バトル


拝啓お母様

 太田君代様。
 そう書かれた封筒を手にとって君代は首をかしげた。
 差出人は太田明里。お腹を痛めて産んだにもかかわらず、薄情に育ってしまった我が娘である。仕事の都合で半年前に東北へ引っ越し、 以来電話もろくによこさない。家にいたらいたで何もしない。母である自分が言うのも恥ずかしいが、ぐうたら娘であった。
 その娘が手紙をよこした。用件があるならば電話で伝えればよいものを、何故手紙なのだろう。
 君代は封を切ると、白い便箋に目を通した。

 拝啓 お母様

 気味が悪い。
 君代は早速便箋を折りたたんでしまおうかと思った。普段は人のことを呼び捨てにしているくせに「お母様」とはどういう風の吹き回 しだろう。

 寒さが日ごとに加わってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 早いもので、わたくしがこちらへ来て半年が経とうとしております。こちらの生活にも慣れてきて、 それなりに元気にやっておりますが、最近少々ホームシックです。


「ぷぷっ」
 君代は口元を押さえた。
 「わたくし」ですって。一体どこの誰なのだ。入社試験の面接でもあるまいし。
 しかも、ホームシックなんて言葉が娘の辞書にあったのか。

 というのも、同じ日本国なれど北と南では 別世界なのですね。暖かい南の地域に慣れてしまったわたくしには、 北の冷たい空気は身にしみます。

 何を大げさな。
 たかが関東の北と南である。
 さらに言えば、君代はあらかじめ忠告しておいたのだ。お前は寒いのが駄目なんだから北は向かないと。 それでも我を通して北へ行ったのは娘だ。

 本当はちょくちょく家にも帰りたいのですが、わたくし達の間には万里の長城よりも分厚い境界線が引かれていて、 翼を持ってしても越えることができません。嗚呼、いつの間にお母様とこんなに遠くなってしまったのでしょう!

 嘘をつけ、嘘を。
 一応同じ関東圏内である。ハッピーマンデー法に則って三連休でもあればすぐに帰ることができるはずだ。 夏休みだって「家から出るのが面倒」という理由で帰ってこなかったのは誰だ。 万里の長城というのは娘のぐうたらというやっかいな感情の壁のことかもしれない。

 よく、同僚に明里の目は二重でぱっちりしていて可愛いと言われます。この二重もお母様譲りだと思うだけで感謝と同時に 何とも言えない恋しい気持ちになります。わたくしは確かにお母様の子供なのですね。

 おいおい、何を言い出すかと思ったら。
 二重でぱっちりなのは夫の方である。君代はそれは見事なまでの一重だ。目も細い。
 どうやら家族、いや君代のことを持ち上げて家族愛を訴えているようだが明らかな嘘が多すぎる。
 この手紙、ますます気味が悪い。
 自分はこんな娘など知らない、そう叫んで逃げてしまいたい。

 こちらに来てから家族の大切さ、一人暮らしの大変さ等々、実に色々なことを学ばされております。 一緒に暮らしているとお互いのありがたみがわからないものですね。

 この一文だけ読んだならば納得してしまうところであろうが、今までの文が文なだけにわざと言っているとしか思えない。
 母としてはこの言葉の百分の一でもいいから理解してほしいと思う。
 あまり期待はしていないが。

 特に、家に帰って暖かい食べ物があると言うだけでどんなに幸せだったのでしょう。 今はその日の食べ物を手に入れるのだけで精一杯です。

 引っ越しを手伝ったから知っているが、娘のアパートの近くにはスーパーもコンビニもあった。 それでどうやってその日の食べ物を手に入れるのに困るのか。野生動物じゃあるまいし。

   お母様も身体の方には十分気をつけてお過ごしください。のっぴきならない事情により今は無理ですが、 いつかこの境界線を越えてお母様と邂逅できる日を待ちわびております。

 ぜひ、のっぴきならない事情とやらを説明していただきたい。また、邂逅という言葉遣いが、当分家に帰る気がないという 意思の表れのような気がしてならなかった。

 かしこ。

 「拝啓」で書き出したら締めは「敬具」であろう。そんな事もわからないのか、社会人にもなって。
 馬鹿な娘に育ててしまったのは誰の責任か。
 君代は頭を抱えるしかなかった。
 ところで、結局何の用件だったのだろう。とんちんかんなことばかり書かれていて、用件がつかめなかった。 あの娘がわざわざ手紙をよこしたからには何かあるはずなのだが。
 そこで、便箋に二枚目があることに気づく。

 追伸
 要するに何が言いたいかというと、貯金が尽きました。よって、お正月も帰れません。至急仕送りをよろしく。
 なお、料金の支払いが済むまで電話も繋がりませんので。


 君代は無言で明後日の方向を見るしかなかった。



 「お題バトル」参加作品。テーマは「別の世界」でお題は「邂逅」「境界線」「二重」「翼」制限時間1時間。
 今までになく難しいお題でした。制限時間内のうちの20分を使って書いたのは娘の手紙部分。 残りの20分は話の構想、残り20分は寝こけていた。よって、かなりの勢いで加筆修正。しかし、お題バトル、コメディを書く人が 少ないのが淋しい。
 今回の参加者→ Aquaphoenix様MIB様月葵様

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