな顔に気づいた銀髪の少女はもう一度微笑んだ。
「今日は私がついてるから、安心して。もう少し落ち着いたら、何があったのか教えてちょうだい。」
 この少女なら信用してもよさそうだ。
 ルーディーは黙ったまま頷いた。
「それにしても……」
 彼女は赤目の少女の去った方を見やった。
「今の子、あなたにそっくりだったわ」

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