オンライン文化祭2012
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若きガラス職人の悩み


『炎を制する者はガラスをも制する     松坂俊介』

 何度見ても名言だ。俊介はお世辞にも美しいとは言えない文字の踊る紙を眺めながら頷いた。一万回くらい見れば味のある字に思えてくるはずだからこれでいい。これも名言。
 それが仕事前の日課だった。
 そこから俊介の一日は始まる。
 朝食はトーストとコーヒーで簡単にすませる。身支度を調えて、職場までは自転車で十分。働いているのは観光地の小さなガラス工房だ。バーナーワークといってガスバーナーを用いて小さなガラス細工を作っている。一番下っ端の身であるから、誰よりも早く出勤して準備をしなければならない。工房長の趣味でラジオ体操をして、朝礼をしたら店舗開店。店舗に出す作品を作るところはガラス越しに客が見られるようになっている。もう一人のバーナーワーク職人と交代でトンボ玉作成の体験教室も行う。人手不足の時間帯は店舗の販売員をしたり、商品札を作ったり雑用も多い。必要に応じて営業にも出向く。十八時に閉店した後は片付けを行い、それからが俊介個人の作品制作の時間である。店舗に出す分の作品が終わったら、自分のための作品を作る。技術向上のためでもあるし、工房の給料だけでは生活が苦しい。工房長から店舗と同じものを出さなければ、自分の作品を個人で販売してよいと許可は得ている。ついでに工房のバーナーは使ってよいこととなっているし、毎月一定量のガラス棒をわけてくれるので非常にありがたい。適当なところで引き上げて、スーパーで総菜を買って帰る。シャワーを浴びてから、一番の楽しみである発泡酒をあけて寝る。  地元で育ってきたから、ガラス細工職人の生活に幻想を抱くなんてことは無かったし、ほぼ一日ガラスと向き合えるわけだから充実していると言えるだろう。好きな職に就けただけでも十分である。予想外だったのは、帰った時に温かいご飯を用意してくれる彼女がいないことだけだ。
   と、言いたいところであるが、世の中そんなに甘くない。
 最近俊介は「かわいい」というものについて真剣に考えていた。考えざるを得ない状況に陥ってしまった、と言った方が正しいか。とにかく、「かわいい」という感覚がわからない。好みの女の子を見てかわいいとは思う。ぶっちゃけ美人よりもかわいい子の方が好みだ。子供も動物もどちらかと言えば好きだ。ただ、キャラクターの「かわいい」がわからない。
「お前の作品は無表情なの。見てて愛しさが感じられねえ」
 それ故に工房長である師匠にくどくど説教されて早一時間。
 店舗において俊介の作品の売れ行きの悪さは飛び抜けていた。俊介が主に作っているのはリアルな野菜果物シリーズと動物シリーズであった。前者はミニチュアコレクターに人気であったが、後者はほどんど売れなかった。
安価なガラス細工の客層は修学旅行生、つまりは女子中高生が主である。彼女たちの心を掴まずに作品は売れない。
「女の子のかわいいってどういうのですかね?」
「夢の国のテーマパークのキャラクターを参考にすればいいんだよ」
 脳内に俊介の知っているキャラクター達を思い描いてみる。確かにあそこのキャラクター達はすごいと思う。二本足で立っているのに、元の動物が何か容易に想像できる。登場するキャラクターの種類も抱負だ。着ている服も洒落ている。それだけだ。夢の国に限らず、世の中に溢れているキャラクターはみんなそうだ。
「師匠はあれを見てかわいいと思うんですか?」
「俺はああいうのには興味ねえ」
 やっぱり。
 工房長の村井は引き締まった浅黒い肌に、ほぼ白くなった髪が対照的である。本人は後退してきた額を気にしているが、俊介から見ればまだまだ残ってる方だ。いかにも職人といった頑固そうな顔つきをしてる。その見た目で興味があったら逆に怖い。いや、最近はそれをギャップ萌えというのか。
「だいたい、俺は吹きガラス職人だからいいの。かわいいよりも美しいなんだよ」
 村井は青色の扱いを得意としている。深く表現豊かなその色は、巷では村井ブルーと呼ばれている。
「自分の作りたい作品をとことん突き詰めるのもいい。だが、作品を売って生活するためにはお客様の求めるものも作らなきゃならねえ」
 村井は煙草に火をつけた。
「一つのものを追求するのは年食って頭が固くなってからでいい。今は手広く作品を作れるようになれ。ただでさえ、バーナーワークなんて儲からないからな」
 職人の誰もがぶち当たる理想と現実のギャップだ。テンプレすぎて泣ける。
「別にかわいいにこだわる必要はねえ。客が買いたくなるようなものを作れ。作品は人に愛されてナンボだ」
 村井のはき出した煙草の煙は八割方ため息だったと思う。
 一つだけわかったのは、女性のいう「かわいい」を理解しろというは火星人と会話しろと同じレベルで困難であるということだった。

 その日の午後、俊介は実演をしていた。
 工房は販売店舗の隣にある。一階が吹きガラスの作業場、二階がバーナーワークの作業場となっている。どちらもガラス越しに見学することが可能であった。
 俊介は保護ゴーグルをかけて椅子に座るとバーナーを点火した。作るのはダックスフントだ。ペットとして飼っている人が多い動物だと売れ行きもよい。ガラス棒の先を溶かして胴を作ってから、各パーツを付け加えていく。それらの作業をなるべくゆっくり、丁寧に行っていく。一つは見学客に行程をわかりやすく見せるため。もう一つは作品を量産しすぎても売り切れないため。在庫調整ともいう。  今は閑散期。見学する客はまばらだ。
 実演と休憩を繰り返しているうちに閉店まであと一時間となっていた。
 今作業場にいるのは俊介一人だ。ノルマは作ったし今日はもう客も来ないだろう、俊介は手を止めてわら灰の中から作品を取り出し始めた。形成したばかりの作品を室内に置いておくと、温度が急激に下がってひびが入りいやすい。緩徐に冷却するためにわら灰の中に入れておくのである。一匹ずつ救出したダックスフントについたわら灰をハケで払って並べていく。
 すると、ガラス越しに人の影を見つけた。
 小学校高学年くらいの少女であった。このところ閉店間際になるとやってくる。近所に住んでいて家に帰ってからここへ来ているのだろう。俊介の手元をじっと見つめ、時々一緒に手を動かしていた。
 観光客であれば実演に戻るのだが、相手は常連客だ。しかも小学生。さらに言えば金を落とさない。何よりも自分の気が向かない。
 俊介は少女を視界に入れないようにして黙々とハケを動かし続けた。それが終わるとやることがいっぱいあるといわんばかりに、ガラス棒の在庫の整理を始めた。少女の視線は俊介を追い続けて、帰る様子にはならなかった。
 今日は彼女の前で作品を作ってやるもんか、何に対してかわからないが俊介はムキになっていた。
 コツコツ。
 ガラス窓をたたく音がしたが、俊介はガラス棒のこすれ合う音で何も聞こえないことにした。
 コツコツ。
 先ほどよりも大きい音でガラス窓が叩かれる。これも無視。自分は仕事中である、自分は忙しいと言い聞かせた。
 ドンドン。
 叩く音が作業上に響き渡った時点で、俊介は手を止めた。扉の鍵を開けて、ガラス窓の反対側、少女のいる方に出た。
「下にも響いて迷惑なんだけど」
 少女は周りをきょろきょろして頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「わかればいい」
 俊介が作業場へ戻ろうとすると、袖を捕まれた。
「今日は作らないの?」
「もう店じまい」
「まだ閉店まで時間があるよ。お客がいるのに仕事しないの?」
 面倒くさいガキだ。俊介は嘆息した。
 実演だけが仕事ではない。大人にはやることがたくさんある。
「毎日見てて飽きただろ?」
 少女は首を横に振った。肩で切りそろえられた髪がふわりと揺れた。
「お仕事したくないの?」
「じゃあ、そういうことにしておいて」
「偉い人に言っちゃおうかなあ」
 ますます面倒くさいガキだ。
 大きな黒い瞳がいたずらっぽく光った。
「そうだなー、中を見学させてくれたら秘密にしてあげる」
 そうだなー、というのが何ともわざと臭い。俊介が無視した時点でそのつもりだったのではないだろうか。
「言っとくけど、案内とかしないから。勝手に見てろよ。余計なものに触るなよ」
「ホント? やったー!」
 やったー! じゃねえだろ。
 頭一つ以上小さいガキに脅されなければいけないとはなんと情けない。しかしながら、ただでさえ作品のことで師匠の説教の回数が増えているのに、こんなことで怒られるなんてまっぴらごめんである。
 少女は作業場に入ると、一つ一つの道具を丁寧に見て回った。俊介の言った通りに質問をすることはなかった。
 作業場内は温度が高いため、少女の頬が赤く染まっている。集中しているのか口が開きっぱなしになっているのを見ると、子供らしいと微笑ましくすらある。
「他の工房も見て回ってるのか?」
「たまに。それと、私の名前、『おい』じゃないよ」
 大塚萌、と付け足した。
 よりによって萌とはなんとタイミングが悪いのだろう。
「なんでうちに来るの?」
 素朴な疑問だった。他に大きな工房はいくらでもある。師匠の作品ならともかく、俊介のバーナーワークに特徴があるわけでもない。
「手が綺麗」
「あん?」
「お兄さんの手が綺麗」
 なんなのだ、このガキは。
 俊介は自分の手を見た。手は大きい方だし、指も長い。だが、それは作品には全く関係ない。
「手の動かし方も綺麗」
 それも作品とは関係ない。
「俺はパフォーマーじゃない」
「ご、ごめんなさい」
 吐き捨てるように言うと、萌は一瞬ひるんだ。何か言いたげな目をしている。これでは俊介が悪者になってしまう。
「言うことあるなら、今のうちだけど」
 悪人にはなりきれない俊介であった。
 萌はじっと俊介を見つめた。何かを吟味するかのように。こういう時めまぐるしく計算が行われているに違いない。女というのはそういう生き物だ。
「炎の精霊って見たことある?」
 唐突に何を言い出すのだ、このガキは。これも計算なのだろうか。
「ない」
「そっかー」
 萌はあからさまに肩を落とした。今にも枯れそうにシュンとなっている。サンタクロースですらこの世にいないのだ。同情してやる義理はない。そう、義理なぞない……。
「お前、見たことあるのかよ」
 自分でもお人好しだと思った。
 水を与えられた植物のように萌の表情が生き返った。華やぐとはまさにこのことか。
「うん、あるのっ」
 入ってはいけない道に踏み込んでしまったと気づいた時には遅い。
「どういう姿をしてるんだ?」
「んーとね、赤くて、小さくて、でも遠くからだとあんまり見えないからよくわからない」
「それじゃ、炎の精霊ってわからねえだろ」
「でも、メラメラしてるし、お兄さんが作品作ってると踊ってるから炎の精霊だよ」
 ……はい?
「待った。精霊とやらはどこで見たんだ?」
「だから、ここ」
 俊介はバーナーの方に目をやった。瞬きもせずに周りを見たが、何も見えない。気配すら感じられない。
「今もいるのか?」
「いない。火をつけてる時しかいないよ。そうだ、お兄さん、バーナー点けてよ」
「断る」
 オカルトなんて信じないし嫌いだ。昔、入院した時に知らない人の足だけが歩いているのを見てから、そういうのは全てシャットアウトしている。
「わたし、見てみたいのに」
「絶対、ダメ!」
「つまんなあい」
 萌は再び道具に目を奪われ始めた。
 こういうのとは関わりたくないのだが、気になることが一つあった。
「他の工房でも炎の精霊を見たことはあるのか?」
 萌は一瞬だけ俊介の方へ振り返った。
「あるよ。でも、他の所の子はおとなしいの。ここのが一番見てて面白いよ」
 やはり、そういうことか。
 萌がこの工房を選ぶ理由がわかった。
 俊介に背を向けているにもかかわらず、考えていることが伝わってしまったのか、萌は慌てて付け加えた。
「お兄さんが作ってるのを見てるのも好きだからね」
 その言葉はあと十歳年の上の子から言われたかった。
 最後に萌はさっき引き上げたばかりのダックスフントの所で止まった。
 黒、茶色、シルバーダップル等々一つずつ色合いの違うダックスが間隔をあけずに並んでいる。
 大きな目がさらに見開かれる。
 俊介は審査されているような気分になった。実際そうなのだが。
 そのままじっと萌は動かなかった。
「お前、それ見てどう思う?」
 小学生を相手に何を聞いているんだろうと後悔した。
 萌の目が光った。まるでガラス玉のように。俊介の本心を見透かすかのように。
「……お仕事楽しい?」
「楽しくなくても仕事はやらなきゃいけないんだよ」
 そう答えるのが精一杯だった。

 あれから、いつ炎の精霊とやらが現れるかと思うと仕事に集中できない。
 他の人がいる時は大丈夫だろう。問題は閉店後の個人作品を作っている時間だ。広い空間に一人でいると、音だけが響いて不気味である。
「しゅーんーすーけーくーん」
 地に響くような低い声がした。
「わあっ」
 椅子からひっくり返りそうになるのを、すんでのところでとどまる。
「俊介ってば、何ビビってんの?」
「なんだ、お前か」
 壁際に色白の細身の男が立っていた。悪友でありライバルである浩司であった。小さな工房であるせいか俊介の友人ということで、この時間の浩司の出入りは自由になっていた。身元がはっきりしているというのもあるかもしれない。
「相変わらずシケたもんばっかり作ってんなあ」
 浩司はテーブルの上に並んでいるカエルを見るなり言った。
 浩司とは美大時代に知り合い、彼は現在地元で一番大きな工房に勤めている。こうして時々俊介のことを冷やかしに来る。
 浩司がシケていると言っているのはバーナーワークに対してではない。
「どうやったら、こんなに愛らしさの欠片もない動物が作れるんだ? 全部目が死んでる」
 そういうことである。
「ある意味天才だな」
「若き新鋭、楢橋浩司先生ならばさぞかわいい動物が作れるんでしょうねえ」
「俺は吹きガラス職人だから。俺には俺の求めるものがあるの」
 師匠といい浩司といい全く無責任だ。こんなにも吹きガラス職人という言葉は便利なのか。
「リアル野菜果物シリーズだけ作るとかできないの? あれはよく出来てると思うけど」
「師匠が許さない」
「だろうな」
「村井さんの弟子だなんてもったいないな」
「ならお前が弟子入りすればよかっただろ。どこもお前を欲しがってるんだから」
「村井ブルーじゃ、俺の求める作品は作れない」
「俺だって、師匠に技術的な事は教わってねえよ」
 事実だった。
 吹きガラスとバーナーワーク、村井と俊介ではやっていることが違う。バーナーワークの技術は同じ工房に勤めるもう一人のバーナーワーク職人から学んだ。師匠が俊介にたたき込んでいるのは、職人としての心構えと独立した時に困らないようにするための術だった。故に、手広く仕事をさせられている。
「村井さんの自分の作品の質を上げたかったら客の顔を見ろってのは、つくづくいい言葉だ」
 俊介もそれには同意だった。だからこそ、俊介の作った動物を見る客を見て心が痛むわけだが。
「客といえばさ、これからうちに来ない? 冷えたビールがあるんだけど」
 ビールという単語を聞いて俊介は迷うことなく頷いた。

「試作第三十四号だ」
 浩司は俊介の目の前にグラスを差し出した。黄金色の液体にきめ細やかな泡がふんわりと乗っている。七対三の黄金比。
 俊介はたまらずゴクリと一口飲んだ。
 喉をするりと通り抜けていく液体は、喉も心も爽やかにしてくれる。
「やっぱビールはうんめえ!」
「おいおい、乾杯ぐらいしろよ」
 浩司は丁寧にビールを口に含んだ。何かを確かめるかのように、ゆっくり飲み込む。
「お前の飲むビールは不味そうだな」
「俺は俊介と違ってビールなら何でもいいわけじゃない。……うん、この前より口当たりがよくなったな」
「吟味して飲むビールが旨いもんか」
「俺には客を厳選する力が足りなかった。客の顔に期待した俺が馬鹿だった」
 浩司はグラスを遠目に持って、形に改善の余地があると独りごちた。
 今、二人が使っているグラスは浩司が吹いたものである。浩司は究極のビールグラスを作るのだ、と言って吹きガラス職人になった。
グラスのフォルム、泡立ち方、味、ビールを極限までおいしくするためのグラスを作るのだそうだ。浩司は試作品を作っては俊介を呼ぶのであった。
 俊介はグラスを空けると、グラスを浩司に押しつけた。
「俺のことなんだと思ってるの?」
「ただでビールを飲ませてくれる人。そうじゃなきゃ来ない」
 浩司は新たに缶をあけると、わざとトポトポと注いだ。先ほどとは打って変わって、黄色と白の比が逆であるし泡も荒い。
「ビールなら何でもいいんだろ」
「缶ビールでもおいしく飲める、がお前の売りじゃないの?」
「俊介のレベルに合わせてやったんだ。つまみ用意してくる」
 浩司が席を立つと、俊介はぼんやりとグラスを眺めた。ビールの旨さはビールそのものと注ぎ方で決まると思っているから、浩司の言うことは理解しがたい。しかし、フォルムの美しさ、グラスの薄さなどガラス工芸品として見るとよく出来ている。熟練された安定感には欠けるが、作品を作るごとに質が上がっているのが目に見てわかる。同年代の職人と比べて高い技術を持っているのは明かであった。
「悪くない出来みたいだな」
「強いて言うなら、繊細すぎる。ビールはもっと男らしい飲み物だ」
 浩司はにやりとしてテーブルにウインナーと枝豆を置いた。
 相手の思うつぼになってしまった。浩司の作品の評価はしないつもりでいたのに。
 悔しいので俊介は黙ってウインナーをかじった。
「吹きガラスに戻ろうと思わないのか?」
 浩司が俊介に作品の評価をさせるのは、俊介が経験者だからだ。素人の目も必要であるが、また同業者の目も必要である。だから俊介も浩司が工房に入って来ても追い出すことはしない。
「楢橋浩司大先生を見て、進むべき道が違うと悟ったの」
「俺が悪いみたいだな」
「そういうわけじゃない。俺にはバーナーワークの方が向いている」
 小さい頃から手先が器用と言われて育ってきた。自分がどこまでできるのか試すのに、極限まで細かい仕事に挑戦したかった。いずれは緻密な模様を描くトンボ玉職人を目指すつもりでいる。
 俊介はガラス工芸で有名な地元で育っている。だから、いずれ自分もガラス職人になるのだと思っていた。ガラス職人と言えば吹きガラスと思って美大へ行ってみたものの、自分が思い描いていた世界とは違った。そんなときに出会ったのが浩司である。彼の作品を見て吹きガラスをやめる決心がついたのだ。
「今度、俺の名前で作品売ってもらえることになった」
 ぽつりと浩司が言った。
 工房で名前を出して作品を売り出すからには一定のレベルに達しなければならない。長年の修行を得てやっと自分の名前を出せるようになる職人の方が多い。
 浩司は他県出身にもかかわらず、地元で彼を知らない者はいない。周りの賞賛に甘んじず、ビールグラスのために技術とセンス追求する浩司には当然の結果であった。
「そっか、おめでと」
 わかっていたこととはいえ、悔しくないと言えば嘘になる。自分が雑用に明け暮れている間に結果を出しているのだから。
「限られた作品だけだし、ビールグラスを出すにはまだまだ遠いけどな」
 それだけ、と浩司は締めくくった。
 しばらくの間、沈黙が空間を支配した。
 手持ち無沙汰になった俊介は大塚萌という少女の話をした。
「俊介、惚れられたな」
 浩司の第一声はそれだった。
「相手は小学生だぞ」
「冗談だ。だが、俊介の熱烈なファンに違いない」
 ロリコン、ロリコンと浩司が騒ぎ出す。
「だから、炎の精霊とやらを見に来てるんだって」
「俊介は信じてるのか?」
「んなわけないだろ」
「その割には顔色悪くないかね? だから俺が行った時ビビってたのか」
「ビビってなんかねえよ」
「炎の精霊ですわよ。おばけとは違うのよー。俊介お兄さんってば、ホント恐がりー」
 それは萌の物まねなのだろうか。浩司の脳内の。
 この会話を振ったのは失敗だった。
「じゃあ、キモカワイイ浩司ちゃんに聞いてやるけど、お前かわいいってわかるか?」
「俺、ロリコンじゃないから綺麗なお姉さんの方が好き」
「ちげえよ。夢の国のキャラクター見てかわいいって思うかって話」
「思わない」
 やはりそうなのか。ますます先が見えなくなった。
「俺が良いことを教えてやろう」
 浩司は声のトーンを落として言った。
「女のかわいいは信用ならない」
 理解しようと思うこと自体が間違いなんだ、浩司はぐいっとグラスに残ったビールを飲み干した。

 朝から自転車の空気が抜けていたとか、コンビニでカップ麺を買ったら箸がついていなかったとか、発注したものが相手のミスで届かないとか、機嫌を損ねるようなことばかり起こる日であった。
 ついつい仏頂面で接客をしてしまった。案の定、客に注意された。当然のごとく村井にこってり絞られた。
 とどめを刺したのが自分とは言え、気分は最悪だった。
 残った良心をかき集めて無理矢理笑顔を作り、店頭に戻る。
 こんな時はどこにいてもつらい。作品を作ってもろくなものは出来ないし、店頭では冷静に振る舞わねばならない。
 在庫チェックをしていると学生とおぼしき女の子三人組がやってきた。商品を片っ端から見ては「かわいー!」ときゃっきゃ騒いでいる。シンプルな一輪挿しを見ては「かわいー!」、厚いガラスでごつめに作られたタンブラーを見ては「かわいー!」
 浩司の言うとおりであった。
 キンキン声から出る超音波で、貼り付けた仮面にピシリピシリとヒビが入っていくのが感じられた。
 店内に響き渡る声で騒がれると他の客の迷惑になると注意をしようとしたところで、三人組の声がぴたりと止まった。
「ねえ、見てこれ」
 彼女たちが立っていたのは俊介が作った動物のミニチュアの前だった。朝からほとんど配置が変わっていないところを見ると、今日の売れ行きも芳しくないようだ。
「ちっともかわいくないんだけど」
「てか、売り物にしちゃっていいの? 不気味じゃない?」
「形だけは整ってるんだから、ある意味天才だよね」
 アルイミテンサイダヨネ。
 笑顔の仮面がパラパラと音も立てずに崩れ落ちていった。
 彼女たちに悪意はない。客の本心だ。思っていて口に出すか出さないかの違いだ。彼女たちは前者なだけである。
『ある意味天才だ』
 浩司の嫌味とは全くの別物であった。
 体の奥から外へ尖ったガラスの破片が尽きだしてくるような痛みを感じた。
「客の反応を見るのが、作品に対する評価を知るのには一番だ」
 村井の言うとおりであった。
 だから俊介のしなければいけないことは、この場に居続けることであった。最後まで彼女たちの言葉を受け止めなければならなかった。発言の意図を読み取らなければならなかった。彼女は俊介の作品のどういう所が気にくわなかったのか。
 俊介はその場に立ち続けた。
 冷や汗が止まらないのを客に悟られないようにするのが精一杯だった。頭の中は真っ白で何も聞こえないし、何も考えられなかった。
「俊介」
 名前を呼ばれてはっとすると、目の前に村井が立っていた。俊介よりもだいぶ背が低く見上げる格好になっていたが、威圧感は相当のものであった。
 村井には全てお見通しであろう。
 村井は太い眉がくっつきそうなくらい、顔をしかめていた。への字に曲げた口はいつでも怒鳴る準備が出来ているに違いない。
 足がすくむ。
「俺は職人を見る目は確かなはずなんだ」
 村井は体の芯まで届くようなゆっくりとした静かな声でそれだけ言うと、俊介の横を通り過ぎて吹きガラス工房へ入っていってしまった。
 体の震えは止まっていた。全身の力が抜ける。
 師匠の期待に応えられていない。あきれられたかもしれない。
 いつものようにくどくどと小言を言ってもらった方が楽だった。怒鳴ってもらっえば反発心で立ち直れた。
 三人組が再び「かわいー」を連呼し始めていた。
 俊介は閉店を待たずにふらふらと作業場へ向かった。

「ちくしょおお!」
 作業台に何でも拳をたたきつけた。腕が振り下ろされる度に、バーナーをはじめとした道具が跳ねる。ガラス棒が何本か割れたが、見向きもしなかった。手は痛みで麻痺しそうなのに、頭のどこかでもっと痛めつけろと叫んでいる自分がいる。
 悔しさなのか怒りなのか、何に対する感情なのかわからない。
 ふと視線を感じて顔を上げる。
 ガラス越しに青い顔をした萌が立っていた。唇をかみしめて今にも泣きそうな顔をしている。
 俊介は我に返った。
 なんてことだろう。
 客の前でみっともない姿を見せてしまった。それだけではない。仕事で大切に扱わなければいけない道具を粗末にしてしまった。それこそ村井に追い出されそうな行為であった。
 自分の行動に背筋が凍る。
 いよいよガラス職人失格だ。
 しかし、俊介も男である。萌の前で情けない姿のままでいるわけにはいかなかった。
 俊介は扉を開けた。萌の肩がびくりと震えた。
「怖がらせて悪かった」
 肩に力を入れたまま萌が首を振った。
「芸術の世界は厳しいっってことだ」
 今度は縦に首を振る。
「もうすぐ閉店時間だ。帰れ」
 萌は首を振らなかった。
「ガラス、割れてる。片付けなきゃ」
 俊介の脇をすり抜けて作業場に萌が入ってきた。素手でガラスの破片を拾い集め始める。
「おい、怪我するからやめろ」
 ここで怪我をされたら敵わない。俊介が箒を持ってくると、萌は割れたガラスを片付け始めた。俊介もその間、作業台の上を整理していた。何か聞かれるかと思ったが、萌は黙って床を掃き続けた。
 俊介は萌を追い出さなかった。
 女の子の、まして小学生の前で恥はかけないというプライドがなければ、自分を保てそうになかったからだ。
 一通り元に戻ると、作業場に重い空気が流れた。萌は黙ったままだった。
「さて、今日のノルマを作るかな」
 俊介はわざと大きな声を出して明るく言った。これ以上萌に気を遣わせるわけにはいかない。沈黙を破るのは自分しかいなかった。萌がここに来る理由は一つしかないのだから、それをするまでだ。
 萌はまだはしゃぐことに戸惑っていたが、顔つきが明るくなった。
「俺様の作品作りを間近で見られるなんて、めったにないんだからな」
萌のためというより、これは自分への景気づけ。平常運転までは行かないが、気合いは足りそうだ。
 俊介はガスコックを開きマッチの火をバーナーの口に近づけた。これで点火できる。
 が、点火出来なかった。
「あれ?」
 ガスコックはきちんと開いている。マッチの火の近づけ方が足りなかったか。もう一度点火してみる。
 しかし、火はつかない。
「おかしいな」
 萌も俊介の後ろへ来て様子をうかがっている。
「壊れちゃったの?」
「午前中は使えてたから、そんなはずはないんだけどな」
「私やってみていい?」
 誰がやったところで結果が変わるわけではないが、萌にはまずいところを見られてしまったという後ろめたさがある。やり方を教えて、マッチを渡した。
 萌は慣れた手つきでマッチに火を点けると、俊介の指示通りにバーナーの火を入れた。
 すると弱々しくであるが、火がついた。
「やったぁ」
 一体どういうことだ? 納得がいかない。
「炎の調節は俺がやるからな」
 萌がはしゃいでいるのを後ろ目に、俊介はエアーのコックを開いた。少し口調が荒くなってしまったことに、萌は気づいていないようであった。
「エアーで炎の温度を調節するんだ。いい炎ってのは、全体が青でその中にもう一つ小さい炎が……うわぁっ」
 炎が俊介の背の高さまで燃え上がり、俊介はのけぞった。使い慣れたバーナーである。エアーの量は間違っていないはずだ。それがなくとも、ここまで勢いよく燃えさかること自体がおかしい。作業場の温度が急に上がった。
「危ないから下がってろ」
 幸い何かに引火することはなさそうである。熱いのを覚悟してエアーのコックを半分閉めたが、バーナーは青々とした炎を吹き出し続けた。
「何が起きてるんだ?」
 何かがおかしい。この工房が呪われているスポットだなんて聞いたことがない。
 その時、背中の後ろに隠れていた萌がバーナーの方を指さした。
「あっ」
 俊介はそれを見た瞬間、目を疑わずにはいられなかった。
 バーナーよりもやや低い背丈。髪も肌も真っ赤。髪が逆立っていてメラメラと揺れている。人間でないのは誰の目でも明らかだった。  これはもしや……。
「炎の精霊っ!」
 萌が近づこうとするのを、首根っこを捕まえて押さえた。先ほどより少しだけ炎の勢いが弱くなった。
「お兄さん、私が見たのこの子!」
 俊介はまじまじと萌の言う炎の精霊とやらを見た。目つきはとことん生意気そうで、口はへの字にひん曲がっている。両手?を腰に当ててふんぞり返って立っている。憎たらしいという表現がぴったりであった。
「見てるだけでクソむかつく顔だな」
「かわいーっ!」
 俊介と萌は顔を見合わせた。
 お互いに何を言っているんだ、と言いたげであった。
 大塚萌よ、お前もか。女という存在そのものが信じられなくなりそうだ。
「お前、目ん玉どこについてんだよ」
「ちょっと生意気そうにしてるのがかわいいよ」
「生意気イコールむかつくだろ。アホだろ」
「すぐむかつくだなんて、お兄さん根性曲がってるんじゃないの?」
「あん? 俺に喧嘩売ってんの?」
 小学生相手に口論というのも大人げないとは思ったが、ここは譲れない。子供だからという言い訳が通用しないことを肌で理解させるべきなのだ。
 萌も俊介を睨みあげて臨戦態勢に入った。二人の間に火花が散る。
「オレ様を無視するなー!!」
 甲高い声が部屋中に響き渡り、作業場内の空気がわぁんわぁんと震動した。  俊介と萌の間の火花は瞬く間に消えた。二人とも口を中途半端に開けた状態で声の主と思われる方、炎の精霊(?)を見た。
「ばっきゃろー!」
 再び空気が振動する。
「てめーら、オレ様のことを無視しやがって。初めて会ったらまず自己紹介だろ。それと、むかつくとか生意気とか、挙げ句の果てにかわいいとかなめてんのか? オレ様を見たらかっこいいだろ? そうだ、かっこいいと言え!」
 二人が口をはさむ間もなく、早口でまくし立てる。
 炎の精霊(?)の声が大きくなるのに合わせてバーナーの火の勢いが強くなる。どうやら、目の前にいるのは炎の精に間違いないようだ。感情に合わせてバーナーの火の勢いが変わるようだ。この際エアーがどうなっているとかは考えない。
「ごめんなさい」
 萌がぺこりと頭を下げた。謝るのに抵抗がない少女だと思った。
「私、大塚萌って言います。精霊さんが踊っているのを見るのが楽しくてここに遊びに来てるの」
「お、おう。そうか」
 炎の勢いが少し弱まったようだ。
「生意気って言っちゃったのはよくなかったね。でも、かわいいはかっこいいと同じくらい好きって言う気持ちが大きいんだよ」
「そうなのか? だが、オレ様はかっこいいの方が好きだな」
「今度から気をつけるね」
 バーナーの火は弱めの赤い炎になっていた。すっかり落ち着いたようだ。俊介は安堵の息をはき出す。
 炎の精霊の意識が俊介へ向く。瞬間、再びバーナーがゴォォッと音を立てて火を吹いた。
「ふざけんなー!」
 俊介へ向かって熱気が押し寄せる。
「オレ様に失礼な数々の発言をしておきながら、謝りもせずにてめえは何様だ!」
 松坂俊介様です、と答えたら油を注ぐことになるんだろうなどと考えてしまう。
「そもそも、オレ様はてめえに文句があるんだ! オレは非常に怒っている。さっきのあれは何だ! 道具を粗末に扱うとは職人の風上にもおけねえ。道具だからって物を言わないって思うなよ。オレ様は怒ったんだ。てめえの事は絶対に許さねえ。てめえへの罰は一生バーナーを使えなくしてやることだ!」
 炎の精霊の心が燃え上がるのと反対に俊介は我に返った。
 炎の精霊はいけ好かないが、自分は職人としてやってはいけないことをしてしまった。言い方は違えど、村井も同じ事を言っただろう。
「俺が悪かったです、すいませんでした」
 道具を粗末に扱ってしまったことに対してはとても反省している。
「オレ様がその気にならなければ、炎は使えないんだからな」
「バーナーが使えなくなると仕事が出来なくて困る」
「わかってらい。だからてめえなんかこの工房から破門になっちまえばいいんだ!」
「そういうわけにはいかない」
 ガラス細工職人以外で生きていく道が思い浮かばない。
「オレ様を怒らせた罪は重いんだ」
「だから、悪かったと言っている」
 炎の精霊の怒りは収まりそうにない。ヒートアップとはよく言ったものだ。じわりじわりと全身が汗ばんでくる。
「だいたい、ろくな作品も作れねーんだろ。それで物に当たるだなんて最低だぜ。こんな弟子を持って村井がかわいそうだ」
 炎の勢いはとどまることを知らず、余熱だで俊介も萌も蒸し焼きになってしまいそうだ。
「落ち着けって。謝るから。本当にすまん! だからバーナー使わせてください!」
「今さら謝られたって遅いんだい。オレ様だってへんてこりんなのを作るのに付き合いたくないぜ。オレ様はオレ様の納得のいく物を作るために働きたいんだ。とにかく、ぜーったい嫌だからな!」
 駄目だ。埒があかない。
 脳みそまで燃え上がって聞く耳も燃えてなくなってしまった。ところどころ言っていることが的確だから余計にやっかいである。このままでは本当にバーナーが使えなくなってしまう。それだけは避けたい。
 なんとかして怒りを抑えなければならない。せめて、炎の精霊の納得のいく作品を作れればいいのだが。普段の俊介の作品では、例えバーナーが使えたとしても作品を作っている間にバーナーが不調を訴えるだろう。
 額から汗が落ちてきた。作業場の温度が上がりすぎている。萌の頬が真っ赤になっていた。先ほどから黙っているのは頭がぼーっとしているのかもしれない。ただ、心配そうに俊介を見上げている。
 萌だけでも先に帰した方がいいかもしれない。どちらにしろ、今日は萌の目的は果たせそうにないのだから。
 萌。目的。炎の精。
 頭の中でつながるものがあった。
 俊介は大げさにこぶしで掌を叩き、大きな声で言った。
「萌、ごめん。そういうことで今日は約束を果たせそうにない」
 名前を呼ばれて萌がきょとんとする。俊介はかまわず続ける。
「楽しみにしてたのにな。せっかくバーナーワークの体験させてやるって約束してたのに。俺が悪いんだ」
 萌の目が大きく見開いた。
 もちろん、そんな約束はしていない。
 こちらの意図に気づかせるのは無理かもしれないが、なんとかそちらへもっていきたい。
「でも、みんなの言うとおりなんだ。「仕事楽しい?」って聞かれた時の答え、あれ図星だった。小学生のお前にまで見透かされたって思ったよ。あれは正直堪えた」
 顔を真っ赤にした萌の眉は下がりきっていた。
「……ごめんなさい」
 その一言で炎の勢いがわずかに弱まったのを俊介は見逃さなかった。
「萌は悪くない。お前の言うことは正しかったんだ。バーナーワークの楽しさを直で体験して欲しかったのに、それが出来ないのだけが残念だ。将来の弟子が出来たと思ったんだけどな」
 俊介の話に集中しているのか、さらに炎の勢いは弱まる。
 もう一押しだ。
「ああ、せめて一度だけでも萌に体験させられればいいのにな」
 炎の精霊が作業台から身を乗り出した。
「彼女……萌ちゃんは、バーナーワークがやりたいの?」
 俊介はわざと炎の精霊の方をちらちらと見る。その視線を萌が追う。萌ははっとして、炎の精霊の前へ行く。
「うん。私、ずっとお兄さんに教わりたかったの」
 顔を近づけられて、炎の精霊の元々赤い体がより赤くなった。
 萌に通じたようだ。
 最初から炎の精霊は萌には甘かった。萌が近づくと炎の勢いを弱めたり、そこまで強気で出ることもなかった。そして、萌はすぐ謝る。炎の精霊に対してでなくても「ごめんなさい」の一言を引き出せば、炎の精霊の心に隙が出来るのではないかと考えた。
 後はもう少し萌に押してもらうだけだ。
「萌ちゃん、体験なら他の工房でも出来るぜ」
「ううん、駄目。他の所じゃ簡単なトンボ玉しか作らせてもらえないよ。お兄さんは特別に普通のをやってくれるって言ってたの」
 待て待て、俊介は内心つっこんだ。
 俊介は体験教室でやっているトンボ玉を作らせるつもりでいたのだ。さりげなく自分のやりたいことを要求してくるとはしたたかだ。利用しているのはお互い様だが。
「こいつは駄目だ。ろくな作品にならねえ」
「大丈夫。お兄ちゃんなら工房長も炎の精霊さんも納得のいく作品を作れるよ」
 萌の自信はどこから出てくるのだろう。
「こいつの作品はひでえぞ」
「炎の精霊さんがそんなことを言うと、萌、悲しいな」
 胸の前で両手を組んで上目遣いで炎の精霊を見る萌。炎の精霊の頭からポッという音がした。
 演技が入っている。若くても女というのは怖い。
「じゃあ、萌のためにバーナー使わせろよ」
 萌のためにの部分をこれでもかというくらい強調した。
「萌ちゃんのために特別だからなっ。できたのがくだらねえ作品だったら本気で一生バーナー使わせねえからな。破門だからな」
「わかった」
 俊介は挑むようにバーナーを見つめた。
 残る問題は何を作るかだった。今までの動物を作れば本気でバーナーワークができなくなるかもしれない。リアル野菜果物シリーズは緻密な作業過ぎて萌の体験としては無理であった。
 村井の納得のいくもの、すなわちかわいいと思われるもの、もしくは愛されるもの。素人の萌が作るのに、多少パーツが崩れてもそれなりのものになるもの。そして、炎の精霊の納得のいくもの。
 全てを網羅するものがあるだろうか。特に炎の精が納得のいくものがやっかいだ。炎の精はバーナーワークに関してはありとあらゆるものを見てきているだろう。一定のレベルは必要なはずだ。
「オレ様ってなんて優しいんだろう」
「うん、ありがとう」
俊介が考えている間、炎の精霊はバーナーの周りをうろちょろしながら萌と話していた。炎の精霊にバーナーの火はすっかり弱火になっている。遠巻きに見ていれば微笑ましい図なのに。
 俊介の頭の中で一つの絵ができあがった。
 これならばいける。
「よし」
 俊介はガラス棒の在庫から必要なものを取り出すと作業台の上に置いた。
「萌、ここに座れ」
 椅子の高さを調整して、萌を腰掛けさせる。保護グラスも装着する。
「さっきの要領で火を点けてみろ」
 萌がマッチを擦ってガスコックを開くと、普段通り点火した。
「炎の調製の仕方はさっき言った通りだ」
 萌はエアーコックを開く。徐々に下の方から炎が赤から青へ変化する。小さいのと大きいのと青い炎が二つできあがる。
「それくらいでいい。俺が手を誘導してやるからその通りに動かせよ」
 順調だったのはそこまでだった。
 俊介が次の説明をしようとする間に炎は先ほどよりも倍の長さになっていた。慌ててガスコックを閉めていく。ところが、炎の勢いは変わらず温度だけが下がって赤い炎になってしまう。
「バーナーは使わせるって言ったけど、そう簡単にさせるかよ」
 炎の精霊がタッターンタッターンとステップを踏んでいた。タタンッタタンッとリズムを変えると再び青い炎へ変化した。
 なんてことだ。
 炎の温度が正しくなければ、ガラスは正常に溶けない。これではバーナーワークができない。
 俊介は舌打ちをしそうになった。
 萌はじっと炎を見つめている。問題にも気づいていないのだろう。こういう時無知がうらやましい。
「大丈夫」
萌がぽつりと言った。
「炎の強さがどんどん変わるけど、お兄さんの教えてくれたいい炎が一定の時間保たれてるからガラスは溶けるんじゃないかな」
 俊介は炎の動きを追う。萌の言うとおりだった。多少理想の火力から強い弱いはあるが、なんとかガラス棒を溶かせそうだ。時間をかければ何とかなるかもしれない。
「炎を制する者はガラスをも制する」
 口の中で唱えた。今、この瞬間のためにある言葉だ。
 ならば、炎を制するのみ。
「これ取って」
 俊介は赤いガラス棒を握らせた。
「一気にガラス棒の温度を上げると破片が飛び散る。少しずつ暖めてから炎の中へ入れる」
 炎の勢いがよくなるまで、炎の近くでガラス棒を暖める。炎の精も炎の勢いを変えるといっても萌にやけどをさせるようなことはしないだろう。
「今大丈夫?」
 俊介の教えた炎の勢いであった。少しずつガラス棒と火の接触時間を長くしていき、ガラス棒の先を溶かす。ガラス棒の先がオレンジ色に染まってとろりとたれてくる。そこでガラス棒を回転させて玉を作っていく。
 少し大きくなったところで炎の精rえいがステップを変えて炎がオレンジ色になった。
「休憩だ。この玉をもっと大きくしていく。たれたらひっくり返すを繰り返す」
 萌は炎から目を離さず頷いた。再びステップが変わって青い炎になる。
 萌は軽く手首を支えてやるだけで器用にガラス棒の先に玉を作っている。頻回に見学だけでここまで出来るとは思えない。筋がよい。
「上手いな」
 萌ははにかんだ。こういう表情は小学生らしい。
 半分は正直な気持ちだ。そしてもう半分は炎の精霊のご機嫌取りだ。炎の精霊の機嫌を取れば炎が安定しやすい。
 そうして、玉が目的の大きさに達するとコテで形を整えて涙型にする。
「次はパーツをつけていくぞ」
 先ほどの涙の下に同じくらいの大きさの玉をつける。細いガラス棒を使ってその玉にさらに左右に二等辺三角形をつける。玉の下も床から見て垂直に二等辺三角形を二つ。おしりを切り離して形の底を温めてから台に押しつける。これで手を離しても立つようになる。涙に楕円を二つ並べる。各楕円に黒いぽっちをつける。
 俊介の思い描いているパーツと若干差はあるが、悪くない出来だ。あと一息だ。
 炎の精霊もステップを踏むのをやめて萌の手をのぞき込んでいた。
「なんだ、お前も興味あるのか」
 しまった、と思った時には遅かった。
「んなことあるわけねーだろ!」
 炎の精霊が高速足踏みを始めた。めまぐるしい勢いで炎の勢いから温度から変わっていく。
「てめえの作品なんかに興味ねぇー!」
「落ち着けって」
 これではガラス棒を溶かすことが出来ない。
「てめえの言うことなんか聞いてやるもんか」
 見えたゴールが一気に遠のいた。
「おい、萌。お前もなんか言ってくれ」
 困った時の萌さん状態であった。
 しかし、萌は黙って炎を見つめるのみだった。額から汗がしたたり落ちているのにも気づいていない。
「頼む。あとちょっとなんだ」
 俊介は懇願した。せっかくガラス細工職人として新しい道を開拓できそうなのに。この作品だけは何とかして完成させたかった。
 タタンッタタンッ。
 萌があいている手で作業台をたたき出した。軽やかなリズムだ。
「♪ソソラ ソラ ソラ うさぎのダンス〜」
 童謡だった。
「♪タラッタ ラッタ ラッタ〜」
 タタンッタタンッタタンッタタンッ。
 手のリズムに合わせて歌っていた。
 何をしているのだろうか。熱気で頭でもやられてしまっただろうか。
「萌ちゃんは歌が上手いんだね」
 炎の精霊が歌に合わせてステップを踏み始めた。
 タタンッタタンッ。
 バーナーがいつも使っている青い炎になった。
 萌は炎の精霊のステップと火の勢いを見ていたのだ。歌てリズムをとることでそのステップを踏ませた。
「後はお兄さんに任せていい?」
 手のリズムを取りながら萌が言う。
「やっぱり精霊さんって踊りが上手だな」
 タタンッタタンッ。リズムを刻むのはやめない。褒められた炎の精霊は調子に乗って振り付けを変える。しかし、リズムは萌が刻んでいるから炎の勢いは変わらない。
 小学生のくせにやるな。
 俊介は萌からガラス棒を受け取ると、一気に仕上げの作業に入った。

「どうだ」
 俊介は冷めたてほやほやの作品をわら灰から取り出すと炎の精と萌の前に差し出した。
「わーっ、かわいいっ」
「オレ様の方がかっこいいけど、悪くないな」
 自分でもよく出来たと思うが、二人の感想を聞いて胸をなで下ろす。
「すごく似てるね」
 炎の精霊の前に並べられた作品を掌にのせた。
 俊介が作ったのは炎の精霊だった。
 メラメラ頭に生意気そうな顔、足を前に投げ出して座った形で立てることが出来る。
 俊介はこれっぽっちも炎の精霊をかわいいとは思わないが、萌の反応を見てこれはかわいいのうちに入るのだと知った。また、オレ様な炎の精が自分を作ってもらって喜ばないわけがない。リアルに作るのは得意だ。生意気な奴だから不安定な環境下で多少パーツがずれて間抜けになってもなんとかなると思った。何よりも今までの作品とは比べられないくらい感情がこもっている。憎たらしいという感情ではあるが。
 どこかでかわいいというものを限定しようとしていたのがいけなかった。女のかわいいは別次元だ。自分には生意気とか間抜けとかそういう方が向いているようだ。自分で言うのもなんだが、その方が表情が豊かである。
「心配で様子を見に来たら、壁を乗り越えたみたいじゃないか」
 村井が立っていた。
「あ、おじいちゃん」
 萌が村井に駆け寄った。村井の顔がしわくちゃになる。
「おじいちゃん……?」
「孫の萌だ。かわいいだろう」
 おじいちゃんがお世話になっています、と萌が言った。娘夫婦の所に孫がいると聞いたことはあるが、村井が詳しく語ることはなかった。孫煩悩なところを見せては師匠としての面子が立たなくなるからだったのだろう。
 萌の筋も祖父譲りだったようだ。
「お兄ちゃんがね、作らせてくれたの。これ」
 萌が村井にガラスの炎の精霊を渡す。祖父の目から職人の目に切り替わる。背筋に緊張が走る。
「よくできてるじゃねえか」
 心の奥に押し込めていたしこりが溶けていく。村井の久しぶりの褒め言葉に涙腺が緩みそうになるのをぐっとこらえる。
「お前は型にはまりすぎてたんだよ。頭で考えすぎだ」
 お前がよければ商品化していいぞ、そう言って村井は去って行った。貯め込んでいた息を吐き出す。
「お兄ちゃんよかったね」
「これはお前にやるよ。半分はお前が作ったんだしな」
「ほんと? やったー」
 はしゃいでいる姿は小学生以外の何者でもない。しかし、助かった。萌の言葉に、機転に。
 この作品をきっかけに将来萌が弟子入りしてくるんじゃないかなどと脳裏をかすったものの、村井に目をつけられそうなのでやめた。
「これで文句なしでバーナー使わせてくれるだろ」
 炎の精霊に向かって言ったが、炎の精霊の姿は見えなかった。

 炎の精霊改め生意気精霊シリーズは女子中学生の間で人気商品となった。
 萌は浩司同様顔パスで自由に工房内へ立ち入るようになった。といっても来るのは俊介の所だけであるが。あれから炎の精霊を見ることはなくなり萌に聞いてみたところ、まだいるという。だが、踊っているよりもあっかんべーをしている時間の方が長いと説明してくれた。
「炎の精霊さん昔も今も楽しそうに踊ってるよ。だから裏切られた気がして悲しくて、それであんなことしたんじゃないかな」
 最後にそう付け加えていた。
 そして、今日も我が名言を読み上げるところから一日が始まる。変わったのはその隣に少々落書きが増えたことである。

『炎を制する者はガラスをも制する   松坂俊介』
『女のかわいいは信用ならない    楢橋浩司』
『↑かわいいは正義です       大塚萌』



 吉田和代さん主催【オンライン文化祭2012〜熱〜】参加作品。


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