東大雪急襲短編
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雪の魔法

 もうやだ。
 私は思いっきり椅子の背もたれに体重をかけてのけぞった。
 天井のシミがミトコンドリアに見える。ミトコンドリアの機能は……。
 いかん、いかん!
 今は休憩すると決めたのだ。
 こんな思想に走るのは部屋の空気が悪いせいだ、と決めつけて窓を開けた。
 寒っ。
 当たり前だ。私の目の前に広がる景色は純白の衣に包まれている。
 我ながら詩人的な表現ができたと思う。国語の論述問題もこれくらいすらすらと書ければ……。
 だから休憩中なんだってば、自分。

 世間様がクリスマス気分に浸りつつある頃、関東地方に珍しく大雪が降った。
 交通機関は見事に麻痺。我が高校もめでたく休校となった。
 しかし、である。
 ああ、何が悲しきかな受験生。
 せっかくの休校も家でのんびり過ごすわけにはいかない。
 高校生活最後の定期試験も終わり、センターを一ヶ月後に控えている現在。 受験生の本番はこれからなのだ。
 でも、聞いてください雪の精。朝から机にかじりついて、いい加減ツライのです。
――じゃあ、とっとと寝ればいいじゃん。
 雪の精にそう返されそうだが、あまり早く寝るのも恐い。私は比較的背の高い方だが、 肝っ玉は小さいのである。

 夜食の買いだしというのが表向きの理由だった。ついでに気分転換というのも重要な理由の一つである。 ただ、まっさらな雪の上を歩きたくなっただけなのでは? と聞かれたら否定のしようがないが。
 私は外に出るための服に着替え、コートのポケットに財布を入れて家を出た。
 やっぱ寒っ。
 そう思いながらも、心の奥底ではウキウキしているのはなぜだろうか。
 まだ誰も歩いていない雪の上に、自分の足跡を残していく時の嬉しさは幼い頃と変わらない。 うしろを振り向くと自分の軌跡だけが残っていて、この白い世界を独り占めした気分になる。 汚れなき世界を唯一汚すことのできる存在……それが自分とは何と気分のいいことだろう。
 そんな独裁王気分を味わいながら、コンビニへと向かった。
 一瞬だけの独裁王は気分を良くしたのか、自分が一番食べたかったものを買った。 普段は高くてなかなか手の出せないチョコレート。
 他にも小腹を満たせそうなものを少し買ってコンビニを出た。
 思ったよりも早く用が済んでしまったのが少し淋しかった。
 このまま家へ帰ってしまうのはもったいない。雪が私を呼んでいる。
 コンビニを出て少し行くと公園がある。そこならば、誰の目にも触れられず遊べるだろう。
 目下の目標は雪だるま作りだった。
 厳選した葉や枝を使って、可愛らしくかつ芸術的な雪だるまを作るのだ。
 公園の入り口に立った私は、小さな雪の玉を作った。ここから転がしていけば、公園の中央に着く 頃には胴体にちょうどいい大きさになるに違いない。
 雪の上を転がしては固め、という作業を繰り返しながら公園の中の方に入っていった。
 きれいな玉を作るのは難しい。玉を転がす角度もそうだが、固めるときに雪をたたきすぎるとせっかく の玉が崩れてしまう。
 久しぶりの感覚に、没頭してしまっていたらしい。
 べしゃり。
 右耳の上に何かが当たった。それは私の右肩を経由して、地面にポトポトと落ちた。
 何となく痛かった気がする。しばらくしてそれは冷たさからくる痛みだと気付く。
「ごめーん」
「大丈夫?」
 数人の男女が私のまわりに駆け寄ってきた。年齢も性別もバラバラ。一見して彼らに共通点は見いだ せなかった。
 一体、この人達はどこから湧いて出てきたのだろうか?
「すみません。突然人が現れるとは思わなかったので」
 三〇代の背広を着たサラリーマン風の男性が言った。
 どうやら湧いて出てしまったのは私の方だったらしい。
「大丈夫です」
 私の言葉に、その場にいた人々はホッとした表情を見せた。
 それから紅一点、厚化粧をした女の人が私の転がしていたものに目を付けた。
「あなた、もしかして雪だるま作ってた?」
「はい、まぁ」
「ねえ、せっかくだからあなたも混じりましょうよ。ちょうど人が一人足りなかったの」
 足りないって何が? しかもふらりと現れた私なんかが埋め合わせをしていいんですか! 姉さん!
 とはさすがに言えなかったので、
「はぁ……何が?」
と、何とも中途半端な返事をしてしまった。
「雪合戦さ」
「で、君が入ってくれるとちょうど六人で二チームに分けられるんだよね」
 体格のいい二〇代前半風のお兄さんに、父くらいの年齢のおじさんが続けた。
 なるほど。
「私なんかが飛び入り参加していいんですか?」
「いいのいいの。若い子が入ってくれると活気が出るから」
 男性陣がいっせいに頷いたのを見て、女性は少しあきれたような顔をした。  この人も、元はきれいだと思うんだけど。彼女はなぜこんなに厚化粧をしているのだろう。 もったいない。
「じゃあ、再開しようか。とりあえず、五分くらい玉を作る時間にしよう。それからゲーム開始で」
 おじさんの言葉に、五人は二手に分かれた。
「アンタ、こっち」
 今まで黙っていたお兄さん? おじさん? が声をかけてきた。髭を生やしているから、 年齢がよく分からない。声からするときっとお兄さんだ。
 彼はすたすたと自分の陣地へ歩いていってしまう。そのあとを慌てて追いかけた。
「あの……ルールは?」
「相手チームに当てるだけ」
 そりゃ、雪合戦なんだから相手チームに玉を当てなければ意味がない。
「もっと具体的に……」
「だから、当てるだけ」
 そんなのわかってるってば! 私が知りたいのは勝ち負けの決め方とか、一人何発まで当たって いいのかとかそういうことなのに。
 という私の主張は心の中にとどまらせておいた。だって、この人無愛想……というか恐い。
 もう一人のチームメイトであるサラリーマンにSOSの視線を送ると、 彼はにっこり笑って説明してくれた。
「要するに、ルールなんてないんです。ただ、相手に雪の玉を当てるだけ。 できるだけ人に当てて自分は当たらないようにする。勝ち負けなんてありませんよ。 便宜上チームに分けていますが」
「そんなんでいいんですか?」
「まあ、何となく始まった雪合戦ですし」
「はぁ……」
 郷に入っては郷に従え、か。
 すでに髭のお兄さんは雪の玉を作り始めていたため、私達もそれにならって玉を作り始めた。

 とにかく夢中に雪の玉を投げた気がする。
 間違って味方に当ててしまったこともあったし、その逆もあった。 髭のお兄さんに至っては敵味方関係なしに玉をぶつけていた気もするが。
 ただ、雪の玉を投げ合っているだけなのに、ついつい熱くなってしまった。
 こんなにはしゃいだのは何年ぶりだろう。
 月の光が雪に反射して、あたりは思ったよりも明るかった。 幻想的かつ神聖な雪合戦の特別会場ができていた。
 そこは年齢とか、性別とか、職業とかいった肩書きは一切関係なかった。 皆が同じ土俵の上でひたすら雪の玉を投げ合っていた。
 みんながヘトヘトになった頃、ようやく雪合戦は終了した。
 コートはびちょびちょだし、手足は完全に冷え切っていた。
 おじさんが消えたかと思うと、白いビニール袋を手にぶらさげて帰ってきた。
「そこのコンビニで肉まん買ってきたよ。私がおごるから、これで暖まろう」
「よっ、最年長」
 体育会系のお兄さんが言った。みんなが一斉に笑う。私達はありがたく肉まんをいただいた。
 あそこのコンビニの肉まんは特に美味しいわけではないのだが、この時だけは非常に美味しく感じた。 それは運動の後でお腹が減っていたからだろうか、それとも心が満たされていたからだろうか。
 肉まんを食べながら、お姉さんが雪合戦の始まった経緯を教えてくれた。
 最初、体育会系のお兄さんが雪だるまを作っていたのだそうだ。それを見かけたお姉さんが 手伝い始めた。そのうちどんどん人が増えて、雪だるまを作るには人数が多すぎたので雪合戦をす ることになったらしい。
「みんな雪の魔法に惹かれてきたのね」
 お姉さんは肉まんにかぶりついて微笑んだ。やっぱり、近くて見ると素は美人だ。
 確かに雪が積もらなければ、こんなメンバーで雪合戦をすることなどなかっただろう。
「よし、お嬢さん、最後の仕事に取りかかろう」
 体育会系のお兄さんが遠くに放置されている大きな雪の塊を指した。
 私が一生懸命転がしていた雪だるまになるはずのものだった。
「自分のも作りかけなんだ。せっかくだから合作にしよう」
 なるほど、お兄さんの背後にはもう一つ大きな雪の塊があった。
「じゃあ、私の作りかけをここまで運んできます」
 雪の塊の方へ歩き出したら、うしろからコートの襟を引っぱられた。
「アンタは雪だるまにつけるパーツを探してきて。オレが運んだ方が早い」
 髭のお兄さんだった。
 相変わらず無愛想だが、悪い人でもないようだ。まあ、悪い人ならこんな雪合戦に参加していない だろうが。
 私が目や鼻のパーツを集めている間に二人のお兄さんは大きな雪の塊を運んできて、 胴の上に頭をのせていた。
 「私もかざりつけやりたーい」とお姉さんが言うので、女二人で雪だるまを可愛く仕上げた。
おじさんとサラリーマンはベンチに座って雪だるまが出来上がっていくのを、見守っていた。
 完成した雪だるまは、インディアンのように豪華であった。どうやら、お姉さんは何でも飾りたてるのが 好きらしい。
「ほう、立派に仕上がりましたね」
 サラリーマンが雪だるまに近づいて言った。
「昔は雪が降ると雪だるまに雪合戦が定番だったよ。こんな気分を味わうのは、本当に久しぶりさ」
 とおじさん。
 そうか、この人にとってみれば雪遊びをしたのは本当に昔のことなんだ。
 しばらくの間、みんなで雪だるまを見つめていた。多分、それぞれの幼かった頃の雪が降った時 の思い出に浸っていたのだろう。
「そろそろ、帰ろうか」
 おじさんが立ち上がった。
「そうですね。楽しい一時でした」
 サラリーマンは本当に満足そうだった。
「またいつか」
 そう言いあって、私達はそれぞれ帰宅の道を歩んだ。

 翌朝起きると、雪は半分溶けかけていた。
 今日は学校が終わったら予備校か……。
 まるで昨夜のことが夢のように思われる。
 いや、受験に追われた自分が見た幻想だったのかもしれない。
 ベッドから出て一つ伸びをする。
 いつもはクローゼットに入れてあるはずのコートが、 カーテンレールにハンガーをひっかけて干してあった。触ると所々湿っている。そして、 机の上にあったのはコンビニの袋に入ったままのチョコレートだった。




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 2002年12月9日、珍しく関東地方が大雪に見舞われました。
 「こりゃ、記念に何か書くしかない」と勢いに任せて書いて、それを半年ぶりに改稿したのがこれ。
 本当は一人一人の背景など大幅加筆をする予定でしたが、何もわからない方が魔法っぽいなということで 予定は未定に終わりました。結果、細かい言葉遣いを直した程度となりました。また、様子を見てちょこち ょこと直していきたいものです。