年の季節
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「おい、弘」
 大学にも慣れてきて、そろそろ半袖が必要な頃だった。その日は講義が延びた上に、 電車の乗り継ぎに失敗して、俺は普段より遅い時間に地元の駅前を歩いていた。 すると後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、 そこに俺と同い年くらいの男が立っていた。 がっちりとした体格に金髪。それに似合わないつぶらな黒い瞳。
「俺のこと覚えてる?」
 そいつは親しげに俺の方に顔を近づけてきて言った。
「覚えてるよ」
 最初は誰かと思ったけど、と心の中で付け足した。
 昔はもっと色白でひょろっとしていたはずだ。つぶらな瞳だけが変わっていない。
 彼の名は武藤という。小中学時代の同級生だ。
「お前って、浪人して国立入ったんだって? すげえな。中学時代の仲間の中じゃ大騒ぎだぜ」
「武藤は?」
「俺? 平凡な大学生してますよ」
 そう言って彼は近くの私立大学の名前を挙げた。
「これから中学時代の仲間と飯食うんだけど、お前も来いよ。」
 高校も大学も地元から遠いところにあるから、中学時代の同級生ともほとんど会う事がない。 せっかくの機会だ。一緒に行くことにした。
 お互いの現在の生活を話している途中に、ふと武藤が思い出したように言った。
「あ、そうそう、鳴海も来るぜ」
 俺は武藤についてきたことを後悔した。
 鳴海慎也は中学時代、俺の親友だった。
 だった……そう、過去形である。中学卒業以来、 彼とは一度も顔を合わせていない。俺の親友だった男であり、 中学時代の知り合いでもっとも会いたくなかった男、それが鳴海慎也だった。


 もともとあった男の友情に亀裂が入るのは普通恋愛がらみだ(と俺は思っている)。
 あまり認めたくないけれど、俺達の場合もそうだった。
 きっかけは中三のある平凡な放課後。昇降口にて。慎也のたった一言。「俺、遥香に告白する」
「え?」
 俺は思わず下駄箱の扉を開ける手を止めて聞き返していた。
 慎也が遥香を好きだったなんて聞いたことがなかったし、考えたこともなかった。
 そう言ったら、
「親友なら俺のこと見てて分かってるだろ」
と、実に勝手なことをのたまった。
 うーん……そうか?
 俺は頭の中で慎也に関する記憶を並べ立てた。
 そういえば、三人で飲食店に入る時さりげなく遥香の前に座っていた。 (厳密に言うと俺と慎也はいつも並んで座っていて、その時に俺が遥香の前に座った記憶がないのだ。) 国語の時間、よく外を見ていたが、今考えればあの時間は遥香のクラスは体育の授業だった。 慎也は外ではなく遥香を見ていたのかもしれない。その他にも、疑わしいことがいろいろ出てきた。
 ただし、これらのことを見ていたからといって慎也が遥香のことを好きだったということが分 かるわけではない。言われて初めて慎也の行動の意味が分かる、というような程度のものだ。
 確かに俺と慎也は仲がよかった。だけど、何も言わなくてもお互いのことを分かり合えるよう な関係までいっていないのも事実だった。 中学からのつき合いなのだからそんなものなのかもしれない。
 俺達はいつも通りに公園の中を通って帰った。すでに小学生が鬼ごっこをして遊んでいる。
 下校途中の買い食いは校則で禁止されているにもかかわらず、慎也は自動販売機でジュースを買った。 俺も一緒にジュースを買ったかって? 俺はもちろん校則違反をする度胸なんて持ち合わせていない。
 慎也は急に立ち止まって俺の肩にぽん、と手を置いた。
「もちろん協力してくれるよな」
「協力って……」
 いつも積極的で、自分のやりたいようにしている慎也に 俺なんかが手伝うことなどないような気がした。
「告白するって言っても、心の準備が必要だろ」
 心の準備と俺は関係ないと思う。それ以前に、 決めたら即実行の慎也にとっては心の準備など必要ないはずだ。 心の準備だの俺の協力だのというのは、自分とは縁のない、 告白する前の緊張する男の気分を味わうために言っているに違いない。
「俺の恋が叶ったら、お前にも協力してやるよ」
 それは無理だと思う。だって俺の好きな人は……
 慎也は飲みきったジュースの缶を三メートル先のゴミ箱に向かって投げた。 空き缶は縁にもかすらずにすっぽりとゴミ箱の中に収まった。

 俺の好きな人の名前は伊達遥香という。
 察しの通り、慎也がこれから告白しようとしている人である。
 俺と遥香は家が隣同士で生まれたときからの幼なじみである。 幼稚園、小、中とずっと一緒で何回か同じクラスになったこともある。
 男女の幼なじみって、この年くらいになると何となく気まずくなる場合もあるみたいだけど、 俺達はそんなことはなかった。慎也も含めて三人で仲がよかったし、 よくお互いの家を行き来していた。それは単に俺が情けない男で、 遥香は俺のことを弟のようなものだと思っているだけなのかもしれない。
 はっきり言って遥香はもてた。
 とりわけ美人とか可愛いというわけではないけれど、とにかく愛嬌があった。 誰とでも気さくに話をしたし、いつも笑っていた。下手に真面目ぶったりもしなかった。 特に背筋を伸ばして、顎のあたりで切り揃えられている髪を揺らしながら 歩く姿は誰が見ても凛々しかった。
 俺はいつの頃からか遥香のことが好きなっていた。 だけど、小心者の俺に告白できるはずもなく、ただ幼なじみとして見ているだけだった。
 人前では決して愚痴をこぼさない遥香が俺の前では本音を言ってくれるだけでよかった。
 付き合いたいとか贅沢なことは言わない。 お互いのことをよく知っていて、当たり前に一緒にいられる、それだけで幸せだった。
 長い間そう思いこむことにしていた。
 俺は自分が告白することによって、そんな遥香との関係を崩してしまうのが怖かったのだ。


 慎也が告白する際の俺の役割は遥香を呼び出すことだった。
 協力するより、うまいように使われた。
 それが慎也に協力を求められた時の率直な感想だった。
 今まで三人のつき合いだったから、 遥香と慎也が二人きりでいるというようなことはほとんどなかった。 慎也が直接遥香を呼び出すより俺が呼び出した方が、 確実に遥香が来るし遥香自身も来やすいだろう、というのが慎也の意見だった。
 よく分からない理由だ。
 その日、俺は遥香の家に行った。今日は遥香の所属するテニス部が休みだったから、 彼女はもう帰宅しているはずだ。いつも通りにおばさんに声をかけて家に上がり、 遥香の部屋のドアをノックして入った。遥香はベッドにごろりと横になりながら本を読んでいた。 他の人が来たのなら慌てて起きあがるのだろうけど、 俺だと分かると寝転がったまま顔だけこっちに向けてきた。これぞ幼なじみの特権だ。
「ごめん、まだ読み切ってないんだ」
「いいよまだ。今日はそのことじゃないから……」
 遥香は俺が貸した推理小説を返してもらいに来たのだと思ったらしい。
 俺は自分の指定席、遥香の勉強机のいすに座った。
 しばらくして遥香がぽつりと言った。
「私、浦部弘だと思う」
 俺のことではない。俺のフルネームは宮越弘である。 遥香が言っているのは小説の犯人のことである。
「浦部は木島佐知子の恋人だったのよ。それで佐知子を何かの原因で殺 した高井信彦達に復讐したの」
「……」
「私の推理、当たってるの? 当たってないの?」
「さあ」
 遥香はちょっとむっとした。
「何で答えてくれないの?」
「ここで、当たってるとか当たってないとか言うとすぐ怒るじゃないか」
 自分の推理が当たっていないと遥香は無理矢理犯人を聞き出そうとするのだ。 この場合、どちらが勝つかは誰の目にも明らかである。
「当たり前じゃない。途中で犯人が分かっちゃったら、推理小説を読む意味がないもの。 その私の期待を裏切らないように答えてよ」
 そんなことは無理である。少なくとも俺には。
 遥香は外では決してこんな事は言わない。一度、こんな遥香をみんなの前で見せたいと思うけれど、 俺だけの特権を守りたいという気持ちもある。複雑な気分になるのは恋する乙女だけではないのだ。 それにしても、遥香が俺の前で言うことも、慎也並みに滅茶苦茶だ。
 慎也で思い出した。今日は遥香と楽しくおしゃべりをしに来たのではない。 慎也の伝言を伝えるために来たのだ。
「遥香……あのさ……」
「ん? 何?」
 ふとここでどのように話を切り出したらいいのか分からなくなった。
 ついでにここで慎也の用件を伝えなかったらどうだろう、と考えた。 人に遥香を呼び出してもらおうとするのが悪いのだ。
 ぼすっ。
 そんなことを考えて黙っていたら、枕が飛んできた。
「何なの?」
 遥香がじっと俺のことを見つめてきた。俺は昔からこの目に見つめられると弱い。 隠し事が出来なくなるのだ。
 それに、である。ここで俺が用件を言わなかったら、慎也は自分で遥香を呼び出すだろう。 友情を壊してまでそんなことをするのは無駄だと気付いた。
「慎也が六時に第三公園に来てほしいって」
「弘は?」
 遥香はいつものように三人で遊ぶものだと思っている。
「俺は行かない」
「ふうん、わかった。ありがと」
 一瞬でも「弘が行かないなら、私も行かない」という答えを期待してしまった自分を馬鹿だと思った。 遥香は人の約束を破ったりするような人ではないとわかっているのに。そうでなくても、 「何で弘は行かないの?」とかつっこんで聞いてほしいというのは俺のわがままなのだろうか?
 遥香が公園に向かうのに合わせて俺は家に帰った。それから自分の部屋でぼーっと外を見ていた。  視線は無意識に公園の方を向いていた。こっそり第三公園に行こうかとも思った。 しかし、自分の期待しているようになるのならともかく、 カップル誕生の瞬間を見るハメになったら自分が情けなくなるだけである。
 家でじっとしている方が賢明だった。
 俺とは違って、慎也ははっきり告白する。それだけは確かだ。遥香はそれにどう答えるのだろう?  「Yes」というのか、それとも「他に好きな人がいるから」とでも答えるのだろうか。
「馬鹿馬鹿しい」
 俺はベッドに仰向けに倒れた。そのまま天井を見つめる。 電気をつけていない部屋はやけに静かに思えた。
 今さら俺がそんなことを考えたってどうしようもないじゃないか。 まして外を眺めているだけじゃ何にもならない。
 だけど……
 俺はゆっくり起きあがって窓枠に頬杖をついた。 遥香の家の玄関がよく見えるように少し身体を乗り出すようにする。
「やっぱ……俺って馬鹿」
 やはり、二人のことが気になって仕方がなかった。
 自分にどうこうできることじゃないけれど、 少しでも早く遥香がどう答えたのかが知りたかった。
 それからしばらくの間窓から体を乗りだしたまま、二人がどんな会話を繰り広げているのか 色々なパターンを想像していた。
 正直に言うと、どのシーンも慎也が振られるという自分に都合のいいものばかりであった。
 七時前、薄暗くなってきた道の中を慎也と遥香が歩いてくるのが見えた。二人は手をつないでいた。

 後編
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