き月の民
HOME / NOVEL / 朱き月の民
≪BACK  NEXT≫

第1章
第2話  酒屋
 家族に頼まれたものを買っていたらナップザックがだいぶふくらんでしまった。 背中にずっしりとしたものがへばりついているような感覚だ。
 最後にメインの「ラスマーロ」を売っている店に行った。
 この店の店主はでっぷりとした中年の男であるが、今日はその妻とおぼしき人が店に出ていた。ラジオを聞いていた彼女は、 ルーディーを見つけると、夫に負けぬでっぷりとした体を揺らしてルーディーの方にやってきた。
「ラスマーロなんてずいぶん渋い趣味しているのね」
 婦人はラスマーロについて熱く語りだした。
 西に行けば行くほどいいラスマーロが作れるとか、昔は何かの儀式の時に飲んだとか、 香りがきついものほど味には癖がないとか……。
 これが商売根性から来ているものなのか、単なる話好きの成せる技なのかはわからない。
 ルーディーは相づちを打つので精一杯だった。
 婦人はラスマーロについて思う存分語ると、今度はルーディーのはめている指輪に目をつけた。
「あら、あなたずいぶん珍しい色の石を持っているのね」
 先にも述べたとおり天然で赤いものは珍しい。世の中には色々な色の石があるが、 ルーディーも自分の持っているもの以外に赤い石を見たことがない。
「こんなきれいな石、初めて見るわ。よく見ていいかしら」
 婦人はルーディーの返事を待たずに、鑑定士さながらに指輪を凝視した。別に悪いことをしているわけではないが、 じっと見つめられると緊張する。
「これ、どこで手に入れたの?」
「祖母にもらったんです」
 婦人は指輪というよりも、それについている石の方に興味があるようだった。当然といえば当然かもしれない。 珍しいのはあくまでも指輪ではなく石の方である。
 指輪をより自分の目の方に近づけた。それから半分傾きかけている太陽にすかしてみたり、 光の当たらない陰の方に持っていってみたりした。指輪をはめたままだったからルーディーの手は婦人にもてあそばれていたことになる。 とはいえ「疲れた」とも言えず、婦人になされるがままになっていた。
「まあ、羨ましいわ。小さな粒でさえ高いのに。こんなに大きなのはとてもじゃないけど買えやしないわ」
 自分の指輪の貴重性は知っている。しかし、価値までは知らなかったので興味本位で聞いてみた。
「あなた、自分の持っているものの価値くらい知っていなきゃ駄目よ。」
 婦人はルーディーが一生真面目に働いて稼いでも買えなさそうな数字を言った。
 自分の指輪を改めて見つめる。高価だとは思っていたが、そこまでの値段がするようにも見えない。
「そんなにするもんなんですか?」
「そうよ。猫目石なんかはこれと同じくらい貴重だけど、そこまでの値段はしないわ。この石は不思議な力を持つと言われているのよ。 だからその分高価なの」
「不思議な力って、どんな?」
「さあ。その不思議な力を見たって言う話は聞いたことがないから。高価だ高価だって言っても、 実際に取り引きされることなんてほとんどないのよ。それくらい目撃情報が少ないの。だからどんどん値段も跳ね上がるのよね。 これを見られたというだけでも私は幸せ者かもしれないわ」
 祖母は指輪をくれるときに「これが自分を守ってくれる」と言っていた。 祖母はこの指輪の不思議な力について何か知っていたのだろうか。
 母親もだ。家を出るときに指輪を真剣な目で見つめていた。あれは単なる偶然だったのだろうか。
 それにしてもこの指輪にそんな価値があったとは。祖母からも両親からもそんなことは一度も聞いたことがなかった。
 家に帰ったら母親に聞いてみよう。
 会話がとぎれたところで、店内にジジジジと音が響いた。
「いけない。接客中なのにラジオがつけっぱなしだわ」
 婦人はラジオのスイッチを切ろうとして、ふと手を止めた。
「どうしたんですか?」
 ルーディーは婦人の元へ近寄ると耳を澄ませてラジオから流れてくる音を聞いた。かなり雑音が混じっているが、 「政府」と言う単語が聞き取れた。
「あら、珍しいわね」
 婦人の言う珍しい、とは政府のニュースをやっているということだろう。
 政府は一つの軍をなしていて、世界をおさめているということになっている。「ということになっている」というのは、 実際はそれぞれの地方が自治体をおさめており、政府はそれに干渉していない。地方同士のもめごとに収拾がつかなくなったときに 初めて政府は仲介役として表に出る。そういったところで、特に地方同士のもめごとがない現在、政府は本部の近くの地域をおさめる 程度の存在でしかない。
 政府本部から遠いルーディーの住む地方で、政府の名前を聞くのは非常に珍しいことだった。
 相変わらず雑音の多いラジオからは、声を無理矢理張り上げるような演説が聞こえてきた。軍での最高権力者、 コールヴェル将軍のようだ。
「私、この将軍好きじゃないのよね」
 ため息混じりに婦人は言った。
 コールヴェル将軍は、中年太りでひげをたくわえている。年齢は五十代半ばから六十代だろう。 特徴的なのはいかにも軍人らしく声を張り上げているその姿だった。婦人ほどではないが、 ルーディーもどちらかというと苦手な人だった。どうも、この人の言葉は威圧的すぎるように感じられた。
 店内に響くコールヴェル将軍の声を遮るように婦人は続けた。
「でも、将軍補佐には興味あるわ。若いんですって」
 将軍補佐とはその名の通り、将軍をサポートする役割である。事務処理や将軍への取り次ぎが主な仕事ではあるが、 将軍の指南役でもあるためそれなりに経験のあるもが補佐役になることが多かった。
 若くして将軍補佐になれるというのはよほど優秀な人物なのであろう。
「若いってどれくらいなんですか?」
「さあ。三十代半ばくらいじゃないかしら。私の予想ではね、背は高くて体が引き締まってて……あ、眼鏡もかけてるといいわね」
 それは予想ではなくて婦人の希望だろう、ルーディーは苦笑した。
 婦人の表情は将軍の声が聞こえてきたときとはうって変わって、恋する乙女のものだ。婦人がうっとりしかけたところで、 政府に関するニュースが終わった。婦人はラジオのスイッチを切る。
「そんなことより、この指輪よ」
 もっと拝ませてちょうだい、そう言うと婦人は再びルーディーの指輪をじろじろと観察し始める。 婦人は今まで自分が見てきた宝石の話しを交えつつ、この指輪がどれだけ貴重なものであるかを語った。
 ルーディーはそこで大事なことを知らないことに気づいた。
「この石、なんていう名前ですか?」
「あら、そんなことも知らないの?」
 そう言う婦人の目はいらずらっ子のように笑っていた。そして、とっておきの秘密を明かすかのように、 人差し指を立てながら声をひそめて言った。
「これはね、『ルビー』っていうのよ」

≪BACK  NEXT≫
HOME / NOVEL / 朱き月の民

(C)2002 Akemi Kusuzawa All rights reserved...