ティルトは地下と地上をつなぐ扉から這い出た。
「ぐえっ、ぐえっ」
地上へ出たと同時に咳きこむ。と言っても、肺の奥から息を出すことはできず、喉を絞めつけられた鳥のようなつぶれた声が
吐き出された。
いつでも使えるようにバッグの横ポケットに入れておいた吸入器を取り出して吸いこむ。呼吸はすぐに楽になったが、
咳が治まるまでには時間を要した。
(ずいぶん、空気が悪いな)
それでもまだ、ほこりを吸いこんだときのように喉がかさかさしている。
ティルトはバッグに入っていた布を、口元を覆うように巻いてきつくしばった。
(あまり、長くはもたないか)
口元をゆがめるとティルトは視線をあげた。
初めて見た地上はどこまでも闇に包まれていた。
イガル人が地下に拠点を移すようになったのは約二百年前のことだった。当時、地上の人口があふれてしまい、
科学技術が先駆していたイガル人が率先して地下へ潜っていったと学校で教わっている。
地上の人口が落ち着きだしたのが約百年前。一度は再び地上に戻ろうとしたイガル人であったが、それがかなうことはなかった。
技術を駆使して作られた地下都市の住民は、無菌に近いきれいな空気の中でしか生きられなくなってしまっていたのだった。
地上と地下が隔絶された頃から、イガル人は新たな問題を抱えることになる。
奇病の発生。
それは体に力が入らなくなることから始まる。徐々に手足の先が動かなくなる。ついには呼吸ができなくなり死に至る病。
発見者の名からコクソン病と名付けられた。
早急に原因が調べられ、地核から出ている電磁波が細胞を壊していることが判明したものの、
それを治すすべは現在も見つかっていない。
ティルトの家族は皆コクソン病で亡くなっている。ティルト自身も幼少の頃からコクソン病を患っていて、
もう長くもたないと医者から宣言されていた。
ティルトは長い間考えて決意した。
――地上へ出ようと。
理由はただ一つ。
月を見たいという思い。
一度でいいからこの目にその姿を焼き付けたい、それが長年の夢であり願いであった。
ティルトがまだ幼い頃は許可された者ならば地上と地下の行き来が可能であった。
許可が下りるのは主に研究者や調査団の類であり、その中の一人にロジェがいた。
彼は父と同じ地核研究グループに属していた。本来ならば仕事以外で地上のダマ人とイガル人の交流は避けることとされていたものの、
広い世界を知っておくべきだと父はこっそりロジェを紹介してくれたのであった。
ロジェはあちこちの調査団で活躍をしてきて、地上の様々な土地を訪れていた。教科書に書かれた一般的な味気ない地上の話よりも、
ロジェの話の方が具体的で興味深かった。とりわけ、彼の本来の専門分野である天体の話を聞くのが好きであった。
その中でも忘れられないのが月の話である。
普段はロジェがティルトを尋ねてくるのだが、その日は珍しくティルトの方が呼び出された。
ロジェの部屋の扉を開くと、電気がすべて消されていた。正面の壁をスクリーン代わりに映し出されていたのは一枚の写真。
暗い背景の真ん中に大きくて丸いものが映っていた。表面は黄色みがかった白で、ところどころに様々な深さのくぼみが存在している。
幼きティルトを飲み込むような丸いものは、その大きさからは想像できない柔らかな光で部屋を青白く照らし出していた。
ティルトはロジェに声をかけられるまで部屋の入り口に立ちつくしていた。もしかしたら、口も開いたままだったかもしれない。
促されて写真の正面にあるソファにロジェと並んで座った。
「あれ、なんだかわかる?」
ティルトは左右に首を振った。
「月って聞いたことある?」
今度は首を縦に振ることができた。
地上には空というものがあって、昼間は太陽が、夜は月が空に昇るのだそうだ。それ以上詳しいことはわからない。
地上に関する書物は存在するものの、写真などの画像関係がそれらに載せられることはほとんどないといってよい。
これもお互いの規制によるものである。実際は中央政府の目を盗んで画像のやりとりが行われている。ただし、
イガル人が地上に出て写真を撮ることは難しいため、ダマの闇商人から高く買い取ることになる。結果として画像付きの
書物は高価になるわけで、庶民のティルトが手に取ることはかなわなかった。
「ティルトには絶対この映像を見てもらいたかったんだよね。華やかさはないけど、色々感じるものはあるよね」
ティルトはスライドから目を離すことなく頷く。
二次元の映像なのに、眺めていると吸いこまれてしまいそうな感覚に襲われる。
神秘的で、優しくて、静かで、もの悲しくて。
ロジェの言う「色々」があまりにも多すぎて、ティルトは言葉を発するのを忘れていた。いや、自分の想いを言葉にするのが恐れ多
くてできなかっただけかもしれない。
それからティルトは「もう、家に帰る時間だよ」とロジェに声をかけられるまで映像を眺めていた。帰りがけ、ロジェの座って
いたあたりに月に関する書物がいくつか散らばっていた。本当はティルトにもっと話をしてくれる予定だったのだろう。
ロジェが書物に視線を落として苦笑した。
「お前があまりに見とれてたから。本当は本物を見せられればいいんだけど。話の方はまた、今度な」
ティルトは大きく頷いた。月に関してもっと知りたいと思っていた。
いつか、地上に出て見られるかな。
別れ際につぶやくと、ロジェは曖昧に笑っていた。
しかし、それからロジェと会うことはなかった。
地上と地下の行き来が完全に絶たれたのである。
調査の名目で来た地上のある調査団が、闇商人よりも高値で大々的に地上の書物や映像を売りさばいていたのである。
それ以前からも調査団を中心にお互いの情報を漏らしあっているという噂――ロジェだけではなかったらしい――が流れていた。
これを機に中央政府は闇商人も含めて完全規制に乗り切ったとのことだった。
なぜ、そこまで厳しくするのだろう。情報交換だけならば問題ないのに。幼かったティルトはそう思った記憶がある。
今ならばわかる。
お互いの知らない世界を教え合えば必ず興味を持つ。実際に自分の目で見てみたいと思う日が来る。そうすれば地上と地下の
行き来には制限がきかなくなってしまう。
ティルトだって自分のしようとしていることがわかっている。それがどれだけ馬鹿な考えなのかということくらい。
現在、地下と地上の行き来はないといってよい。両者を結ぶ唯一の大通路は閉鎖されている。戦争をするまではいかないが、
両者の仲は緊張状態を保っていて、お互いに見張りを立てていた。地下は地上の菌を持ち込まれないように。地上は奇病を持
ち込まれないように。
ティルトも万が一地上へコクソン病を持ち込んでしまったらと考えたことはある。しかし、自分の死を見守ってくれる人はもう
どこにもいない。ならば、死に場所くらい自分で選ぼう、その思いの方が強かった。
家を出てから一週間後、ようやく地下と地上をつなぐ地点まで出た。大通路ではない。ロジェに教えてもらった闇商人の使っていた
通路である。
そこは一見廃墟であった。当時からそうだったのか、完全規制が行われてからなのかはわからない。
錆び付いた扉に手をかける。バラバラと錆の雨を降らせたそれは、ティルトがやっと通れるくらいまでしか開かなかった。
ティルト以外にも地上へ上がる者がいると思っていたが、そうでもないらしい。
中に入ると地下のさらに下へ伸びる階段が見えた。迷わず階段を下り始める。
階段はあるところを境に上へとのびるようになっていた。
携帯ランプの明かりを頼りに長い階段を上っていった。疲れたら適度に休憩を入れた。
家を出た頃よりも思うように身体が動かなくなってきている。硬くなってきている身体は動かすたびに悲鳴をあげた。
何かを食べようと思ってもうまく飲み込めずむせかえってしまう。階段を登り始めてからはほとんどものを口にしていない。
呼吸をするのもつらく、何度も吸入薬を吸いこんだ。
まだ駄目だ。
ここで倒れてはいけない。立ち止まってはいけない。意志だけで前へ進んでいた。
階段を登ってからどれくらいは数えていない。天井が低くなったと思ったら上に跳ね上げ式の扉があった。
地上との境目だった。
ティルトは半ば足を引きずる形で闇の中を進んでいた。
携帯ランプは階段を上りきる直前で切れてしまっていた。
暗闇に目が慣れてくると、わずかながらものの輪郭が捉えられるようになってきた。
見る限り建物らしきものは見えない。どこまでも平らな地面が広がっていた。地上のどの辺に当たるのかはわからない。
少なくとも街中ではなさそうだ。
空も闇に覆い尽くされていた。
月は見えなかった。
ティルトの知識によれば今は夜だ。ちょうど日付がかわる頃だろう。予想では大きな月が空に浮かんでいるはずだった。
ここは月の見えない土地なのだろうか。
そんなことはない。
あんなに大きいのだから地上のどこからでも見えるはずだ。せっかくここまで来たのだ。
早く探さなくては。
口元を布で覆っているとはいえ、咳きこむ回数が増えてきている。咳きこめばそれだけ体力を消耗する。
(あの時、映像に見とれていないでロジェの話をよく聞いておくべきだった)
そうすれば、もっと効率よく地上に出られたかもしれない。今のティルトにとっては一刻でも重要だった。
(よく考えろ。月はどこに行けば見える)
顔を上げて瞳を凝らす。
頭上高くにひっそり星が瞬く。それ以上の明るい光は見えない。
星……。
もう一度よく空を睨み上げる。
今にも消え入りそうな小さなきらめきが散りばめられている。
おかしい。
雲がかかっていない。
雲に覆われていると空の上が見えないそうだ。空と地上を隔てるものが存在していないのに、
同じ空にある星は見えるのに月は見えない。
そんなことがあるのだろうか。
胸を打つ鼓動が早くなり、息もわずかに荒くなる。
どこか死角がないか、どこか見落としていないか、視線をさまよわせながら歩を進めた。
いつの間にか焦っていたのだろう。
歩みを早めようとしたところ、足がうまく上がらずもつれた。そのまま為す術もなく地面にのめり込むように倒れ込む。
勢いがついていたのか数十センチ地面の上を滑った。それからすぐに頭のあたりで杖のからん、と落ちる音がした。
むき出しだった頬と腕が擦れる。しかし、痛さを感じている暇はない。
倒れた時に舞い上がった砂が容赦なく喉を刺激する。
身体の奥底からむせかえった。
清浄されていない空気に慣れていない上にコクソン病で気管支も硬く狭くなっている。地上へ出てから杖と反対の手に持っ
ていた吸入器は、転んだ拍子に地面へ落としてしまった。
身をよじって咳が止まるのを待つしかなかった。
時々視界の端に空が映った。
しかし、目に飛び込んでくるのは相変わらず絶望を表すような色ばかりであった。
ティルトは再び自分の足で大地を踏みしめていた。
うっすら青白く光っているのは地面。視点を少し上にやると自分の身体も淡く光に照らされている。照らされるというより、
包み込まれるといった方が正確か。白い肌は余計に白く透きとおっていた。元々不健康そうな肌が余計に不健康に見えてなん
だかおかしかった。
さらに視線を上にやり、空を見上げる。
すべてを飲み込みそうな真っ暗な空。空に針の先で穴を開けたように小さく瞬く星。そんな中、丸い月が地上に光を届けている。
月が放つ光は黄色みがかった白なのに、照らされると青白く見えるのが不思議だった。
よく見るとロジェに見せてもらった写真と同じようにくぼみのような模様がついていた。
ティルトはゆっくりと歩き出した。
いつもは切れかけのゼンマイ仕掛け人形のようにぎこちない動きしかできないのに、今は違う。
身体がみしみしと音を立てることもなく、幼かった頃ように自分の思うままに歩を進められた。
月はティルトとの距離を保ったまま存在している。
今度は月に背を向けて走ってみた。
かけっこなど何年ぶりであろうか。
思いっきり地面を蹴る。自分の知っている硬い人工的な床ではない。ざっざっと音を立て、滑るような砂の感触。
腕を大きく振ることもできた。足の裏でその感触を確かめるように飛び跳ねながら走る。
とにかく走る。
少しでも月との距離をあけてみよう。
振り向きはせず、前だけを見ていた。
疲れたところで立ち止まって、両膝に手をつく。
苦しい。
といっても、地下にいた時の空気が吸えないような苦しさとは違う。身体を動かして酸素不足になっているだけだ。
息を整えるべく大きく深呼吸。肺の奥にたくさんの酸素を送り込む。
ふと足元に落ちる影に目がいった。見慣れた電灯の光が作り出すようなぼやけたものではない。光を際だたせるようにくっきりと
闇に沈み込んでいる。
呼吸が落ち着いてきたところで振り返って空を仰ぐ。
月は先ほどと距離を違えることなく、ティルトを見下ろしていた。
「本当に地上に来ちゃったんだね」
いつの間にか隣にロジェがいた。少し呆れたような表情をしている。
最後に会った時から五年以上は経っているにもかかわらず、研究員として地下に来ていた時のままであった。それでも、
ティルトよりだいぶ背が高く、ロジェを見上げる形になった。
ロジェは目を細めて月を眺めていた。
「本物は違うでしょ」
彼にわかるように大きく頷いた。
写真に比べ実物は強くなったり弱くなったり光の放ち方に深みがある。
何より写真では月の光が作り出す世界を知ることができない。
「どう?」
ティルトはロジェ同様に目を細めて月へ視線を戻す。
母親みたいだ。
そう答えた。
ふくよかで優しく暖かく世界を包む。決して主張はせず、遠くから見守っていてくれる。
でも、いつも監視されてる気もする。
と付け加えると、ロジェは声を上げて笑った。
「監視って、お前そんなに悪いことに手を染めてるのかよ」
そんなことない、全く悪いことをやってないとは言えないけど。だって、逃げても追ってくるんだ。
慌てて取り繕おうとする。子供じみた態度にロジェはもう一度笑ってから言った。
「案外そうかもな」
横目でロジェを見ると、相変わらず眩しそうに目を細めていた。月の光が眩しいというよりは、
何かを思い出すようなそんな瞳だった。
「太陽も地上を照らすけど、確かに俺らのことあんまり見てなさそうだよね。代わりに月が見てくれてるのかもね」
いいことも悪いことも。
ティルトが地下から出て来た理由も知っているに違いない。
歓迎してくれてるかな。
「きっとね。こんなに柔らかい光で照らしてるから。俺も歓迎ついでに、あの時できなかった月の話でもしようか」
眩しい。
白くて暖かい光の中にいた。
(もう、死んだ……のか?)
うっすら目を開ける。真横から光が差し込んでいるということを頭の遠くの方で理解した。
自分はこの光を見たことはないが、知っている。記憶の引き出しの奥底をあさってみる。
(た……い……よう)
月が夜の地上を静かに照らすならば、昼の地上を明るく照らすのが太陽。そう聞いている。自分は地上へ出たのだから、
この光は太陽がもたらすものと考えるのは当然といえよう。
太陽?
朝!
ティルトは飛び起きた。ところが、実際は飛び起きようとしただけで、身体は指の先すら動かすことができなかった。
目を開けているのもやっとだ。多分、今の自分はかろうじて生きている。
それよりも朝を迎えてしまったということの方がショックであった。次に月が姿を現すのは半日も後だ。それまで自分は持つだろうか。
可能性は無きに等しい。
(夢、だったのか)
月がティルトを歓迎してくれるというのは所詮妄想でしかなかったのだ。
罰だ。
コクソン病を地上に広めてしまうかもしれないという事実を知った上で地上に出た。地上の人々よりも自分の願いを優先させた。
夢でロジェは笑って迎えてくれたけれど、それも自分の期待にすぎなかった。
月は何でも知っている。だから、姿を現さなかった。
何をしているんだろう。
ぼんやりと空を眺めた。
初めて見る空はティルトが想像していた単色の深い青ではなかった。太陽に近いところが金色、遠くなるにつれ白を経て青になる
というグラデーションを描いていた。そこには気が向いたように綿菓子をちぎったような雲と思われるものが置かれている。
平坦がどこまでも続くと思っていた空は地上をドームのように覆う。周りに何もないせいだろうか。世界がやけに広く感じた。
地上に住む人々よりも科学技術の進歩したイガル人の方が便利な生活を送っているし貧富の差も少ない。それでも、
この空を知らずに育ってしまったのはもったいないと思う。
そう、もったいない。
興味のなかった空でさえこんなにも惹かれるのだ。月はどんなにすばらしいだろう。
夢の中で見た光景が頭の中をよぎる。
決して昼では見ることのできない光のイリュージョン。
ティルトは夢の断片を探そうと視線を彷徨わせた。
しばらくして、違和感を覚えた。
(何だ、あれは)
視界の隅、空の低いあたりに白い穴のようなものが開いている。細くて、
人が唇の両端をつり上げて笑ったときと同じ形をしていた。
空に浮かぶ白いものといえば雲であるが、それとは明らかに違う。輪郭がくっきりとしているし雲にしては小さすぎる。
それに。
雲はすべて太陽の光を受けて金色に染まっているのに比べ、穴は他のものに影響受けることなく白い色をしていた。
空の景色に馴染んでいるようで、どこか朝の空にはそぐわない存在感を醸し出している。
(どうやら、お迎えが来たようだな)
息もろくにできず、脳に酸素が行き渡っていない今ならば何が見えてもおかしくない。
太陽と雲以外に空を飾り立てるものの存在など思いつかなかった。
人の魂はあの穴から出入りしているのかもしれない。すると、穴はさしずめ神の口というところか。
ばかばかしいと思いながらも口元は自然にゆるむ。
ティルトは普段神を信じているわけではない。神がいるのなら、コクソン病など広まらなかっただろう。
それでも、それは神の口であった。
ティルトのことを肯定することも否定することもなく、視界の隅にたたずんでいる。
こうやって死に逝くものを受け入れようとしてくれているのだ。口をうっすらとしか開かないのは一度にたくさんの者が死なないように、
一人一人の死を見守れるようにとの神の配慮かもしれない。
はっきり笑ってくれていい。
馬鹿な事を考えている奴がいると。その方が気分も楽だ。
でも。
(神様、本当にいるんなら、最後に月を見せてください……)
ティルトは薄れてゆく意識の中、ロジェの部屋で見たスライドに映る月と夢の中で見た月を交互に、
何度も何度も頭の中で思い浮かべた。
自然に目尻から滴が落ちる。それはわずかに地面を濡らした。
神のものとおぼしき口はただ笑っていた。
荒野の中を一台のトラックが走っていた。
乗っているのは鍛冶職人とその弟子の少年であった。
材料の鉄を仕入れる途中、少年が助手席でうとうとしかけた頃にトラックが急停止した。はずみで少年の身体が前へつんのめる。
「師匠、危ないじゃないですかぁ」
少年の言葉を無視して、鍛冶職人は真顔で目の前を指さした。
「おい、誰か倒れているぞ」
鍛冶職人がトラックを降りて倒れているものの方へ駆け寄っていく。少年は慌てて師匠の後をついていった。
「もう、息をしていないな」
片膝をついている師匠の後ろから覗き込む。
こいつは……何なんだよ。
少年と同じ年くらいの顔つきをしているが、やけに小さい。服からのぞいている腕も幼児並みの太さしかない。
肌は中が透けて見えそうなくらい白い。
一歩退いた少年に向かって師匠は背を向けたまま言った。
「イガル人だな」
「師匠、見たことあるんですか?」
鍛冶職人は見習いの頃地下に鉄を密輸していて、その時に利用されていた地下への入り口が近くにあること。
イガル人は日光に当たることがないため、皆少年と似たような姿をしていること。この少年は極度に痩せているが、
コクソン病にでもかかっていたのだろう、鍛冶職人が説明するのを弟子の少年は黙って聞いていた。
「それにしても、何で地上なんかに出てきたんですかね」
不自然に曲がっているイガル人の首に気づいた弟子はその視線の先に目をやった。青空が広がるばかりでこれといって特別なものは
ないが、あるものが目に入った。
「結局、移住しませんでしたね」
どこへ、と問おうとした鍛冶職人は弟子の視点が一点で止まっていることに気づく。
「地球を出る前に、地下に潜っちまったからな」
地球から離れたくなかったのか、資金の問題か、その理由を彼らに知ることはできない。一方、現在のイガル人も知らないはずだ。
移住先にもう一つ候補があったということを。
「地下に帰してやれないが、弔ってやるか。おい、お前も手伝え」
「俺もですかぁ?」
鍛冶職人と弟子はイガル人を抱えるとトラックへ戻っていった。
途中、弟子はもう一度空を仰いだ。
細く痩せきったそれは、太陽の光で半ば透けてしまっていた。
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