バトル


掛け値きつねうどん一杯の男

「君はディスティニーを信じるかね?」
 初めて会話を交わす相手にそう言われて、誰が「はい、信じます」と答えられるだろう。
「いいえ」
「じゃあ、運命は信じるかい?」
「あの……日本語で言ったところで無駄です。信じてませんので」
 俺の返事に相手はあからさまにガックリ肩を落とした。この世の終わりとでも言わんばかりの表情をしている。
 ジャーン。ジャーン。
 どこからともなく、重苦しいピアノの音色が聞こえてくる。この部屋には俺と目の前に座る先輩の二人きりだ。どうやら、 音楽は隣の部屋から聞こえてくるらしい。
「ベートーベンの『悲愴』ね」
 先輩が解説を加えた。
 ということは、これも演出の一つなのだろうか。
 余計に怪しい。
 俺の目の前で片足を組み、机に肘をついて座ってピアノに耳を傾けているのは鳥海先輩という。この学校ではたいそう有名な方である、 らしい。らしいというのは俺はまだこの学校に入学したてで内部事情はさっぱりというほどわかっていない。
 ただ唯一はっきりしていること。
 それは俺が生徒会の勧誘を受けていることだった。

 事の始まりは今日の昼休み。自分の席でパンをかじっていたら、机に缶コーヒーを置かれた。新しいクラスの中では比較的喋っている 白石だった。
 何か裏があると思った。
 俺はあえてコーヒーの存在に気づかないふりをした。白石はさらに無言でコーヒーをこちらへ差しだしてきた。
「まあ、飲みたまえ」
「何を考えてるもりだよ」
「そうか、君は一人では缶コーヒーをあけることができないのか。ならば僕が手伝ってやろう」
 白石は缶のプルトップを引くと、無理矢理人の口元に缶を近づけてきた。それはつい最近知り合ったとは思えない程強引に。
「やめやがれ」
「嫌だな。恥ずかしがらなくていいんだよ」
「結構です」
「お兄さんが優しくしてあげるよ」
「だからやめろっての」
 気づけば教室の中は静まりかえっていた。クラスメート達が一斉にこちらを見ていた。特に女子達は。半分は軽蔑の目で。 半分は興味津々の目で。いけない妄想しているのが目に見えてわかる。
 入学したてなのに、変なレッテルをつけられるのは困る。非常に困る。
 俺の額に浮かんだ汗を見逃さず、白石は俺だけに聞こえるように言った。
「黙ってコーヒー飲んでくれれば、やめてあげるのにな」
 卑怯な。そして、若干一五歳にして脅迫をしてくるとは恐ろしい。
 しかたなく缶を受け取り、やけ酒ならぬやけコーヒーを一気に飲み干した。
 白石は満足そうに頷くと言った。
「よし、コーヒーの借りを早速返してもらおう」
「何だよ」
「放課後、一号棟一階の一番奥の教室に行け」

 入学前から噂があった。
 この学校には近づいてはいけない場所があると。
 生徒会だ。
 生徒会と言っても生徒達が自主性に行う、どちらかというと部活に近い組織である。生徒会そのものは学校の行事を普通に 取り仕切っているらしいのだが、その取り仕切る人々が危険極まりないと言われているのだ。会長は歴代、 俺様主義な人がなっているとかいないとか。
 とにかく。
 この人達と関わると、ろくな高校生活が送れないと言われているのだ。
 そんな生徒会員の吹きだまり、生徒会室は一号棟一階、廊下の突き当たりにある。

 逃げないようにと白石に付き添われ、生徒会室に入ると、そこには何人かの生徒がたむろしていた。
「白石君、ありがとう」
 背の高い少年がこちらへやってくる。
「鳥海先輩にはいつもお世話になってますから」
 やけに腰の低い態度でペコペコすると、白石は逃げるように去っていった。彼も脅迫を受けていたのか。
「まあ、入って」
 教室の真ん中に机が六個つなげてあって、簡単な話し合いが出来るようになっていた。そこに向かい合うようにして俺と 鳥海先輩は座る。
 二人が着席したのを確認すると、「トリッキーよろしく」と鳥海先輩を残してみんな隣の部屋に消えていってしまった。
 トリッキー……やはり名前と性格を融合させたあだ名なのだろうか。噂通りの会長と言うことか。
 すすめられるがままに椅子に座り、さっそく鳥海先輩は生徒会に入らないかとすすめてきた。
 もちろん、俺は断った。
 そもそも、なぜ三〇〇人も入った一年生の中で俺が選ばれなければならないんだろう。
 そこで先輩のディスティニー発言が始まったのである。
「正義のヒーローも自らヒーローを希望してなったわけではないのだよ。それが運命、わかるかい?」
「さっぱりわかりません」
 今度はベートーベンの運命が隣の部屋から聞こえてきた。先ほど隣の部屋に引っ込んでいった人たち、 つまり生徒会の誰かが弾いているのだろう。器用だ。そんなに器用ならばショパンの「別れの曲」を演奏して頂きたい。
「どうして俺なのでしょうか。そこを納得いくように説明してください」
 鳥海先輩は俺を見た。俺は本気だと言うことを示すべく先輩から視線は外さなかった。
 すると、先輩は「負けたよ」と立ち上がると、壁の方を指さした。
「あれを見るんだ」
 指された方を見ると壁に張り紙がしてあった。
「もっと近くで見てごらん」
 近寄るとそこには全学年生徒の名簿が貼ってあった。そして、そこに異様なかたちで突き刺さっている赤いものがあった。
 ダーツの矢だった。
 ダーツの矢は見事にある生徒の名前に突き刺さっていた。
 紛れもなく、俺の名前だった。
「……ということだ。納得したかね」
 つまり、あれですか。新しい生徒会員候補をダーツで選んだと。
 要するに君は運が悪かったね、と。
「やっぱり、俺帰ります」
 きびすを返して廊下の方へ行こうとすると、前に鳥海先輩が立ちはだかった。
「そう言って帰れると思っているのかい?」
 睨むような目つきで見下ろされた。元々目の細い人だから恐い。こういう人って怒らせるとやっかいなのでは、 背中に冷や汗が伝った。
 俺は一歩下がる。
 俺との距離を保つべく鳥海先輩が一歩前に出る。
 そうこうしているうちに、背中に硬い物が触れた。壁だった。鳥海先輩は俺の顎に手を添えた。
「君に入ってもらわないと困るんだよ」
 このシチュエーションは見てそのまま先輩が後輩を恐喝しているか、もしくは女子共のめくるめく禁断の世界か。
 どちらにしろ絶体絶命か……。
 ばっこーん。
「いってー」
 鳥海先輩が頭を抱えてうずくまる。
 トンットン……トン……。
 床を白くて丸い物が転がっていった。
 ソフトボールだった。
 俺の目が確かならば、今窓の外からソフトボールがとんできて、鳥海先輩の脳天を直撃した。
 ソフトボール部の誰かが、間違って投げたのだろうか。それにしては見事に先輩の頭にボールはヒットしていた。
 鳥海先輩はずかずかと窓の方へ行くと怒鳴った。
「おい、新城。何すんだよ」
 俺も習って窓の外を見ると、そこには勝ち気な瞳の少女が立っていた。鳥海先輩の勢いも気にすることなく、 仁王立ちで立っている。
「馬鹿者。新入生を脅すとは」
「だって、素直に入ってくれないから」
「だからって、新入生に詰め寄るのか。新入生君は確かに会長自らダーツを投げて決めた。しかし、 本人の意志にそぐわずに入れるというのもよくないのだよ」
 助け船にほっと胸をなで下ろす。
 そうですよね、貴女の言う通り本人の意志が大事ですよね。
 鳥海先輩はむぐっ、と言葉に詰まる。
「トリッキー。彼をよく見てごらん。この、温室育ちそうな顔つき。とてもじゃないけど生徒会でやっていけるとは思えないよ」
 やや失礼発言があった気もしなくないが、鳥海先輩を言い負かしてくれるならば、そこは我慢すべきだ。
 新城と呼ばれた少女は続ける。
「彼は、どう見ても三年間部活にも入らず、何もせず学校生活を送るタイプだろう。私が欲しいのは未来ある若者なのだ」
 確かに、部活にはいるつもりは毛頭なかった。
 俺はどうせ未来ないらしいですし。
「それに私は昔から言っているじゃないか。積極性のない奴、やる気のない奴はいらないと。そういう奴はどうせ何も出来ない。 せいぜいお母さんに泣きつくのが精一杯なのだ」
 黙って聞いてはいたけど。
 この人がずばずばいう人だと言うことはわかったけど、さすがに失礼じゃないか。初対面なのに、 ここまで言われて反論しないのは癪だ。
 頭で考えるより、先に言葉が出ていた。
「さっきから失礼じゃないですか。俺は何も出来なくはないです」
「ほう」
 新城さんは少し目を細めてこちらへやってきた。
「新入生よ、ならばどうやってそれを証明する?」
「それは……」
 新城さんは一つうなずいた。
「生徒会入り決定だな」
「え? ちょっと、待ってください」
 俺は窓から身を乗り出した。
「このままだと、お前はこの先ずっと何も出来ない君というレッテルを貼られるのだよ」
「だから……」
「それ以外に道はなかろう」
 謎の組織に収容されるのは不本意だった。俺は適当に彼女作って後はおとなしく高校生活を送れればよかった。でも、 ここまでけなされてそれを聞き流せる程大人でもなかった。
 何よりも、新城先輩の全身からみなぎる威圧的なオーラに反論は許されなかった。
「……ハイ」
 新城さんは満足そうにうなずいた。
「それでよろしい」
 その言葉を合図に万歳三唱をしながら隣の部屋にいた人々が出てきた。
 すごい歓迎モードだ。
 生徒会の面々は俺を囲むかと思いきや、そろって新城さんの方へ集まった。
「さすが、大岡に劣らぬ裁き」
「うんうん、新城のこと信じてたよ」
 新城さんは窓に手を掛けると、ひょいと窓枠を乗り越えて教室に入ってきた。
「私に勝とうとは百年早いんだよ」
 そうですね、貴女には勝てませんでした。
 と、新城さんを見ると、俺の方ではなく鳥海先輩の方に顔を向けていた。鳥海先輩は、座り込み、こつんと床を叩いた。
「いけると思ったんだけどな」
「だから、トリッキーは馬鹿者なのだ。それはともかく、約束は約束だ」
 並木さんは鳥海先輩に目線を合わせて、手を差しだした。それに習って、生徒会のメンバーも鳥海先輩に手を差しだした。
「結果は目に見えていたのに、勝負を挑んできたのはトリッキーの方だからな。」
「くそっ」
「どうあがいても新入生君をどっちが落とせるか対決。トリッキーの負けだからね」
 ちょ。ちょっと待てよ。
「あの……俺は単なる賭けの対象だったんですか」
 新城さんはさらりと言ってのけた。
「新入生を入れようと言うのは本気だ。ただ、普通に募集するのは面白みに欠けるからな。食堂のきつねうどんを賭けたのだ」
 食堂のきつねうどん。
 量は少ないが、貧乏学生にその値段の安さがありがたい一品。俺の価値はきつねうどんなのか。入学したてでも知っている。 きつねうどんはラーメンより安い。
 鬼ですか、貴方達は。
「せっかくだ。新入生も来るといい」
 新城さんは食堂へ向かうべく、廊下へ出て行った。
「しかし、トリッキーの脳天直撃ボールさすがだよな。スカッとしたよ」
「新城のコントロール力は真似できないわ」
 ぞろぞろと生徒会な人々は廊下へ出て行った。最後に鳥海先輩と俺が残される。
「新人君、行くぞ。会長は誘ったのに来ないと機嫌を悪くする」
 ん?
「会長って鳥海先輩じゃないんですか?」
「いや、会長は新城だけど。もしかして、俺の方が会長向いてるとか思ってくれてる?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
 鳥海先輩はしゅんと背中を丸くするとトボトボと食堂へ向かっていった。わかりやすい人だ。
 教室を出る前、一度振り返った。
 さっき詰め寄られた壁にはまだ赤いダーツが刺さっていた。
 運命、なのか?
 遠くから新城会長が俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 「お題バトル」参加作品。テーマは「放課後」でお題は「二人きり」「体育館」「部活」「ボール」「机」「花壇」「下校」 のうち4つ以上を使用すること(今回は前者4つを使用)。

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