それからも婦人の話は延々と続き、店を出た頃には日が西へ沈もうとしていた。
婦人はラスマーロ以外の酒を一切売ろうとしなかった。彼女は単なる話し好きの婦人だったようだ。
「暗くなる前に家に着くといいんだけど」
ルーディーは少しバイクのスピードを上げて家に向かった。
晩ご飯は何を作ろうかと考えながらバイクを走らせ、あと二キロ弱で家のある街に着く頃だった。
急にバイクがエンジン音をフェードアウトさせて止まってしまった。
ガソリンがなくなってしまったのだった。
つい先日給油したので大丈夫だと思っていたが、ルーディーの知らないうちに弟がバイクを拝借していたらしい。
買い物をした街で、きちんとガソリンメーターを見ておくべきだったと後悔した。
自分の住んでいる街までは直線の道を進めばいいだけだ。ここからなら肉眼でも見える。
「しょうがない、歩くか」
バイクを降りて自分の来た道を振り返る。
どう考えても隣町へ戻って給油するよりも、バイクを押して帰った方が早そうだ。
ガソリン代はきちんと弟に払わせよう。それにバイクを押して帰る自分の労働費もプラスして。
そう思った時だった。
ピカッ
背後で何かが白く光った。その光は強すぎて一瞬全てが消え去ったかのような感覚を覚える。
そのままルーディーの視界には何も映らなくなっていた。
ドォン
ほぼ同時に、耳をつんざくような音がした。雲と同じ高さの身長の巨人が、地面に拳をたたきつけたような重い音だった。
ルーディーはあわてて耳をふさいだ。それでも鼓膜が破れそうだった。
続いて襲ってきたのは強風。息ができなくなるような熱を帯びていて、何か小石か破片のようなものもバラバラと飛んできた。
重い荷物を背負っていたルーディーは、バランスがとれずに地面に膝をついた。そのまま丸くなって目をつぶり、
耳をふさいで熱風が収まるのを待っていた。
しばらくして、目が開けられるような状況になった。ゆっくりと目を開け視界がはっきりしていることを確かめる。
次に耳をふさいでいた手を少しずつ離す。まだ耳の中がわぁんわぁんと鳴っている。
最後に地面に手をつきながらゆっくり上体を起こした。座ったまま背後を振り返ってルーディーは声を失った。
自分の街に沈んだはずの夕日が落ちていた。
実際に夕日が落ちていたわけではない。夕日が落ちてきたかのように街が真っ赤に燃えていたのである。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
一時前まで見ていた街が急に赤く染まって……。
ルーディーは背負っていた荷物を放って街へ駆けだした。
ルーディーが街へ着く頃には火はほとんど下火になっていた。
消火活動が行われたためではない。あまりの火の勢いに小さな街は簡単に焼き尽くされ、
燃やすものがなくなってしまったためである。
街は見る影もなかった。
ついさっきまで建物が建っていたのに、今は瓦礫の山と化している。人が暮らしていたはずの空気は、
鼻につく嫌な臭いと熱風に満たされていた。苦しむ人の声も聞こえない、
倒れている瓦礫に刻まれた人型がかろうじて人のいた形跡を残していた。
ルーディーは自分の家のあるはずの街の中心部へ行った。
そこには何もなかった。
ごそりとえぐれたような半径数百メートルにも及ぶ大きな穴があいていた。深さも数十メートルあるのではないだろうか。
穴の中心部から太く長い煙がゆらゆらと立っている。その他の所からも細い煙が立っていた。
もわりと熱気を帯びた空気がそこから沸き上がっていた。服や髪を身体にへばりつかせている汗も一気に蒸発しそうだ。
「何が起きたの……?」
ルーディーはやっとのことでかすれる声を出した。
膝は完全にわらっているが、地面が熱すぎて膝をつくことも出来ない。
「お父さん……。お母さん……」
大きな声を出したつもりだったが、ほとんど音にならなかった。
「お父さーん、お母さーん」
今度は腹に力を入れて大きな声を出した。
両親からの返事はなかった。
次に弟と妹の名前をより大声で叫んだ。
自分の声が虚しく響き渡るだけで、やはり返事はない。人っ子一人動く気配すらない。
――ミンナドコヘイッタノ?
パチパチという火の音が最後の力を振り絞って街を燃やしていることを示していた。
――サッキマデ、ミンナゲンキダッタノニ。
灰のようなものがふわふわと宙を舞う。あてもなくさまよう虫の大群のようだった。
――ナゼコノマチガコンナコトニナルノ?
街の人々は抵抗する暇もなかったに違いない。
――ダレガコンナコトヲシタノ?
体が熱い。熱風にやられたためではない。身体の中から熱が生まれてくる。
――ナゼワタシダケガイキノコッテイルノ?
熱は全身に伝わる。
――ユルサナイ。
身体の中心で何かが沸き上がってくる。
――コンナコトヲシタノハダレダ?
そこでドロドロとしたどす黒いものが生まれていた。
――ダレガッ?
どす黒いものは少しずつルーディーの身体を這うように浸食していく。黒く濁りきった油が体の中にしみ込んでいく、
そんな感覚がする。同時に熱で身体が焼けそうだ。
何か暗いものに支配されつつあると気付いたルーディーは、ぞっとして自分の身体を抱きしめた。
――ヤダ……。
ルーディーは頭を左右に振ってうつむいた。
ルーディーの意志に反して暗いものはどんどん身体の隅まで広がっていく。
――イヤダ。
不自然に体が震えた。震えるというよりも揺れるに近いかもしれない。
押さえつけていないと、自分が何をしだすかわからなかった。自分も街の一つや二つ壊しかねない、そんな予感がした。
――コンナジブン、イヤダ。
頭がガンガンする。「ユルサナイ」「ユルサナイ」と耳の奥で憎しみに満ちた自分の声が聞こえてくる。
――イヤダ、イヤダ、イヤダ……。
暗いものに身体だけでなく意識まで乗っ取られそうになる。それは急に大きく膨れあがった。
――嫌だ! 私から出てって!
キィーン。
頭に響く音がしたかと思うと、指輪から真っ赤な光がほとばしった。放射状に伸びる赤い光はルーディーの全身を包み込む。
「ああああああっ」
全身を痛みが襲う。身体がむりやり引き裂かれるような痛みだ。ルーディーは抱きしめていた自分の身体をさらに強く抱きしめる。
立っていられなくなってドサリと膝をついて座り込む。悪魔の手が自分の体を表面からむしりとっていく、そんな気がした。
痛みが続き、意識が朦朧としてきた頃、身体の中から無数の針のようなものが飛び出すようだった。
びくん、とルーディーの身体は本人の意思とは関係なしに反った。
ルーディーの身体から赤い光が一筋、また一筋とこぼれ出す。光の筋はどんどん増え、
最後に全身から強い光がカァッと射すとそれきり静かになった。
光が収まると、ルーディーも痛みから解放された。
再び火がパチパチと燃える音が聞こえてきた。嗅覚も少しずつ回復して、その臭いにルーディーは口元を抑えた。
一体何が起きたのだろうか。
地面に手をついたまま荒くなった息を整えていると、背後でザッという土を踏む音が聞こえた。
おそるおそる振り向くと、そこに人の影が立っていた。
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朱き月の民