レ、カセイジン
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「やーい、カセイジン」
「おい、カセイジン。聞いてるのか?」
 先ほどから両脇にいるガキども――もとい、かわいいお子さま達が、俺をつついている。指でつつくのならともかく、 とがった鉛筆の先でつついてくる。しかも、今は夏。鉛筆の先が直に腕にささるものだから正直痛い。
 俺は満面の笑みでお子さま達に言う。
「そろそろ、勉強はじめようか」
「なに言ってんだよ。カセイジンのくせになまいきだぞ」
 俺の言うことをさっぱり聞こうとしないお子さま達は再び俺の腕を鉛筆でつつく。
 お前達、ガキのくせに生意気だぞ。
 ここはK県某所にある個別指導塾。ただ今、楽しい楽しい夏期講習の真っ最中だ。俺はこの塾で講師のバイトをしている。 塾とは本来勉強をするために存在する。ところが、俺の両脇を固める二人の小学五年生の児童。さっぱり俺の言うことを聞かない。
 それもこれも名前のせいだ。
 俺の名前は加瀬井神という。
 ひらがなで書くと「かせいじん」。
 ふざけているようだが、本名だ。
 洒落でこの名前をつけられたのなら、親を恨めただろう。しかし、母親の再婚相手がたまたま加瀬井さんだったのだから、 俺の悲しみはどこにも行き場がなかった。
 そして困ったことに、塾へ通う小中学生にとってこれ以上からかいがいのない名前はなかった。塾のオーナーが「偽名を使う?」 と提案してくれたものの、時すでに遅し。カセイジン先生の存在は塾全体に広まっていた。
 結局、小五コンビはオーナーの「お母さんに言っちゃうよ」の一言でいそいそと問題集を解きはじめた。
 くそっ、俺が同じことを言ったときは「お前、日本語しゃべれるのかよ」だったくせに。
 すると、背後からオーナーに呼ばれた。
「やっぱり、あのコンビは手がかかるねえ」
「そうですね」
 俺のことをねぎらってくれるのかと期待したものの、オーナーは「でもねぇ」と逆接で言葉を続けた。
「大変だとはわかるけどさ、君ももうちょっとしっかりしてね」
 はい、すみません。

 バイトが終わってから俺は大学へ行った。借りていた本を返却するという用事が済むとそのまま門へ向かって歩き出す。
 結局、あれからもコンビに馬鹿にされっぱなしの俺であった
 近くを通りかかれば「めずらしい生き物がいる」とつつかれ、答え合わせをしようとすれば「カセイジンのくせに答えがわかるのかよ」
 わかって悪いか、このクソガキ。
 ……と雇われの身の俺が言えるわけもなく、苦笑いをするしかない。何が悲しいって、十歳も年の離れた子供に本気で殴ってやろうか と思っている自分だ。そして、一番悲しいのは「しっかりしてね」の後に付け加えられたオーナーの一言。 「このままだと減給だよ」。
 彼らをきちんと注意できない俺が悪いというのはわかっている。でも、減給というのは厳しい。何かと出費のかさむ大学生としては、 少しでもお金がほしい。
 そもそも何がいけないのか。
 俺は葉の覆い茂る、正門へと続く並木道を歩きながら考えた。
 普通、金星人とか冥王星人とは言わない。水の痕跡があったからといって、火星に人がいるなどいう仮説を立てるのが悪い。 火星だけ特別扱いするのはおかしい。宇宙人は宇宙人、それで十分じゃないか。
 俺は声を大にして言いたい。いや、この叫ばせてもらおう。すくりと立ち上がってこぶしを力一杯握りしめた。
「火星人なんか、大嫌いだー!」
 夏休みのキャンパス。俺のまわりはほぼ無人。俺の叫びは虚しく空気へ吸い込まれていった。
 と思った瞬間。
 コンッ、ぽて。
 コンッ、で頭の上に何かが落ちた。ぽて、でそれが地面に転がった。転がったものはプシューと気の抜けるような音をたてながら、 弱々しい煙をはきだした。
 よく見なくても、UFOだった。
 アンノウン・フライング・オブジェクト。和訳すると未確認飛行物体。
 お笑い番組や、中途半端なオカルト番組でよく見かけるあれだ。安っぽい作りが胡散臭さを増長させているのも番組と同じだ。 しかも、手のひらサイズなのだから「こんなんが宇宙から飛んでくるかいな」と関西芸人張りのツッコミを入れたくなってしまう。
 誰かがいたずらで投げてきたのだろうと考えていると、カポリと円盤の上のふたが開いた。
 そこで自分の目をこすった。
 現れたのはこれまた、いかにもというかんじの宇宙人(俺的に確定)であった。逆涙型の顔、大きなラグビーボール型のつり上がった 赤い目、顔の大きさに不釣り合いな細い身体。身長は十五センチくらいか。目玉●父が実際にいたらこんな感じだろう。宇宙人がUFO に収まるサイズでないというのは、この際見なかったことにしたい。
 宇宙人(俺的に略)は俺を見上げると、びしりと人に向かって指をさした。
「火星人の悪口を言うなー!」
 声の聞こえてきた方向を考えるに、この台詞は宇宙人(俺略)のものだ。なぜか日本語だ。その上、宇宙人に口を開いた形跡がない。 ここまでくると、現実逃避していいですか? としか言いようがなかった。
「まったく、今の地球の若いもんは。失礼もはなはだしいではないか。火星人を馬鹿にすると今に罰が当たるぞ」
 中高生が異世界へ迷い込んでヒーローになるのもいい。侵略にきた異星人と戦うために地球一体となるのもいい。ただ、そんなのは 漫画や映画の中だけにしてほしい。
 パンピー大学生である俺がなぜこんな奴に説教を受けなければならないのだ。
 俺の中で何かがプツリとはじけた。
「ちくしょー! 火星人のおかげで俺はこんなに苦労してんだぞ。何回でも言ってやる。火星人なんか大嫌いだ」
「一体、火星人がおぬしに何をしたというのだ。」
「俺の名前がカセイジンだからって、小学生に馬鹿にされるんだぞ。火星人さえいなきゃこんなことにはならなかったのに!」
「馬鹿者。結局わたし達に責任はないではないか。それは責任転嫁というものだ」
 ん? ……わたし達?
「あのさ、あんたどっからきたの?」
「何をいまさら。そんなの火星に決まっておろう。水星からきた火星人などいるか」
 あまりにさらりと言うもんだから、どうリアクションをしていいのかわからなかった。火星には本当に生命が存在していたのか。
「ってか、タコとかクラゲ型じゃないんだ」
 目の前にいるのは世間で言われているクラゲ頭にタコの足をつけたような火星人ではなかった。先ほども言ったように未知の生物と して出てくる宇宙人に近い。
「しっ、失礼な。あんなものと一緒にするでない。火星人はりっぱな火星人型をしておるのに」
 立派な火星人型、というのが立派な地球人の俺としてはよくわからないのだが、残念ながら火星には期待しているタコ星人は存在し ないらしい。奴の言うことが本当ならば。
 火星人が目の前にいるだなんて信じたくはない。しかし、否定するだけの材料も気力もなかった。自分の中の悪魔がささやく。 「本当か嘘かなんてどうでもいいのさ。楽しいかどうかが重要なんだ」と。
 これは神様のおぼし召しなんだと思うしかない。
「で、何でわざわざ地球まで来たの?」
 火星人ははっとすると、頭を抱えて左右を行ったり来たりしだした。
「そうだった。わたしはこんな所で油を売っている場合ではなかったのだ。行き当たりばったりで地球に来たものの、どうしようか……」
 質問の答えになってないんですけど、とは言えなかった。口を挟むのもためらわれるくらい、火星人はオロオロしていた。
 火星人はふと歩みを止めた。ゆっくりと顔を上げて俺をじっと見つめる。表情が変わらないからこれは憶測だが、ニヤリと笑った ようだった。
「せっかくだからおぬし、協力しろ。今日一日身体を貸してくれるだけでいい」
「身体を貸すって、どうやってだよ? それに名前も知らない奴なんかにほいほい貸せるもんでもねえし」
「名前? 私の名前は▼◎☆※□=◆#*♪%△$だ。交渉成立だな。身体を貸すのは簡単なことだ」
 名前は日本にはない発音ばかりでうまく聞き取れなかった。交渉もちっとも成立していない。
 抗議をしようとすると、奴と目が合った。
 目には見えない稲妻がはしったようだった。
 瞬間、火星人の目から光が消え、身体は力を失ってぱたりと倒れた。
――おい、どうしたんだよ。
 火星人に手を伸ばそうとして異変に気づいた。
 声は出ないし、体も動かない。金縛りにあったようだ。
「成功だな。多少の違和感はあるが、よしとしよう」
 俺の声だった。意志とは無関係に腕まで振っている。
――一体何が起きたんだ?
「だから言っただろう。わたしがおぬしの身体を借りているのだ。きちんと返すし、お礼におぬしの願いを一つ叶えてやるから。 では、行くかな」
 ええっ? そんな!?
 俺(の身体を借りた火星人)は地面に転がっている火星人とUFOを拾うと、俺のバッグの中に無造作に放り投げた。
 自分の身体と乗り物くらい、もうちょっとましに扱えないのだろうか?

「このハンバーガーとナゲット五個入り、ポテトのM、コーラL一つずつ。それとスマイル五つ」
 一見目立たなそうな青年の言葉に、誰もが耳を疑ったに違いない。
 マク■ナルドと言えば、ある意味有名なのがスマイル0円。メニューにもきちんと書いてあるが、普通は見て見ぬふりをする。
 それを五つも注文する青年が現れた。しかも彼はいたって真面目だ。
 スマイル五つって何だよ……。
 皆が自らの動きを止めて青年を見守った。
 お店の女の子はマニュアルで教育を受けているだけあり、うろたえたりはせずに注文されたものをテキパキとそろえていた。
「○○円になりまーす」
 当社比五倍の笑顔筋を要するためか、女の子の顔の端々は微妙に引きつっていた。
 青年は会計をすませると、二階の適当な席へ着いた。
 青年というのは、お察しの通り俺の身体を借りた火星人のことである。
 火星人はまずファーストフードを食べてみたいと言った。きちんとレクチャーをした上で店へ行ったのだが、まさかスマイルを五つ も注文するとは思わなかった。こんな展開になるんだったら、ロッテ×アやモ○バーガーに行くべきだった。
 俺は早くも、身体を貸したことを後悔していた。
「ファーストフードというものも、なかなかうまいな」
 人の心つゆ知らず、火星人は目の前にあるものをたいらげている。初めて食べるものに夢中なのか、盆の上にスマイル五つがないこ とにすら気付いていない。
――なあ、あんた人の身体を借りて何をしたいんだ?
「学校――ここでいう大学と似たようなものだ――で課外学習をして、レポートを書く課題が出たのだ。私は地球を見学しに来たのだが、 見た感想を書くより、実際に地球人として過ごしたことをレポートにした方が面白いだろう」
 火星にも学校があったのか。それよりも、学生だったってほうが驚きだけど。言葉遣いから、もっと老けているのかと思っていた。
――学校でどんな勉強してるの?
「わたしが専攻しているのは異星民族学だ」
――異星民族学? ということは火星や地球以外にも生命が存在するってことか?
「……それは言えない。下手に情報を流して火星が侵略されるようなことがあると困る」
 なんだよ、その用心深さは。火星人の方が侵略しに来た可能性だってあるのに。
「少しは黙っててくれないか。せっかくのファーストフードを味わいたいのだよ」
――……いや、黙った方がいいのはあんたの方だよ。
 いつの間にか、周囲の注目を集めていた。
――はたから見ると、青年が一人でぶつぶつ言っているようにしか見えねえんだよ。俺の声は聞こえないみたいだし。
 それがスマイル五つを頼んだ人物である。火星が侵略されると言っている。注目度はさらに高いに違いない。
(なんだ、さっきからひそひそ言われていたのはおぬしだったのか)
 俺じゃない。あんただよ、火星人。
 その後は黙って食事をさせて、なるべく早く店から出るように促した。
 道の両側には店が並んでいて、人がひしめき合っていた。少し先に見えるケン○ッキーが恨めしい。
――で、次は何をしたいんだ?
(うむ、いろいろ考えたのだが、映画を見ようかと)
 映画か。ファーストフードを食べることといい、ずいぶん地味なことをしたがるな。バンジージャンプがしたいとか言われるよ りは全然いいけど。
(どうした?)
――いや、ありきたりなことをしたがるんだなって。
(あたりまえだ。わたしは地球人の……今回は日本人学生の普通の生活を体験しに来たのだから。何か不満か?)
――ならいいんだ。映画館ならこの近くに大きいのがあるから。
 五分も歩くと、目的の映画館に着いた。
 話題沸騰中のアクションに、アニメ、ホラーなど一通りのジャンルがそろっていた。しかし、夏休みなだけに満席のものも少なくない。
(ほう、たくさん上映しているな)
――夏休みだしな。アニメは子供同伴じゃないと見れないから。
 嘘は見逃してほしい。一人で夏休みアニメ映画三本立てなどを見る勇気はない。どうせ見るのなら、自分も楽しめるものがいい。
(そうか。じゃあ、これにしよう)
 俺が教えたとおりに火星人が学割で買ったチケットは、ベタベタの恋愛ものだった。


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