オンライン文化祭2013
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女神の帰還


 女神ステラサーシャは千年も前から続くこの周辺諸国の唯一の信仰である。
 女神は迷える民を助け、時には諫めこの世界の均衡を取り持つ存在だという。神殿には連日多くの者が巡礼に訪れ、特に年一回女神が人々の目の前に姿を現す聖誕祭の前後にいたっては聖地バルムは人で埋め尽くされる。
 彼女は裏口から祭壇をのぞいた。
 白く輝く女神像は巡礼者達に微笑みかけていた。
「ステラサーシャ様、お願いがございます」
「いつも感謝致します、ステラサーシャ様」
 巡礼者の口々から出るのは女神の名前。ひしめき合う人混みから同じ名前が漏れ続けるのは、冷静に考えれば不気味だ。
 彼女は常に思う。
 彼彼女たちはたかが像に向かって何を熱心に祈っているのだろう。これはただの皮肉だ。像を通して神殿の奥にいる女神に祈っているのはわかっている。彼彼女たちにとって女神とはどういう存在なのだろう。
 それにしてもよくできた像だ。どんな者が訪れようが女神像は等しく微笑み続ける。
(ここには女神などいないのに)
 彼女はそっと神殿を後にした。


「そろそろ実家に帰らせていただきます」
「両親がいい加減嫁げとうるさいものですから」
「皆様が何と言おうと、今年はお断りさせていただきます」
 壁に向かって放たれた言葉は行く当てもなく、むなしく響くだけだった。
 シャルロッテは何度目か数えるのをやめたため息をついた。独り言とため息の充満した部屋はいつになく重苦しい空気に包まれている。
 憂鬱な時期がやってきた。
 今年こそ断らなければならない。
 いいや、今年こそ、この悪しき任務から解き放たれなければならない。
 もう五年だ。
 恋に憧れる十五歳だった少女は、もう少しで行き遅れと言われかねない二十歳の娘に成長していた。両親云々は口実ではあるが、あながち嘘でもない。こんな大役を五年も務めた。もう十分この神殿に尽くしたではないか。
「シャルロッテ様、失礼致します」
 部屋をノックすると同時に、甲高い女の声が聞こえた。
(これは戦いよ)
 誰も助けてはくれない、自分自身で何とかするしかない。神頼みが無駄な事は自分が一番知っている。
 シャルロッテは胸の前に手を当てて深呼吸すると「どうぞ」と答えた。
 入って来たのは三人の男女だった。
 シャルロッテと同年代くらいの娘が世話係のリア。母よりももっと年上の目つきの鋭い女が神殿に仕える者の総取締役ゲアリンデ。白髪の初老の男が神殿のトップ大神官ギュンターであった。
「やだ、この部屋空気が澱んでませんか?」
 どこから出てくるのだろうと感心せざるを得ない甲高い声を上げたリアは窓を開けると部屋の空気を追い出すような仕草をした。
(この二人がいる限りそんなことをしたって無駄よ)
 リアは誰と一緒にいようが変わらない。あきれる部分でもあり、羨ましい部分でもある。
 とりあえず、リアは無視だ。
「ゲアリンデ様、ギュンター大神官様どうぞおかけください」
 声が震えそうになるのを抑えてシャルロッテは二人をソファへ促す。ゲアリンデが何か言いかけたが、ギュンターがソファに腰を下ろすのを見てそれに従う。無駄な事を嫌う人だ。立ったままで結構とでも言うつもりだったのだろう。
 二人にならってシャルロッテもソファに腰掛ける。深く沈み込むこのソファはいつまで経っても慣れない。
 シャルロッテが座るなり、ゲアリンデが口を開く。
「シャルロッテ様も用件を分かっていると思いますので単刀直入に申し上げます」
 先手を取られた、と思ったときはすでに遅かった。
「今年もステラサーシャ様の代わりに聖誕祭へご出席ください」
 シャルロッテは女神ステラサーシャの替え玉だった。

 女神ステラサーシャが神殿を出たのは五年も前になる。
『しばらく帰らない』
 そう書き置きをしてある日忽然と姿を消したという。
 その事実は女神ステラサーシャに直接関わる者だけに伏せられた。だが、当時の神殿は混乱の極みであった。信仰する女神がいなくなったのだ。世界の均衡がくずれるのではないか。いつ事実が神殿中に、信者達にばれるのではないか。
 何よりも事実を知る者達にとって気がかりだったのは「しばらく」とはどれくらいの期間を指すのかということである。女神が女神たる所以はその能力もさることながら、人間よりもずっと長い寿命にあるという。人の一生が女神にとっては瞬きをする一瞬に等しい可能性だってあるのだ。
 もう一つ大きな問題があった。
 聖誕祭である。
 聖誕祭は女神ステラサーシャが一年に一度信者の前に姿を現す機会だ。女神は家出をしましたではすまされない。
 神殿の者達は必死で女神ステラサーシャの捜索を行った。事実を知る限られた人数で捜索した割に、女神ステラサーシャはあっさり見つかった。
 しかし、女神ステラサーシャは帰らないの一点張りであった。
 あの手この手を使って説得をし、時には強引な手を使って連れて帰ろうとしたものの、しまいに言われた言葉は「祟ってやる」であった。
 本気で言ったのではないだろうが、相手は女神ステラサーシャ様だ。本気になれば祟る事なんていともたやすいだろう。
 監視役かつ護衛役かつ世話役の神官を一人つけることを条件に他の者達は撤退した。
 神殿の(一部の者達の)さし当たっての問題は聖誕祭をいかに乗り切るかになった。
 女神ステラサーシャとのやりとりで神経がすり切れていた神殿の中心部は安易な方法に流れた。
 それが替え玉である。
 そして、女神の代役として白羽の矢が立ったのがシャルロッテであった。
 理由は二つ。兄が神殿の神官だったのと、女神ステラサーシャとシャルロッテの背格好が似ていたからである。
 シャルロッテは男並に身長が高かった。兄にくっついて男の子とばかり遊んでいたら、同じように成長してしまったらしい。人形遊びをしていたらもっと小柄に育ったのではないだろうかと思うこともある。
 店の看板娘として働けるわけがなく、得意の力仕事ばかりやっていた娘の嫁ぎ先を心配していた両親は神殿で働くと聞いて喜んだ。女神ステラサーシャに仕えていると言えば、嫁に行けなくても世間体は保てる。何も知らない両親はまさか娘が女神ステラサーシャになるとは思ってもいなかった。
 シャルロッテはと言えば、兄に「神殿の大事なポストがあいてしまった。お前しかいないんだ。一生のお願いだから神殿に来て欲しい」と言われ「一生のお願い」に断り切れなかった。
 もちろん事実を知らされた時は断った。そんな大役出来るわけがない。しかしながら、女神ステラサーシャに相手にされなかった神殿の者達のあの手この手はシャルロッテを丸め込むには十分であった。いや、兄の「お前しかいない」は背格云々以前に頼まれると断れない性格のことを指していたのではないだろうか。
 かくしてシャルロッテは女神ステラサーシャのあくまでも代役として生活することとなった。
 女神ステラサーシャは普段人前に出てくることはない。神殿の事に関する雑多なことは神官やゲアリンデ達の仕事だ。だから神殿から出られないという不便はあったが、目立つことさえしなければ自由に出来た。実際は、何もしないことにいたたまれなくなって、リアの雑用を一部手伝ったりしていたのだが。
 最大の問題は聖誕祭への出席であった。
 そのためにシャルロッテが呼ばれたのだから、それをやらずして何をやるのだという話にはなるが、女神の代役というのは何度やっても避けたい気持ちに変わりがない。シャルロッテは本物の女神ステラサーシャを見たことがない。周りの者達はただ微笑んでいればいいと言うが、いつ正体がばれるか怯え続けるのも人をだまし続けるのも嫌だ。それと純粋に恐れ多いという気持ちもあった。
「あ、あのっ、ゲアリンデ様、」
 二の句を言う前にゲアリンデが口を開く。
「聖誕祭に出ないと言うつもりではありませんよね」
 ひっ、とシャルロッテは身をすくめた。相手には全てお見通しであった。だから、大神官であるギュンターまでもがここに足を運んだのだ。断れないように。
 だが、個々で負けてはいけない。黙って言うことを聞くお人好しのシャルロッテとはさよならよ。
「わ、私、今年は聖誕祭には出ません」
 腹に力を込めて発したつもりの言葉は、裏返っていた。
 ゲアリンデの眼がすっと細められた。
「聖誕祭に出るのはあなたの役割です。それとも、何か事情でも?」
「両親がっ、い、いい加減嫁……に行け、と。あっ、あ、相……手も見っつけ、てきた……ようで」
 ずっと用意していた回答なのに、口が空回るし、視線は明後日の方向を向いてしまったし、嘘がばればれだ。
 リアはぷっと吹き出しそうになるのをこらえているし、ギュンターはあきれ顔だった。ゲアリンデのことは恐ろしくて見ることもできない。
 もっと、まともな嘘をつけばよかった。
 部屋の空気が最悪だ。
「ほう、お前を嫁にもらってくる物好きな男はどこにいるのかな?」
 若い男の声に一同の視線がドアの方に集まる。部屋の入り口には背の高い男が立っていた。服装こそ街人のものであるが、よく見ると神殿のエムブレムが入った剣を腰からぶら下げている。神殿に仕える神官かつシャルロッテの兄であるクリストフであった。そして彼は女神ステラサーシャの護衛役でもあった。
 クリストフを見て真っ先に目の色を変えたのはゲアリンデだった。
「ステラサーシャ様が戻られたのですか!?」
「ざ、残念ながら」
 クリストフもゲアリンデのことは多少なりとも苦手としており、詰め寄るゲアリンデから少しでも距離を置こうと引き気味になっている。
「ステラサーシャ様は今どうしているのだ。まさか、一人にしてきたわけではないだろうな」
 今度はギュンターが問い詰める。しかし、ここは上下の立場だ。クリストフはいつもの口調で答えた。
「ステラサーシャ様は相変わらずお元気ですよ。今もある村に一人でいらっしゃいます。我々の女神様ですよ、一人でも大丈夫なのは皆さんご承知の通りです」
 あの方なら相手が誰でもやっつけちゃうもんね、と隣でリアがつぶやくのが聞こえた。
「では、クリストフよ。何のために帰ってきた?」
「ステラサーシャ様が聖誕祭の件でもめるはずだから何とかしてこいと」
「クリストフ殿、あなたはその前にステラサーシャ様を何とかして連れてくるべきだったのではありませんか?」
 ゲアリンデの目尻がつり上がった。
「できたら、とっくに連れて帰ってきています。妹を説得する方が数百倍楽ですから」
 ゲアリンデ達だけでなく、女神ステラサーシャからも先手を打たれたということか。
 四面楚歌。その立場が逆にシャルロッテの反抗心に火をつけた。大人が揃いも揃って女神様を説得できないからと、力の弱いシャルロッテに全てを押しつけようとする。これが弱者へ手を差しのばすと言っている神殿のやることか。
「私、絶対に聖誕祭には出ません!」
 今までの態度を覆すかのような大声に、その場にいた全員の目が丸くなる。
 一瞬部屋が静まりかえり、その直後にクリストフが声を上げて笑い出した。
「気弱なお前がそんな声出すなんてなあ」
 シャルロッテはむっとした。
「出ないものは出ません」
 決意を固くするかのように、もう一度言う。
 クリストフは笑い転げながらしばらくの間シャルロッテのことを見るめると、ふと神官の顔に戻って言った。
「シャルロッテ、お前に与えられた選択肢は聖誕祭に出るの一つだけだ。それが嫌なら一つだけ方法がある」
「それはどういうことですか!」
 シャルロッテよりも早く反応したのはゲアリンデだった。
「簡単なことです。シャルロッテがステラサーシャ様に聖誕祭に出ていただくよう直接説得すればいい」
 女神の代役をやっているのはシャルロッテであり、シャルロッテが直談判するのが一番説得力があるということか。
「説得に成功すればステラサーシャ様が帰ってくるし、シャルロッテも解放される。説得できなくてもそれは妹の力不足ですから、彼女が代役を続ければいい。神殿にとっても悪い提案ではないでしょう」
 女神様を自分で説得する。
 考えたこともなかった。この五年間言いたかったことは数え切れないほどある。シャルロッテでなければ伝えられないことがたくさんある。
「私さっそく行ってきます!」
「行き先も知らずにそのままの格好でどこに行くんだよ」
 勢いだけで部屋を飛び出しかけたシャルロッテの腕を慌ててクリストフがつかんだ。

 その村はネイ村といった。
 神殿から北へ馬を走らせて三日シャルロッテは兄に指示された場所へたどり着いた。
 クリストフは神殿に残った。俺がいるとステラサーシャ様もシャルロッテも甘えるとは表の理由で、女の戦い?から身を遠ざけたかったのだろう。シャルロッテは幼い頃より兄に習って武術を教わっており、一人旅でも問題ないと判断された。
 シャルロッテは馬から下りると周りを見回した。
 荒れ果てた地。
 その一言が真っ先に浮かんだ。
 山の中腹にあるその村は周りから隔絶されていた。ぽつりぽつりと小屋が建っており、その合間の斜面に畑があるが、どれも枯れかけていて作物がすくすく育っているとは言いがたい。神殿のある都市、聖都では表通りでは巡礼者の声で、裏通りでは街人達の声であふれかえっているといたのに、ここは子供の声すらしない。
 シャルロッテは身震いした。
 すると、正面から誰かが近づいてきた。
 背が高くすらりと伸びた手足は長い。背格好から遠目からは男に見えたが、近づくにつれ女だとわかった。きちんとすれば美貌のはずなのに、短く切られた髪はぼさぼさ、顔も煤汚れていた。
「クリストフの妹でしょ、待ちくたびれたわ」
 目の前に立った女は大きなあくびをした。
 シャルロッテは女の顔を見上げて目をこすった。
 男並の身長を誇るシャルロッテよりも背が高い。男物の服を着ているのに、足が長いためズボンはつんつるてんだ。そして、平坦なシャルロッテとは違い出るところは出ている。何よりも注目すべきは、薄汚れてわかりにくくなってはいるもの金髪に金の瞳。それは、シャルロッテが替え玉をする時につけるウィッグと目に入れるカラーガラスと同じ色だった。
「まさかステラサーシャ様ですか?」
 女がすかさずシャルロッテの口をふさいだ。
「声が大きいわよ。いかにも私はあんたたちの言うところの女神よ」
 シャルロッテは驚き半分と、納得半分の思いで、女神ステラサーシャを見つめた。
 話に聞いていて見た目と中身に多少のギャップがあることは察していた。しかし、こんな薄汚れた格好は街娘でもしないし、しゃべり方もシャルロッテの想像を超えてがさつだ。肖像がで拝み続けた長くウェーブした金髪をたなびかせて民に微笑みかける女神様の面影はどこにもなかった。
「用件はわかってるから、とりあえず行くわよ」
 それだけ言うと村の奥へすたすたと歩き出してしまう。
「あっ、待ってください、ステラサーシャ様」
 シャルロッテは馬の手綱を握りしめて、ステラサーシャを追いかけた。
 ステラサーシャの後ろを歩きながら、大事なことを忘れていたことに気づく。
「ステラサーシャ様、挨拶が遅れて申し訳ありません、私、神官クリストフの妹の」
「シャルロッテでしょ、知ってるわよ」
 振り返ることなくステラサーシャは言う。
「先に言っておくけど、そのステラサーシャ様って呼ぶのやめてくれない? 私のことはラウラと呼びなさい」
「ラウラ様……。失礼しました、そうですよね、ステラサーシャ様なんて呼んだら女神様ってばれてしまいますもんね」
「そういう意味もあるけど。私の本当の名前はラウラだから」
 シャルロッテの思考回路が一瞬止まった。
「……えっ? ステ……じゃない、ラウラ様も女神様の替え玉なんですか?」
 ステラサーシャ、ならぬラウラが立ち止まって振り返った。こういう視線は知っている。兄が自分に呆れた時の目だ。
「シャルロッテ、あんた馬鹿なの?」
 シャルロッテにとってみれば女神ステラサーシャ様はステラサーシャ様であり、本当の名前の意味と言う方がわからない。
 ラウラは再び歩き出す。
「ステラサーシャというのはあくまでもあなた達が信仰している女神の呼び方よ。私達、女神と呼ばれる者の寿命は約三百年。女神信仰の間には何回か女神が入れ替わってるの」
 女神はその世界に一人だけどこからともなく現れ、神殿で役割を全うし消えていく。すると、また次の女神が現れる。何代目かはわからないが、現女神ステラサーシャの個体としての名前がラウラだという。
「やはり、ラウラ様は人とは違うのですね」
 そんな貧相な感想しか出てこなかった。
「すみません、つい手の届くところにいらっしゃるので、人と同じと思ってしまいそうになるというか」
「別にかまわないわ、実際人の中で生活してるんだから」
 移動中も村の中は静かだ。決して人がいないわけではない。村民達は畑に出て仕事をしている。他の農村と違うのは活気がないことと、子供の姿が見当たらないことだ。
 しばらくすると言い争う声が聞こえてきた。
「お願いします、少しだけでいいんです。妻の様子を見ていただけませんか?」
「お前らが勝手にこの村に来たんだろ、自分たちで何とかしろ」
「子供達に変なことを吹き込んでいる時間があったら、とっととこの村から出て行け」
 やせ細った男達に囲まれているのは、黒服を着た神官であった。神殿の制服とは違うから、地方の礼拝所につとめる者だろう。
「なんとか、お願いします。いくらでも払いますから」
 神官が何度頭を下げる。
「じゃあ、この村のみんなが裕福に暮らせるだけの金が払えるってのか?」
「そ、それは……」
「じゃあ、とっとと去ってくれ」
 男達は神官を突き飛ばすと各々の家に戻ってしまった。神官は他に助けを求めようと周りを見回すと、誰もが目を合わす前にその場から去ってしまった。
 最後にたどり着いたのはラウラとシャルロッテであった。
 ラウラは神官に近づいた。
「あんたの奥さんどうかしたの?」
 神官はラウラの膝にしがみつく。
「妻は妊娠をしているのですが、朝からずっとお腹が痛いと苦しがっているんです」
 ラウラが口早に言った。
「早くその場に連れて行きなさい」

「動きすぎてお腹が張っただけよ。いつ産まれてもおかしくない状態だし、安静にしていれば大丈夫よ」
 ラウラの言葉に神官は安堵の息をもらした。
 神官アーベルとその妻エマは村の隅にうち捨てられた掘っ立て小屋に身を置いていた。
藁を敷いた所にエマを横たわらせ、ラウラ、シャルロッテ、アーベルは床板の上に直接座った。
「お茶の一つも出せなくてすみません」
「それにしても、身重な奥さんを連れてなぜこんな所にいるんですか?」
「子供を授かったので女神様に感謝の意を込めて聖誕祭に行こうと思いまして」
 シャルロッテとラウラは顔を見合わせた。
「本来ならばもっと聖都へ早く着いて、妻が子供を産んでから聖誕祭に参加して帰るつもりでした。ところが、各地でお世話になった方々に感謝の印に女神様のお話をしていたら予定が狂いまして」
 はあ、とラウラの口からあきれた声が漏れた。
「子供が産まれるって時に長旅をする意味がわからないわ」
「私達夫婦に子供を授かったのですよ! 女神様に感謝しなくて誰に感謝するんですか。感謝の気持ちを伝えるなら直接でしょう?」
 アーベルの拳が握られている。
 信心深いアーベルは神官として立派なのだろうが、もう少し妻のことは考えなかったのか。
 今目の前にいる人に直接言えばいいのに、とはさすがにシャルロッテも言えないので、適当な相づちを打つしかない。
「あの、エマさんは聖誕祭に参加することについて何と言っているんですか?」
「妻は私の夢は自分の夢と黙ってついて来てくれます」
 本当だろうか、とシャルロッテはエマを盗み見た。エマは落ち着いたのか、眠っている。
 アーベルは大げさにため息をついた。
「この村でも同じ事をしただけなんですけどね。この村の方々は信じられないことに女神様の信仰がほとんどないようなんです。せめて、子供達には女神様のことを知ってもらおうとお話ししたらこの通りです」
 シャルロッテは五年前に現実を知ったが、それまでは女神ステラサーシャを信仰していたし、今でも民の中ではそれを当たり前だと思っている。女神を信仰しないという考えは予想だにしないことであった。アーベルのようなのもいかがかと思うが。
「でも、これは女神様に与えられた試練だと思うんです。だから、なんとか村の皆さんに分かってもらえるまで頑張ろうと思います」
 シャルロッテとラウラは再び目を見合わせたのであった。

「面倒くさい男だったわ」
「変わった人でしたね」
 小屋から出て開口一番ラウラは言った。
 シャルロッテはそこまではっきりとは言えなかったが、似たような感想を抱いたのは確かである。
「これはますますシャルロッテが聖誕祭に出た方が面白そうね。シャルロッテを見てあの男『今まで生きてきてよかった!』涙を流すに決まってるのよ」
 あんなに自分を信仰してくれる男に対して、なんとひどい言い方だろう。
 それよりも、とシャルロッテは自分がここに来た目的を思い出す。
「その件です。今年こそはラウラ様が聖誕祭にご出席ください」
「嫌だって言ったら?」
「何が何でも出ていただきます」
「祟るわよ」
 シャルロッテはキッとラウラをにらみ返した。
「その手にはだまされません」
 ほう、と言ったラウラの目が細められた。
「ラウラ様、本当は全てを叶える力なんて持っていないんでしょう?」
 ラウラが冷ややかな目のまま口だけで笑う。女神よりも魔女だ、と思った。
「あら、わかったの?」
 この村はあまりにも荒んでいる。女神が力を持っているのなら、もう少し何とか出来たのではないだろうか。女神の力は人が女神をあがめ奉るあまりについた話の尾びれなのではないか。
「人は弱いからよりどころが必要なの。でも、それは誰でもいいの。民にとっては女神が私だろうが、シャルロッテだろうがどうだっていいのよ」
 静かに放たれる言葉はどんな刃物よりも鋭い。
 シャルロッテには誰よりもそれがわかる。
 聖誕祭で誰か一人でもシャルロッテのことを替え玉だと気づく者はいただろうか。歩き方も違う、シャルロッテが聖誕祭に出るときはいつもおどおどしている。なのに、誰もそれに気づかない。
 シャルロッテが神殿に入って間もなくリアに聞いたことがある。なぜ神殿の者達は女神がいなくなっても落ち着き払っているのか。いつも通りに業務を行えているのか。
「シャルロッテ様がいらっしゃいましたから神殿の業務としては成り立ちますもの。女神様はこの世から消えていませんし、実際にこのような自体になっても世界は回っていますでしょう?」
 それが神殿に従事する者達にとっての結論なのだ。
 ラウラもシャルロッテも神殿を動かす駒の一つに過ぎない。
 ラウラはそんな時間を三百年も耐えなければいけないのか。ラウラを本当に必要とする人が現れたとしても、相手の方が早くに亡くなる。
 そんな人生は耐えられるだろうか、シャルロッテは目尻が熱くなるのを感じた。
「それにしてもこの村、宿がないわね」
 静まりかえった村にラウラの声が響いた。
 シャルロッテは首をかしげる。
「あれ、ラウラ様この村に滞在していたのではないのですか?」
「今日初めて来たけど。誰がそんなことを言ったの?」
 記憶をたどれば誰もそんなことは言っていない。ただ、兄が地図の場所を指し示したときから勝手にそう思い込んでいただけだ。
「じゃあ、どこかの家に泊めてもらうしかないわね」
「この村に滞在するつもりですか?」
「あの神官の奥さん、このままだとまずいわよ」
「え?」
「そんな気がするだけ。村の人達の調子はあんなだし、私達がいた方がいいでしょ」
 ラウラの言うとおりだった。昼間の印象では外から来た者を迫害する地だ。何かあったときに手をさしのべられるのは自分たちしかいない。
 そうなると他の問題が出てくる。果たしてシャルロッテ達を泊めてくれるような家はあるのだろうか。
「世の中ギブアンドテイクよ」

 女神というのはつくづく詐欺師だ。
 こんなに嘘で塗り固められた存在はいないだろう、シャルロッテは大きな袋一杯に入れられた水を運びながら思った。
 ラウラは村の中でも比較的見栄えのいい家を訪ねると、家の主人に二人を泊めて欲しいと頼み込んだ。当然最初は断られたが、ラウラは次々と条件をふっかけた。ある程度の金は払う、家のことは手伝う、食料は基本的に自分たちで取ってくる。
 そこまで言われて断る理由のなくなった主人は納屋の片隅を二人に貸してくれた。
 二人に与えられた仕事は水汲みだった。
 雨の少ない土地であるネイ村では水の入手が必要不可欠だ。片道二時間。毎日山の麓の川まで行き水をくんでくるのが子供達の役割だった。少しでも水があるに越したことはないと子供達と一緒にシャルロッテとラウラも水を汲みに出かけることになった。
 シャルロッテとラウラがそれぞれ村まで乗ってきた馬にも水を積み、シャルロッテ自身も水の入った袋を背負う。この五年間の生活でも、合間をみて力を鍛えていた甲斐があった。
 ところが、ラウラは誰よりも身軽だった。
「ラウラはなんで水を持たないの?」
「ラウラだけずるいよ」
 子供達に当然の疑問をぶつけられると、ラウラは堂々と答えた。
「私は食料係だからいいの」
 シャルロッテはラウラの開き直りように言葉も出なかったが、彼女はその言葉通り、川の近くで子供達の喜びそうな木の実や果実を取ってきた。食べられる植物も子供達に教え、家に持って帰らせた。始めは文句を言っていた子供達も甘い果実を与えてくれるラウラに何も言わなくなった。ただ一人、シャルロッテだけが、水を汲むのを手伝うと言ったのに、自分だけにやらせるラウラを恨めしく思っていた。
「ラウラ様、神殿にこもっていた割にずいぶん草木に詳しいんですね」
 子供達が水をくんでいる間、今日もシャルロッテとラウラは食べられる植物を摂りにきていた。ラウラが選んだ植物は水分が豊富な果実だ。水が貴重な村にとってみずみずしい植物はそれだけで水の節約になる。
「クリストフが教えてくれたのよ」
「兄さんが?」
「最初は私の行きたいところに行ってったけど、彼はもっと世界を知るべきだって色々なところに連れて行ってくれたわ。商業都市や、豊かな農村や、ネイ村のような貧しい村に」
 ラウラはふと遠い目をした。何かに思いをはせるように。
「旅の途中では食料が思うように手に入らないことがあるでしょう? だから、彼が色々教えてくれたの」
 それだけではないはずだ。この排他的な村に滞在できているのも彼女の交渉術の賜だ。シャルロッテ一人で何とかしろと言われたところでアーベルと同じような扱いを受けたことだろう。
 この五年間ずっとラウラは世間勉強との名目で派手に街を遊び歩いているのだと思っていた。シャルロッテはそんな自分を恥じた。
 二人が子供達の元へ戻ってくると、彼らはまだ水汲みの作業中であった。ラウラは彼らから少し離れたところで立ち止まる。
「水が命の源だって事を一番分かっているはずなのに、命の源に生命が集まるってことをこの村の人達は知らないんだわ」
 山の中腹にある村は外との交流がほとんど無く、外からの知識が得られなかった。やせ細った地に住み着いてしまった彼らは貧しくなり、精神が荒んでより排他的になってしまった。
 きっと水汲みの途中に木の実を口にした子供もいただろう。しかし、全ての植物が食べられるわけではない。人間にとって有害な植物を食べた子供の末路を見た親たちが、絶対に道草は食うなと教えるようになったのだ。そのうち子供達にとって食べ物とは干からびた農作物であり、中身がスカスカの穀物となった。
 子供達が二人を見つけると駆け寄ってきた。
「今日は何を摂ってきたの?」
「じゃーん。ヤールの実よ」
「やったあ!」
「ラウラ様とお呼び」
 最初に水汲みに来たときよりも子供達は明るくなり、よく喋るようになった。
「おいしい」
 寄り道は禁じられているはずだが、土産を持って帰ってくる子供達に文句をつける親はいなかった。
「ラウラはすごいねー、なんでこんなに色々知ってるの?」
 子供達におだてられてラウラは得意げに答えた。
「それは簡単な事よ、私が偉いから」
 子供相手に何を言っているのだろう。先ほどクリストフから教わったとシャルロッテに言ったばかりではないか。
「偉いってどれくらい?」
「そうねー、すんごく偉いわよ」
 自分で偉いと言う人にろくな人はいない。しかし、子供達は純粋だ。
「じゃあ、女神様よりも偉いの?」
「もちろんよ」
 この人は滅茶苦茶だ。聖都でそんなことを言ったらどんな待遇を受けるか、シャルロッテは頭を抱えた。
「えー、でも、村に来た神官様が女神様が一番偉いって言ってたよ」
 別の子供の声にほら、とシャルロッテは頷く。ラウラは神官の言葉に眉をひそめる。
 アーベルは性懲りもなく子供達に女神とは、と語りかけていた。そして、シャルロッテ達に会うと、わかり合えるのはこの二人だけとばかりに神官のあり方とはについて熱く語り出すのであった。
 ラウラは当初アーベルのために村に滞在すると言ったはずなのに、彼のことを「思っていた以上に面倒くさい」とほとんど耳を貸さなくなっていた。よって、彼の話を受け止めていたのはシャルロッテただ一人だった。
 ラウラはきっぱりと言い切った。
「あなた達に何もしてくれない女神様より、私の方がよっぽども偉いに決まってるじゃない」

 その夕方、シャルロッテ達が泊まっている家の玄関で男同士がもめる声が聞こえた。耳を澄ますと出せだの出さないだの出ていけだの言っている。
 聞き覚えのある声にシャルロッテ達は玄関へ向かった。
 家の主人ともめていたのはアーベルだった。
 シャルロッテ達を、いや、正確にはラウラを見つけるとアーベルは怒鳴った。
「ラウラさん、あなたは子供達になんてことを教えたんですか!」
 アーベルが視界に入った瞬間「面倒くさい」スイッチの入ったラウラはシャルロッテの肩をぽんと叩いた。何とかしてこい、ということだろう。
 家の主人がなんとかアーベルを押しとどめようとするが、栄養不足で痩せた主人が一般的体格のアーベルに叶うわけがなかった。アーベルはそのままずかずかと家の中に入ってくる。
 とっさにまずいと感じたシャルロッテはアーベルの元へ向かう。
「アーベルさん、どうしたんですか」
 興奮しきったアーベルは早口でまくし立てる。
「どうしたもこうしたもないですよ。ラウラさん、あなた子供達に女神を否定するようなことを言ったそうですね」
 子供達は昼のことをアーベルに喋ったらしい。おそらく、ただ本当はどちらが偉いのかという確認のつもりだったのだろう。
 しかし、信仰深い神官であるアーベルにとってはただですまされない。彼にとっての唯一無二の存在である女神が侮辱されたのだ。怒るのは当然だった。
「あー、面倒くさい」
 責められている当人は誰にも聞こえるような声で言った。
「だいたいさ、人様の家に勝手に上がり込んで迷惑だと思わないの? 神官様はそんなに偉いの?」
 ラウラもラウラだ。もう少し穏便に事をすませられないのか。シャルロッテは身の縮む思いがした。
「この家は私達がお世話になっているの。家の人達に迷惑をかけるわけにはいかないわ。外に出ましょう」
 ラウラが促すとアーベルは素直に従った。
 アーベルの怒鳴り声は近所にも響いていたらしく、家の外は人だかりが出来ていた。
 それもそうだろう。村の厄介者神官アーベルと旅人ながら村に少なからず尽力したラウラがにらみ合っているのである。
 シャルロッテは間に立って、おどおどと二人を交互に見つめた。いざとなったら培ってきた武術で二人を押さえつけるつもりだった。身長だけでなく力もその辺の男には負けない自信がある。
 先に口を開いたのはアーベルだった。
「ラウラさん、子供達にあなたの方が女神ステラサーシャ様よりも偉いと言ったのは本当ですか?」
 外に出てギャラリーの多さにアーベルは落ち着きを取り戻していた。
「そうよ」
 ラウラは即答する。
「それだけでなく、あなたはステラサーシャ様が私達に何もしてくれないと言ったそうですね」
「だって、本当のことでしょ」
「あなたという人は……!」
「じゃあ、あんたの言う女神様はこの村に何をしてくれたって言うの?」
 アーベルは黙った。
 ラウラは口早にたたみかける。
「聖都にはあんなに物があふれかえっているというのに、ここは水もない、作物も育たない。女神様が何かしてくれるというのならこの村はもう少しまともであるべきでしょう。それとも、女神様は不公平なのかしら」
 アーベルは何とか言葉を振り絞ろうとしていた。
「女神様というのは……そう言うのではなくて、私達の心のより所なんです」
 シャルロッテは何とか二人の間に入らなければいけないと思いつつ何も言うことが出来なかった。
 ラウラは神殿を出るまで知らなかったのだろう。このような村があることを。そして、己の無力さを痛感したのだ。シャルロッテが聖誕祭で祭壇に立つ時に胸が痛むのは、アーベルのような人々をだましているからだけはない。それに答えられない無力な自分に対してだ。
 ステラサーシャの代役として過ごしてきて、心のより所という単語の重みがわかるようになった。彼らは神殿に本当にすがる思いでやってくるのだ。そうでないと心が折れてしまうから。だから、アーベルの言うことも間違っていない。
「あー、迷惑な話」
 ラウラの言葉は女神ステラサーシャの本音そのものだった。
「心の拠り所でいいのなら、あんたが女神様の代わりを務めればいいのよ」
「なんてことを言うんですか。そんなことを私が出来るわけじゃないじゃないですか。そもそも世間が許しません」
 ラウラは外へ出てきて初めてアーベルから視線を外し、同情するような目でシャルロッテのことを見た。
「じゃあ、いいことを教えてあげる」
 ラウラは一呼吸おくと、ゆっくりと低い声で言い放った。
「この世に女神様なんていないのよ」
 さすがの村人達もどよめいた。
 ラウラは周りを見回して、村人達に問いかける。
「あなた達も本当は女神様を信じているのでしょう?」
 アーベルはこの村は女神信仰がほとんどないと言っていたはずだ。シャルロッテはラウラの言葉に耳を傾ける。
「あなた達の祖先はこの土地が不毛だと知って、まずは女神に祈ったはずだわ。そして、何も変わらない現実に祈る自分達にむなしさを覚えたんだわ」
 しかし、どこかで祈らないと余計に悪い方向へ向かうのではないかと恐れ、女神を否定することもできない。女神はいないと言いながらどこかで女神に期待をしている。だからこそアーベルはこの村から煙たがられても本当に追い出されることはなかった。本気で追い出す気であればいかにもできただろうし、子供達との接触もそう易々とできなかっただろう。
「もう一度言うわ、女神様なんてこの世にはいないの」
 シャルロッテはラウラの金色の瞳が冷ややかに光のを見て背筋が凍った。
「この村はきっとどこの村よりも熱心に女神に願ったのでしょうね。そんなことよりもすべきことがあったでしょう。外との交流を持って知識を取り入れ、この土地についてもっと学ぶべきだったんだわ」
 アーベルだけでなく、村人までもを侮辱するラウラに、村の空気がピンと張り詰めた。
 これではシャルロッテ達の方が本気で追い出されてしまう。
 これ以上誰も喋らないで欲しい。
 この時誰よりも女神様に願いたかったのはシャルロッテだった。
「父さん、母さん、大変だ!」
 シャルロッテの願いが女神様ではない誰かに届いたらしく、遠くから子供達の声が聞こえてきた。
「人が倒れてるの!」
「痛いって、ずっと言ってて」
「む、村の入り口」
「女の人がお腹が大きくて」
 慌てて駆け寄ってきた子供達が口々に言う。混乱しすぎて話が纏まっていない。
 しかし、誰もが即座に理解する。
 アーベルの妻、エマだ。
「すぐに案内しなさい」  血相を変えて誰よりも早く動いたのはラウラだった。

「うーっ」
 シャルロッテ達の世話になっている家に連れてこられたエマはかれこれ半日以上唸り続けていた。
 子供は中々出てこなかった。出産経験のある女達が交代でエマのそばに付き添った。ラウラは少し離れたところで指示を出し、シャルロッテはずっとエマの手を握っていた。
 アーベルは落ち着きをなくし、部屋の隅をウロウロとしながら「ステラサーシャ様」と祈ってばかりだ。
 さすがのシャルロッテもあきれて物が言えない。これでは信仰深いのでなはく、ただの臆病ではないか。
「いやーっ、助けてーっ」
 突然エマが暴れ出した。長時間の陣痛に耐えられなくなった彼女は自我を失っていた。
「エマ、大丈夫よ。落ち着いて」
 シャルロッテの言葉に聞く耳を持たないエマは周りの女達に危害を加え始めた。シャルロッテと家の主人が二人がかりでエマを押しつける。我を忘れた者の力はなんと強いのだろう。このまま暴れ続けられたら抑えきれない。これでは子供もエマも危険だ。
 そんなエマの姿を見て自我を失った者がもう一人いた。
 夫のアーベルだ。
「わわわわわっ、エマっ」
 アーベルは窓に向かって座り込むと本格的に祈りだしたのである。
「女神ステラサーシャ様よ。どうか妻と子供をお助けください。お願い致します。女神ステラサーシャ様、どうか、どうか。私はあなたに何をされてもかまいません」
 この男はなんと意気地なしなのだろう。この期に及んで女神様に祈ることしかできないとは。だいたいステラサーシャのいる方向はそっちではない。
「ラウラ様」
 シャルロッテはエマを押さえつけながら、声を振り絞った。
「その男を殴ってください」
 アーベルの存在すら消していたに違いないラウラがアーベルを見やった。
「シャルロッテってば、私にそんな役目をまかせちゃっていいの?」
 肩を回すラウラの声が心なしか弾んでいる。
「私は手が離せませんので。それに本望でしょう」
「そうよねー、しょうがないわよね」
 じゃあ、いくわよと言ったラウラは後ろからアーベルを掴むと自分に向き直らせ思い切り殴った。拳で。
 アーベルはそのまま床に尻餅をついた。
 シャルロッテ以外の全員が唖然としていた。殴ると言ってももっと、軽くやると思っていたのだろう。
「アーベルさん、しっかりしてください」
 部屋に響き渡る声でシャルロッテは言った。今もエマは暴れ続けているから、彼に面と向かって話しかけることも出来ない。
「あなたはエマさんに何をしてあげたですか、今何をすべきなんですか。祈っている暇があるならやることなんてたくさんあるでしょう。あなたにしかできない事があるでしょう。女神に祈るだけの人なんて。ラウラ様の言うとおりです。迷惑なだけです」
 アーベルに背を向けるシャルロッテは今どんな表情をしているのかわからない。
「あなたまでそんなことを……」
「アーベルさん、よく聞いてください。何でも女神様にゆだねるなんて、勝手すぎませんか? あなたは女神様の迷惑を考えたことがあるんですか? あなたも一度くらい女神様の気持ちになってください。エマさんの気持ちを考えてください」
 ラウラは今どんな気持ちだろう。エマは今どんな気持ちだろう。
「今のエマさんに必要なのは何もしてくれない女神様より、あなたがそばにいることなんです」
 背後で人の立ち上がる気配がした。
「エマッ」
 アーベルが駆け寄ってきた。アーベルはエマを押さえつけるのを家の主人と交代した。
「落ち着いて私のことを見るんだ。君は大丈夫だ。僕が着いているから」
 エマはアーベルのことに気づく様子もなく実をよじり続ける。アーベルはかまわず語りかけた。
「三人で聖誕祭に行くって約束したじゃないか。ステラサーシャ様の美しさをこの子に少しでもわけてもらおうって」
「エマさん、アーベルさんの言うことが聞こえますか」
 シャルロッテも一緒に声をかけ続けた。
 ふと、シャルロッテの肩に手が添えられた。
「シャルロッテ、私と変わりなさい」
 ラウラだった。
「ラウラ様じゃ今のエマさんは抑えきれませんよ」
「かまわないから」
 そう言って無理矢理シャルロッテを押しのけたラウラは優しくエマの手を握った。
「エマ、私の声を聞きなさい。あなたは一人じゃないわ。愛する夫がそばにいるのがわかる?」
 ラウラはエマが暴れるのもかまわず手をさすり続ける。
「落ち着くの。あなたの夫もシャルロッテも
村のみんなも心配しているわ。お腹の子もよ。そう、大丈夫よ」
 ラウラの声は直接心に届くようで、聞いていて心地がよかった。シャルロッテの見たことがない優しい顔でエマに微笑みかける。いや、正確には見たことがある。神殿の女神像だ。
 エマは少しずつ落ち着きを取り戻した。視線がラウラの所で止まる。
「女神……様」
 ラウラは嫌な顔をしなかった。
「反対側を見なさい。あなたの夫がいるわ」
 エマは顔を反対側に向けた。
「あなた……」
「エマ、がんばるんだ」
 エマを押さえつけるのをやめたアーベルが、ラウラとは反対の手を握りしめる。
「いい子ね、じゃあ、今度は息を吸って、吐いて」
 そのままラウラの誘導通りにエマは呼吸をはじめた。
 子供が産まれたのはそのすぐ五分後だった。
 アーベルがエマを抱きしめると、ラウラはそっとエマの手を離した。シャルロッテは涙で産まれたばかりの赤子の顔が見えなかった。

 それからの村はいつになく賑やかだった。各家から少しずつ分け与えられた水を炊いた湯でエマと赤子は清潔にされた。昼間に子供達が持ち帰ったヤールの実でささやかながら祝杯が開かれた。
 赤子の力というのはすごい。
 一瞬にしてアーベル夫妻と村を結びつけてしまった。
 それよりもラウラだ。ラウラが語りかけた途端エマはおとなしくなった。
 ようやく見ることの出来た赤子を長めながらシャルロッテはぽつりと言った。
「私、帰ります」
「帰るってどこに?」
「神殿に決まってます。帰って、聖誕祭に出ます」
 ラウラの孤独と不自由を知った。長い人生の中、もう少し自由でいてもらいたい。この人は世間にこそ必要だ。
「あんた、本当に馬鹿なの?」
 そう言うラウラの瞳は優しく微笑んでいた。先ほどエマに見せたのと同じ女神の微笑みだった。
「じゃあ、私もついていくわ」
 一瞬ラウラが何を言っているのかわからなかった。
「このままシャルロッテに代役をやらせてステラサーシャが馬鹿だって噂を流されたらたまらないわ」
「でも……」
「じゃあ、あんたが罪悪感を抱かないように特別に教えてあげる。これはクリストフとの約束だったから」
 突然出てきた兄の名前に、シャルロッテは目を見張る。
「クリストフだって妹を女神としてずっと神殿に縛るわけにいかないでしょう? あんたの嫁行き遅れ問題は両親だけの心配事じゃなかったの。だから、最初から五年って決まってたの」
 クリストフが女神ステラサーシャの替え玉にシャルロッテを選ぶのは始めから決まっていたことだったのではないか。
「でも、私がふらっと帰ったからあんたを解放ってのも勝手だし、大義名分が必要だったのよ」
 それが、シャルロッテがラウラに直談判に行くことだった。
 全て兄に仕組まれていた。
「これは私と彼しか知らないし、彼を責めては駄目よ。クリストフは優しいの、ただお人好しなだけなの」
 微笑むラウラがなぜか寂しそうに見えた。
「あんた達兄弟は揃ってお人好しなのよ」

 アーベル夫妻は落ち着いたら聖都へ向かい聖誕祭には出ると言った。
 シャルロッテとラウラが村を出る際、ラウラは世話になった家の主人に言った。
「一つだけいいことを教えてあげる。村の外れの土を掘りなさい。諦めそうになっても深く深く掘り進むの。そうすると暖かい水が湧いてくるわ。今の話を信じるか、それをどう使うかはあんた達に任せるわ」
「ラウラ様……?」
「この山は元々火山だから農作物が育ちにくいわ。農業で生活をしようという発想が間違ってるのよ」
「ラウラ様、以前言ったことを取り消します。本当は人の願いを叶える力を持っているのではないですか」
「なに、その夢のない話。ただ、与えられた物は返す、それが私のポリシーよ」
 ラウラは馬に乗ると、手綱を握って馬を走らせた。


 いつになく神殿は熱気に包まれていた。
 聖誕祭だ。
 そして、今、女神ステラサーシャが祭壇に現れ、聖誕祭はクライマックスを迎えていた。
 女神ステラサーシャは民に優しく微笑みかける。
 女神の名を叫び続ける群衆の中にアーベル夫妻いもいるのだろう。
 やはり本物には敵わない。シャルロッテはラウラを祭壇の裏口から眺めながら思った。
「本物はオーラが違うな」
 クリストフが横に立っていた。
「兄さん」
「ステラサーシャ様、いや、ラウラ様がお前に感謝していたぞ」
 ラウラは神殿に着くと一言だけ「今まで悪かったわね」と言った。それきりラウラには会っていない。今日は特別にギュンターの許しを得てここからラウラの様子をみせてもらっていた。
「ラウラ様に神殿から出るように勧めたのは俺だ」
 シャルロッテは驚かなかった。
 全てがうまくいきすぎていたのだ。そして、黒幕は兄以外にいないと。
「ラウラ様はあれでも百年生きている。長い間ずっと民の声だけを聞き続けてきたんだ」
 民の願いを聞き続けながら何も出来ない。助ける力は持っていても、それを全員に行使したらどうなることだろう。
「ラウラ様はもっと外の世界を知るべきと思ったよ。民とふれあえてこそ本当の女神としての役割が果たせると」
 それだけだろうか。
 シャルロッテは隣に立つ兄を見上げた。クリストフの視線はラウラに注がれたままだ。
「兄さんは……」
 ラウラ様のことが、と言いかけてやめた。
「これからはお前もたまにラウラ様のことを神殿から連れ出してやってくれ。」
 クリストフもシャルロッテの言葉に気づかないふりをして続ける。
「それと、ゲアリンデ様がお前も神殿に残るようにってさ。口止めとラウラ様のお相手を兼ねて。どうせお前を嫁にもらってくれる男なんてすぐ現れないからちょうどいいだろう」
「兄さん!」
 最後の一言は余計だ。
 兄を睨み付けるシャルロッテをよそに、女神ステラサーシャは神殿を訪れた者達に微笑み続けていた。



 吉田ケイさん主催【オンライン文化祭2013〜帰〜】参加作品。


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