レ、カセイジン
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 話はクライマックスにさしかかっていた。
 主人公と相思相愛になった女が不治の病にかかった。彼女の願いで、二人は主人公の故郷へ行く。いつか彼の故郷で星を見ようという 約束を果たすためだった。
 スクリーンは星で埋めつくされていた。主人公の恋人は空へ向かって手をのばす。
「本当に星が多いのね」
 彼女の声は弱々しい。
「もうすぐ行くところなのに、手をのばしても届かないのね」
 その言葉に男はうつむいた。
 しばしの沈黙、のはずであった。
「うっうっ……」
 俺のすすり泣く声は映画館の一番小さいシネマのすみずみまで響きわたった。
 男だって映画を見て泣くことはある。
 高校時代の友人に、感動しやすい質で本や映画ですぐ泣く奴がいる。しかし、そういう奴は感動してしまいそうな作品は一人で見た り読んだりする。運悪く映画で感動シーンにご対面しても、泣くときはこっそりと、それが男のセオリーだ。
 ところが、火星人の奴。こっそりどころか堂々と泣きやがっている。声を抑えようとすらしない。
 恋愛ものを見ると言った時点で、どうかと思っていた。
 恋愛ものを一人で見ること自体、勇気がいる。興味があるのなら女の子と同伴で来るか、もしくはレンタルビデオを借りて一人で見る。
――おい、泣くなよ。
(おぬしは冷酷だな。ひっく……彼女は無理をして元気を装っているのだぞ。こ、このままでは、二人が哀れすぎる……)
――じゃあ、せめて声を出さずに泣いてくれ。
(む、無理だ。こんなに切ないのに、どうしておとなしく泣いていられようか)
「うっうっ……ううっ」
 火星人(に乗り移られた俺)の泣き声により、同じシネマにいた人々は思う存分クライマックスを楽しむことができなかったのでは ないだろうか。非常に申し訳ない。
 星を見に行った数日後に彼女は亡くなり、主人公がまた日常をおくりはじめたところで映画は終わった。
 エンドロールが終わり、場内が明るくなりかけた頃にそれは起こった。
「ブラボー!」
 同時に激しく手をたたく音。
 その場にいた全員が声のした方を見て目を点にした。
 火星人は立ち上がって、拍手をしていた。目からキラリと光るものがとめどなく流れている。
 でも、実際に冷たい視線を送られているのは俺。恥をかくのも俺。エンドロール中に帰った人がいたのが、せめてもの救いなのか。
――あんたさあ、何やってんだよ。
(感動したときはこうするのだとどこかで聞いたのだ)
――それは欧米のことだと思う。少なくとも日本ではしないから。恥ずかしいからやめてくれ。
(何を恥ずかしがる。外国のしきたりでもよい。わたしは感動したのだ)
「ブラボー! ブラボー!」
 奴はさらに声を大きくして叫んだ。
 もう誰でもいい。ブラボーって一体どこの国だよ、そうつっこんでくれ。
 俺の願いは届かず、冷たい視線だけをよこして人々は去っていく。人間、本当に支えてほしい時には支えてもらえないものなのかもし れない。
 ブラボー青年は当分の間、この映画館の武勇伝として語られるんだろうな……。

 後悔は絶対に先に立つことはない。「後に悔やむ」と書くのだから、当然のことなのかもしれないが。
 火星人は地球のことを学びに来たと言うが、俺は今日ほど「後悔」という言葉について学んだことはないだろう。
 火星人なんか嫌いだと叫んでしまったこと、奴に対してまともに相手にしてしまったこと、マク■ナルドに行ってしまったこと、 恋愛映画なんか見てしまったこと等々、すべてが後悔というこの二文字につながる。
 そして今現在、自暴自棄になってしまったことを後悔している。
 映画館にて失態をおかしてから、もうどうにでもなれという気分だった。だから、火星人が最後に臨海公園に行きたいと言ったときに、 深く考えずにオーケーしてしまった。
 その臨海公園は特に何があるわけでもないがわりかし有名で、映画館のある駅より二つほど離れた駅から徒歩十分のところにあった。 少し駅で寄り道をしたため、公園に着いたのは太陽が沈む頃だった。
 どんなに家族連れの多い有名な公園でも、夕方になればカップルの巣窟になる。これはある意味、日本の常識かもしれない。
 その常識に気付いてしまったのは、不覚にも公園に着いたときだった。
(ほう。カップルが、しこたまいるな)
 火星人は興味津々のようだ。
 後悔のアリ地獄に陥った俺は、どこで「しこたま」なんて表現を覚えたのかを聞く余裕もなかった。
――そうなんだ、カップルばっかりだから俺達が来るところじゃねえんだよ。帰ろうぜ。
(何を言う。これは人間の神秘だ)
――人間の神秘って……。火星人は子孫残すときどうするんだよ。
(おぬしは火星を侵略する気か? そう簡単に火星の情報を流すことはできん。今はそんなことはどうでもよいのだ)
 こんな火星人のいる星なんか、誰も侵略したくない。
 火星人は完全に興奮している。きょろきょろ辺りを見回すと、いたるところで恋人達がベタベタベタベタ……。
(海だけではなく、こんなおもしろいものを見られるとは)
 全然おもしろくないっス、独り者には。
 俺の主張は無視され、火星人はずんずん公園の奥へ入っていった。
 公園の入り口あたりにいるカップルは序の口だ。ベンチに座ったり、柵にもたれて海を眺めながら語らっている。こちらは虚しくなる だけである。
 奥へ行くほど、まあ……何というか、カップルの密着度というか、二人のボルテージも高くなってくるわけで……。こうなってくると、 二人の仲を引き裂くか、人間やめたくなってくる。
「おおうっ」
 親の心子知らずならぬ、俺の心火星人知らず。カップルが愛を深め合うのを見るたび、歓声をあげている。お熱い二人は俺を一瞥すると 、再び二人の世界に入っていく。冷たい視線を送り続けられるのも困るが、こういうのも切なくなる。
――なあ、いい加減、歓声あげるのとカップルにどんどん近づいていくのやめてくれない?
(……)
 火星人はそう言われている間も、カップルに近づきじろじろ見ている。
――こんなところで男が一人うろついてると、変態に間違われんだよ。いや、もう間違えられてるかもしれないけどさ。
(……)
――それにさ、俺みたいな奴は彼女がいないことに悲しくなってくんだよ。
(……)
 うるさく言い過ぎたか?
――……あの……できればでいいんですけど。
 火星人は空を仰いで、こぶしを強く握りしめた。
「ああ、人間ってすばらしい!」
 吠えた。
――……は? 何が?
「ありがとう地球!」
 空へ向かって大きくガッツポーズ。
 一体、何なんだ?
(はっ、まわりのカップルが、わたし達のことを見ているではないか。注目を集めすぎたな。これ以上迷惑をかけないうちに去るぞ)
 注目を集めたのはあんたです。迷惑をかけているのもあんたです。でも、変態扱いされるのは俺なんです。
 確かなのは、俺の言うことは何一つ奴に届いていなかったということか。
 火星人は公園の出口の方へ駆けていった。公園に潜むカップルは、一瞬だけ愛の語らいをやめて淋しい変態野郎の方を見たに違いない。 身体はのっとられても、背中に五寸釘で刺されているような視線は感じることができた。

 火星人は海沿いの道を走っていくと、人通りの少ないところで足を止めた。息を整えてから、おもむろに鞄の中から自分の本体を取り だした。目に光はなく、こうして見ていると、おもちゃか何かのようだ。
 身体をのっとられたときとは逆に、全身から稲妻が放たれるような刺激が起きた。ピリピリと手足の先がしびれる。それがおさま った頃に、火星人の目は再び赤く光りだした。火星人は起きあがると、首をこきこきして二、三回軽く跳んだ。
「うーん、やはり自分の身体が一番であるな」
「そりゃ、そうだろう」
 声が出た。
 火星人にならって、首を左右にこきこきした後、軽くジャンプ。動く。思い通りに動く。ラジオ体操のまねごとをしてみた。
何の抵抗もない。
 自分の身体が思い通りに動くだけで、こんなに感動できるとは。
 火星人はいつの間にか、ガードレールの上に立ってこちらを見上げていた。
「おぬしのおかげで、よい経験をさせてもらった。感謝している」
「いえ、どうも」
 急に改まれられると、今までの恨みつらみを言い逃してしまいそうになる。
「地球もなかなかよいところだな。いい思い出になった。最初の約束通り、おぬしの願いを一つだけ叶えよう」
 火星人のペースに巻き込まれて、すっかり願いを叶えてくれるという話を忘れていた。努力しないで単位がほしい。 彼女がほしい。宝くじで高額を当てたい。どれもぴんとこない。俺は何を願ったらいいのだろう。派手ではないが、 今の生活には満足している。
 困って火星人の方を見ると、目が合った。
「願いを叶えると言っても、火星人にできることも限界があるがな」
 人にのりうつれるくらいなのだから、人間よりは多くのことができるのだろう。なんたって、奴は火星から来たのだ。
 はたと、重要なことを思い出した。
 そうか。当たり前のことだけど、火星人は自分の星に帰るのか。
 俺としては散々だったが、火星人はそれなりに楽しんでいたようだ。しかし、せっかくの機会だったのだから、 もっと多くのことを経験させたかったと思う。地球のすばらしさをもっと知らせたい、というのは言い過ぎだが、 このまま別れるのもなんとなく淋しい気がする。
 考え込んでいると、下の方で何かがキラリと光った。おそらく、火星人の目だ。
「わかったぞ。おぬし、わたしにもっと地球にいてほしいと思っておるな」
 確かにそうは思ったが、なぜそんなに嬉しそうなんだ、あんたは。
「思わなくもないけど、レポート提出するんだろ? それに学校は?」
 ぬふふと奴は笑った、気がした。表情が変わらないから、俺の予想だけど。
 火星人は空を見上げた。よく見てみると、赤いはずの目が淡く青色に光っている。
 十秒ほどだったと思う。再び赤い瞳に戻ると、奴は俺にブイサインをした。
「今、レポート提出ともに学校に話をつけた。地球に留学してもよいそうだ」
 ちょっと待て。いつの間に話をつけたんだ。地球に留学って何だよ。学校もあっさり認めるなよ。ってか、俺の願いは?
「俺……金ほしい」
 そうだ。この名前のせいで減給の危機にたたされているのだ。名誉棄損だ。慰謝料払え。
「何を言う。もうおぬしの願いは叶えてやった。さっそく、おぬしの家に連れてってくれ」
 俺の家にホームステイするんですか? 相手はアメリカ人のトムじゃない。火星人などをホームステイさせる家庭がどこにある。
「♪地球〜、地球〜、地球はすばらしい〜」
 くねくねしながら、自作の歌まで歌い出した。完全に浮き足立っている。
「おぬしの家はあっちだな」
 火星人はしっかりと俺の家の方向を向いていた。おい、いつの間に人の家の場所まで知ってるんだよ。
 奴は一歩足を踏み出しかけて、ぴたりと止まる。
「そうだ、おぬしの名前を聞いていなかった」
「……加瀬井神」
「おおっ、わたしの俗称と同じではないか!」
 だから最初に言っただろ? 聞いてなかったのか? こいつ。
「うむ。運命を感じるな、神よ」
 感じなくていいです。一人で納得しないでください。ちょっとでも淋しいだなんて思った俺が馬鹿でした。
 そんな俺の気持ちをよそに火星人は一人てくてくと歩き出す。歩幅が小さいくせにやけに進むのが速い。しかし、 今はそんなことよりも追求すべきことがある。
「金だ。金! 金よこせー!」



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 1000HIT記念に出されたお題「オレ、実は火星人なんです」より。構想2ヶ月半、執筆10日。私にしてみれば早すぎる完成。
 お題のサブタイトルに「わりとダンディ」とあったのですが、どこへ消えたのか…?尚、ブラボーおじさんなる人は実在しやした。 私が見たわけではないけれど。
 2004.4.1大幅改稿。
 お題をくれたAさん、指摘をくださったMさんに感謝です。


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