「おい、啓太」
ケータ、と特徴のある呼び声に振り返ると、予想通り夏美が立っていた。正確に言うと、予想通りというのは間違いだ。
なぜならば、ここに俺を呼び出したのは他でもない夏美なのだから。
「久しぶり。これ、やろう」
そう言って彼女が取り出したのは線香花火。
花火をやるには不適当だが、電灯の下に陣取る。夏美と二人で暗いところに行く勇気はなかった。
「なつかしいね」
そうだな、と俺は頷く。
毎年、夏の終わりに二人で線香花火をやるのが習慣だった。
三年ぶりだ。
就職に伴い夏美は東北へ引っ越した。盆と正月にしか帰省できない夏美とは正反対に、俺は盆と正月に休みが取れない。
会うことのできない二人は自然に連絡も取らなくなってしまっていた。
お互い,近況や思い出話を語ろうとはしなかった。ただ、線香花火の立てる音に耳を傾ける。
夏美は一本終わってはまた一本とゆっくりとではあるが、確実に線香花火を消費していった。
線香花火が勢いよく火花を散らすのは一瞬のことで、あとは弱々しく球が落ちるのを待つだけだ。どんなに注意深く扱っても、
終わる瞬間はあっけない。
球が落ちたあとの静けさがなんとなく苦手で、はじめの一本だけつき合ったものの、あとは夏美を眺めていた。
白っぽいワンピースに紅色のカーディガンという出で立ち。学生時代の頃とあまり変わっていないように見えるものの、
なにか違和感を覚えた。
ああ、紅だ。
日本という国は昔から色彩に敏感だ。「あか」といっても感じによってその意味合いは変わってくる。
紅色はさしずめ大人の女性のイメージか。女は色気が出てくるほど濃い紅色のルージュが似合う。大人っぽい印象を表現するのに頬を
朱に染めるとは言わない。
今の夏美は紅色が似合っていた。
昔は淡い色ばかり選択されていた唇には、紅のルージュ。そして、左手の薬指を飾り立てる指輪にはまっているのは深紅の、
おそらくルビー。
指輪に落とされた視線に気づいた夏美は、目を細めた。「誕生石なの」と。
二人の間を風が通りすぎる。肌をひんやり包み込む風に、夏美がわずかに身震いする。無理もない。今は十月も半ばなのだから。
手持ちぶさたになって、煙草を口にくわえる。火をつけようとしたが、夏美の一言で手が止まった。
「来年の四月なんだ」
何が、とは言わなかった。
夏美がこんな時期に実家に帰ってきたという事実だけで十分だ。
「……そう。オメデト」
口の中がやけに乾く。くわえた煙草のせいだけじゃない。
いつの間にか線香花火も残り一本となっていたようだ。夏美はそれに火をつけようとはせず、
火薬の入っていない方を指にまきつけてはほどいていた。
「けじめ、ちゃんとつけたかったの」
艶っぽい紅色の唇から漏らされたその言葉は、俺の知っている夏美のものではなかった。しっかりとした声で「けじめ」
と言ったのは過去を振り切ることのできる一人の女性だった。
ふいに夏美の視線が、俺からそれた。
「ごめん、もう帰るね。これ、ケータがやって」
夏美はもてあましていた線香花火を俺の手に押しつけた。そのまま、背を向けて「バイバイ」と言うと、
公園の入り口に現れた影の方へ向かって走っていった。
手に残された花火は、上の方にしわがついてくたくたになっている。ただでさえ哀愁を感じさせる火花を散らすくせに、
姿まで哀愁漂わせてどうするのか。
こんなみっともないもの、と花火の残骸の中に放ろうとして思いとどまる。
脳裏に浮かぶのはスーツを身にまとった男に腕を絡ませる紅い背中。今の俺じゃ紅く染まった夏美の隣に並ぶことはできない。
けじめが必要なのは夏美だけじゃない。
煙草の代わりに、押しつけられた線香花火に火をつけた。
じりじりと球を作り出す音がやけに耳に障る。
花火の先で火花を生み出す球の色は、視界が霞んでよくわからなかった。
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