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トランスとトイレ

トランスは困っていた。非常に困っていた。
「はぁ……」
 彼はもう何回目になるのかわからないため息をついた。
 彼はトイレに閉じこめられていた。
 トイレの鍵というのは通常、中から掛けるものである。 したがって、まず閉じこめられるということはない。 老人なら間違って閉じこめられることがあるかもしれないが、彼はまだうら若き青年である。
 ところが、文明の利器というのは恐ろしいものだ。なんとこのトイレ、電動式だったりするのである。 ドアの横に付いているボタンをピッと押せば、勝手にドアが開いてくれるはずのものであるのだが、 いくらピッピッとボタンを押そうと、バンバン叩こうとドアは開こうとしなかった。 普段は緑色に光っている小さなランプが異常を知らせる赤色に点滅していた。
――俺に何の恨みがあるんだ……?
 トランスは便座のふたを閉めた上に座って頭を抱えた。
 西日がうっすらと小窓から入ってくる。陽に照らされて、 俯きかげんに悩ましげな表情をしている青年というのはある意味女性の心をくすぐるものであるが、 いかんせん便座に座っているというのがよくない。
 彼はここに一人で考え事をするために来たのだ。一人で考え事をしようと思っても、 普段は成り行きで連れることになった子供がうるさくて不可能だった。よく食べよく喋る…… そんな子供を喜ぶのは本人の祖父母くらいなものだ。だから、 彼はわざわざ一人になれるところを捜し求めて、ここまでたどり着いたのである。 決してこんな風に困るつもりではなかった。
 その時である。
 ダンダンとすさまじい勢いでトイレのドアを叩く音がした。
 それに引き続き、少しかすれた少年の声が聞こえてくる。
「トランス、入ってんだろー? 早く開けてくれよ」
 彼がここに来なければならなくなった諸悪の根元、チャンだった。
「無理だ」
 トランスはドアの方も見向きもせずに即答した。
 ドアをダンダン叩く音は鳴りやまない。
「え? 何言ってんだよ! オレもトイレ行きたいのに」
「ドアが開かなくなった」
 突然、ドアを叩く音がやんだ。
「えー!? マジ!? こっちにも我慢の限界ってものがあるんだけど」
 時々「うー」とか「あー」とかうめき声が聞こえる。彼もかなり我慢しているのだろう。
「出られるものなら俺も出たい」
「出たいんなら、この際、気合いで開けてくれよ! ……うー」
 ……気合いで開けられるものならとっくに開けているし、 そのようなことを言うのならばお前が気合いで開けろ、と言いたい。
 ガンガンッとチャンは今までよりも激しくドアを叩き出した。ドンドンと足踏みもしている。 呻きの感覚は先程よりも短くなり、さらに「トランスのせいだ」とか「大人ならこれくらいのドア直せ」 とか好き勝手言っている。
 トイレに閉じこめられた時には困ったものの、 一人になる時間が増えたと思えば助けを呼ばなくてもいいような気がしていた。
 しかし今、トランスは声を大にして言いたかった。
――誰か俺を助けてくれ。
 トランスの声が届いたのかいないのか、突如チャンの暴走が止まった。
「何してんの?」
 トランスも知っている女の声が聞こえてきた。1時間前、 スーパーに買い物に行くと言って出かけたルーディーであった。よく耳をすますと、 スーパーの買い物袋の音が聞こえる。今日も両手にいっぱい買ってきたに違いない。
「トイレのドアが開かなくなった」
「トランスのバカがー、トイレのドア壊した。オレ今すげートイレ行きたいのに。 ってか、もう我慢できない……」
――いつ俺が壊したのだ? 壊したのではなく壊れたんだ。
しかも人様のことをバカ呼ばわりするとは……失礼甚だしいガキである。
「……チャンさ、私が出かけてる間何してた?」
「ルーディー、何部屋を見回してんの? 何も隠し事なんかしてないよ。オレはただ、 エアコンつけながらゲームして、冷凍ピラフを温めつつトースト焼いてただけ」
 そうなのである。そんなチャンを見ていて、トランスは一人になりたくなった。
 スーパー(帰り)ルーディーはポンと手を叩いた。
「もしかして、ブレーカー落ちてるんじゃない?」
 言われてみれば、いつの間にか外から電子機器の音が聞こえなくなっていた。
 スーパー(帰り)ルーディーがブレーカーをガチャン上げると、 トイレのドアについているランプの色が赤から緑に変わった。
 同時に電動のくせにドアがいつもの1,5倍の速さで開き、 チャンが苦しそうな顔しつつものすごい勢いでトランスをトイレから追い出した。 ひょろっとした体つきをしているのに、火事場の何とかというやつであろうか。
「まったく、チャンてば電気の無駄遣いするんだから……」
 腰に両手をあて、仁王立ちになったルーディーはトランスと目が合うと 「よかったね、出られて」と言った。
「ああ、助かった。ありがとう」
 トランスは心からルーディーに感謝をした。
 今チャンのこもっているトイレのドアを見つめながら、トランスは考えていた。 今度一人になりたくなった時は、自分がトイレにはいるのではなく、 チャンをトイレに押し込めてブレーカーを切ろうと。
 トランスはそう心に固く誓った。

                              (END)

 もはや何も言うまい……と言いつつ、少し補足。
 舞台は微妙に原作と違うと思ってください。あの世界に電動式のドアがあるかどうかなんて 知りません(政府にはありそう)。掲示板の飛鳥さん (サイトはこちら )の書き込みを見て、思いつきだだっと書いて 献上したものです。
 見事にトランスの硬派なイメージ(当初そうするつもりだった)は崩れ去ったですね。 元々こういう素質は持っている奴だとは思っていましたが……
 ってか、もう原作書けません。


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